1973年に、小松左京原作の映画「日本沈没」が封切られました。
私も映画館に観に行ったのですが、
そのリアルさに「日本は本当に沈没するんじゃないか」
などと思い、怖くなった記憶があります。
その映画の中で地質学者(?)の小林桂樹が、
政界の大御所(?)の島田正吾から、
「科学者にとって一番大事なものは何かね?」と訊かれ、
小林桂樹が「それは勘です」と即答します。
彼が新聞紙を引きちぎって例え話にするのが、大陸移動説でした。
「この2つの新聞紙は、こうして合わせると1枚になる。」
「しかし、別々にある紙が最初は同じだった事は誰にも分らない」
大陸移動説を最初に提唱したのは、
ドイツの気象学者であり、地球物理学者のヴェーゲナーでした。
彼は1912年(32歳)フランクフルトで行われた地質学会で、
大陸移動説を発表しました。
ヴェーゲナーは、地質や生物の化石の分布などの証拠を集め、
仮説に辿り着いたのですが、
エネルギー源が説明できず、奇想天外として受け入れられなかったのです。
ヴェーゲナーは、南米大陸とアフリカ大陸の形状が
一致する事を挙げたのですが、
それ以前、1596年、1620年にも同じ事を言っている人がいました。
しかし、それらとヴェーゲナーが提唱した説は、
詳細度や学術的正確性など、はっきりと異なったものでした。
この説は賛否両論ありましたが、
否定的な研究者たちからは彼は感情的に批判されました。
最大の弱点は移動のエネルギー源が解らなかったからです。
しかし、生物学的に大陸移動がないと、
つじつまが合わない事例がいくつか発見されてもいました。
1930年にヴェーゲナーが50歳で亡くなると、
大半の科学者たちが、この説を真面目に取り上げなくなってしまいました。
1950年代から1960年代になって、
プレートテクトニクス理論が発展してきました。
それによって彼の大陸移動説が、再び脚光を浴びる様になりました。
古い地層の岩石に残っている磁気の方向が、
大陸移動を考えないと説明がつかなかったのです。
また、マントル対流の存在が明らかになった事で、
説明できるようになったのでした。
大陸移動の速度は、1年間に数センチから10センチだそうです。
仮に1年間に5センチとすると、
一か月では約4ミリ。
反対に100年で5メートル。
1000年だと50メートル。
千年前は日本では平安時代真っ盛り、
平清盛が生まれて間もなく、そんな時代だったのですね。
その頃の京都と、現在の京都は、
50メートルくらい左か右かにズレていたとは。
「科学者にとって一番大事なものは・・勘」
それは医者も同じだと聞いた事があります。
患者が待合室から診察室に入って来る時の動き方、
肌の艶、視線の向き、態度。
そういった動作を見て、
医者は「この患者は多分〇〇が悪いんだろう」
そういった勘が最も重要なんだそうです。
でも現代の医者は器機に頼るんで勘があまり働くなっているとか。
大陸移動説も最初は(勘)から始まったのですね。
私も以前、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた時、
すぐに「これはオウムの仕業だな」と直感しました。
何故そう思ったのかは全然覚えていないのですが、
あれも(勘)だったと思うのです。
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