毎日ニュースNo.304 射撃で遺体収容(昭和35年)
1960年(昭和35年)9月19日。
群馬県・谷川岳、一の倉沢の超難関、衝立岩(ついたていわ)から、
助けを求める声を聞いたと登山者から連絡があり、
警備隊が現場に急行したところ、
衝立岩正面岸壁上部から200メートル付近で、
ロープで宙づりになっている2名の登山者を発見します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/2a/f3f5cf4d5b56e45920da46e587157793.jpg)
2名は前日から入山している横浜蝸牛(かたつむり)山岳会の、
野中泰蔵(23)と、服部富士夫(20)と判明しました。
警備隊員が声をかけても2人からは何の応答もありません。
とにかく生死を確かめようと現場に医師が到着しました。
医師は双眼鏡で彼等を観察しますが、
彼等の身体は風を受けてクルクル回転したり、揺れたりして、
まるで生きている様でした。
しかし、医師は彼等は既に絶命していると結論づけました。
いくら時間をかけて観察しても、何の反応も無かったからです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/c1/113e12b5f3ffd842c9e0dc29648c532d.jpg)
写真右側の3角にそそり立っているのが衝立岩です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/3d/135c0a6e8f84619bbd20974b0dda5b40.jpg)
私は数年前に、この大岩壁を見に行った事があります。
衝立岩は一の倉沢の中で最も難しく、彼等の前には1年前にたった1組だけが
登攀に成功している難所中の難所です。
岩壁の高さは東京タワーがすっぽり入る位の絶壁です。
警察から連絡を受けた蝸牛山岳会員や、彼等の両親が現場に到着しました。
ご両親は息子が登山をやっているとは聞いていましたが、
まさかこれほどの山に登っているとは知らずに、
目の前にそそり立つ大岩壁に呆然として息を呑むばかりでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/a5/40f15ded7c9fba449aa2461a9d7bcca9.jpg)
もはや彼等の死は疑いなく、遺体を収容しなければなりません。
しかし岩壁は超難関であり収容するには二重遭難の危険性が高く、
かなり難しいと思われます。
山岳会の会員から「長い鉄棒の先に油を浸したボロ布を巻いて、
点火した(たいまつ)でロープを焼き切る案が出されたのですが、
岩壁までの距離が長く、これは不可能と判断されました。
遭難から2日目の21日に山岳会は収容作業を行います。
しかし二重遭難覚悟の収容作業はあまりにも危険で、
相談の上、自衛隊による銃撃による方法しかないとの結論に達しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/a5/5302ffa4aa7ae258ead62e51711509c1.jpg)
自衛隊選りすぐりの射撃特級の資格者12名が配置につきました。
軽機関銃2丁。ライフル銃5丁。カービン銃5丁です。
24日、午前3時から開始されましたが、ロープまでの距離は140メートル。
弾丸はロープに当たっているのですが、
ロープがくるくる回ってしまい切断に至りません。
昼過ぎからロープと岩が接触している部分を狙って銃撃すると、
ほどなくロープは切断されて銃撃は成功しました。
消費した弾丸は1300発に達したそうです。
彼等2名の若者は音もなく100メートル下へと落ちて行きました。
「銃撃で遺体収容 -谷川岳遭難-」No.350_2 #中日ニュース
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/5e/0d3a72f90707e2fbb073b5f0dd687992.jpg)
この事件は覚えています。
当時は休日になると谷川岳の遭難ニュースがよく伝えられていました。
そんな危険な山に若者達はよく行くもんだなと、思っていました。
登山界でも、よりによって銃撃で切断するとは、
山岳会は恥ずかしくないのかと散々叩かれていました。
しかし、現代の登山技術から見れば稚拙な技術ですし、
ほぼ前人未踏的な難所ですから、やむ負えなかったと思います。
あれから61年。
谷川岳の死者はうなぎ上りに増え続け、
現在は800人を超え、断トツで世界一の死者を数えます。
高校時代のクラスメートも若干20歳くらいで、ここで亡くなりました。
「魔の山」「墓標の山」の名前は消える事はないのですね。
1960年(昭和35年)9月19日。
群馬県・谷川岳、一の倉沢の超難関、衝立岩(ついたていわ)から、
助けを求める声を聞いたと登山者から連絡があり、
警備隊が現場に急行したところ、
衝立岩正面岸壁上部から200メートル付近で、
ロープで宙づりになっている2名の登山者を発見します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/2a/f3f5cf4d5b56e45920da46e587157793.jpg)
2名は前日から入山している横浜蝸牛(かたつむり)山岳会の、
野中泰蔵(23)と、服部富士夫(20)と判明しました。
警備隊員が声をかけても2人からは何の応答もありません。
とにかく生死を確かめようと現場に医師が到着しました。
医師は双眼鏡で彼等を観察しますが、
彼等の身体は風を受けてクルクル回転したり、揺れたりして、
まるで生きている様でした。
しかし、医師は彼等は既に絶命していると結論づけました。
いくら時間をかけて観察しても、何の反応も無かったからです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/c1/113e12b5f3ffd842c9e0dc29648c532d.jpg)
写真右側の3角にそそり立っているのが衝立岩です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/3d/135c0a6e8f84619bbd20974b0dda5b40.jpg)
私は数年前に、この大岩壁を見に行った事があります。
衝立岩は一の倉沢の中で最も難しく、彼等の前には1年前にたった1組だけが
登攀に成功している難所中の難所です。
岩壁の高さは東京タワーがすっぽり入る位の絶壁です。
警察から連絡を受けた蝸牛山岳会員や、彼等の両親が現場に到着しました。
ご両親は息子が登山をやっているとは聞いていましたが、
まさかこれほどの山に登っているとは知らずに、
目の前にそそり立つ大岩壁に呆然として息を呑むばかりでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/a5/40f15ded7c9fba449aa2461a9d7bcca9.jpg)
もはや彼等の死は疑いなく、遺体を収容しなければなりません。
しかし岩壁は超難関であり収容するには二重遭難の危険性が高く、
かなり難しいと思われます。
山岳会の会員から「長い鉄棒の先に油を浸したボロ布を巻いて、
点火した(たいまつ)でロープを焼き切る案が出されたのですが、
岩壁までの距離が長く、これは不可能と判断されました。
遭難から2日目の21日に山岳会は収容作業を行います。
しかし二重遭難覚悟の収容作業はあまりにも危険で、
相談の上、自衛隊による銃撃による方法しかないとの結論に達しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/a5/5302ffa4aa7ae258ead62e51711509c1.jpg)
自衛隊選りすぐりの射撃特級の資格者12名が配置につきました。
軽機関銃2丁。ライフル銃5丁。カービン銃5丁です。
24日、午前3時から開始されましたが、ロープまでの距離は140メートル。
弾丸はロープに当たっているのですが、
ロープがくるくる回ってしまい切断に至りません。
昼過ぎからロープと岩が接触している部分を狙って銃撃すると、
ほどなくロープは切断されて銃撃は成功しました。
消費した弾丸は1300発に達したそうです。
彼等2名の若者は音もなく100メートル下へと落ちて行きました。
「銃撃で遺体収容 -谷川岳遭難-」No.350_2 #中日ニュース
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/5e/0d3a72f90707e2fbb073b5f0dd687992.jpg)
この事件は覚えています。
当時は休日になると谷川岳の遭難ニュースがよく伝えられていました。
そんな危険な山に若者達はよく行くもんだなと、思っていました。
登山界でも、よりによって銃撃で切断するとは、
山岳会は恥ずかしくないのかと散々叩かれていました。
しかし、現代の登山技術から見れば稚拙な技術ですし、
ほぼ前人未踏的な難所ですから、やむ負えなかったと思います。
あれから61年。
谷川岳の死者はうなぎ上りに増え続け、
現在は800人を超え、断トツで世界一の死者を数えます。
高校時代のクラスメートも若干20歳くらいで、ここで亡くなりました。
「魔の山」「墓標の山」の名前は消える事はないのですね。
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