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港町ブルース・気仙沼

2021-03-18 19:01:00 | 東日本大震災
港町ブルース 森 進一


森進一という歌手は好きとは言えないのですが、
彼の持ち歌「港町ブルース」は哀愁があって好きなんです。



2011年10月8日。
私達歌声仲間、関東勢は昨年に引き続き、深浦へ歌声ツアーに行きました。
仙台バラライカの歌声までは、私も行動を共にしましたが、
翌日、私は一人だけ彼等と別れ、被災地・気仙沼へ行ったのです。
みんなは何で私が一人だけで別行動を摂るのか怪訝な顔をしていました。



でも、私は何が何でも被災地に行きたかったのです。
そして楽器も流されてしまった学校に、
若い頃、買ってもう何年も使わなくなっていたトランペットを、
寄付したかったのです。

気仙沼は勿論初めて行く地です。
仙台から一ノ関までは新幹線で行き、
そこからは大船渡線に乗り換えて行きました。
7か月前は石巻の被災地で人生で初めての大衝撃を受けましたが、
気仙沼は駅は海から遠い高台なので何の被害も受けませんでしたが、
そこからタクシーで行った海は、それは悲惨な状況でした。





石巻と同じで、凄い臭いがまだ漂っていました。



漁港岸壁の魚市場は、約1メートルの地盤沈下により、
陸地と海面が殆ど同じになってしまい、
海の中を見ると、以前は道路だった道のセンターラインが白く見えていました。



間の悪い事に、あれは日曜日だったか休日だったので、
学校に行っても誰もいないだろうしと警察署に行ったら、
被災して閉鎖していました。



困ったな~と歩いていたら目に入ったのが、この楽器屋さん。
いつまでもトランペットを持ち歩くのもしんどいし、
思い切って事情を話して、この店に学校への寄付をお願いしてきました。





そこから被災地へと足を踏み入れたのですが、
「港町ブルース」の歌碑がひしゃげているのに出会いました。
でも金属製のしっかりした造りだったのでさらわれてしまうのは回避できたのですね。



気仙沼で有名になったのが、この漁船。
第18共徳丸・300トン。
海から500メートルも奥地へと流されてしまいました。
津波の前日に整備の為に気仙沼港へ入ったらしく、
船主は「あゝついてない」と嘆いていたそうです。
この船を津波のモニュメントとして残すかという議論がありましたが、
あまりにも危険過ぎると撤去(というか解体)されてしまいました。



気仙沼までは電車が通っていますが、
その先の線路は流されたしまい、その頃は何も在りませんでした。
鹿折唐桑駅の真ん前にその漁船が鎮座していました。

石巻といい気仙沼といい、
そのあまりにも信じられない光景は、
そこに住んでいた人達の心の中までどれほど破壊してしまったのかと、
それは人として耐え難い辛さがありました。

被災地を歩けど歩けど、この世のものとは思えない光景。
自分がもしそこに居たら、自分の故郷が親が子供が親戚が友人が仲間が、
みんなもう元通りには戻れない現実の重みに、
きっと押しつぶされそうになり、人々はどれだけ泣いた事か。

そんな感慨で「港町ブルース」を聴くのでした。












コメント
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