河童の歌声

歌声喫茶&キャンプ&ハイキング&写真&艦船

最後まで残った唯一の寝台車

2021-03-19 13:31:06 | 日記


現在、日本に残っている夜行寝台車は1本だけなんだそうです。
サンライズ瀬戸・出雲。



東京を夜の9時50分に出発して、
岡山までは一緒で、そこから別れます。
山陰の出雲に9時58分に到着。
一方の瀬戸は四国の琴平に8時39分に到着します。

もうひとつにサンライズ出雲があって、
それは東京駅を夜の10時21分に出発、
出雲市に13時07分に着きます。

私が若い頃には夜行寝台特急が全盛でした。





こういった、いわゆるブルートレインと呼ばれる
長距離の夜行列車がいっぱい走っていましたね。
「あさかぜ」・・よく乗ったな~。
懐かしい。
しかし、寝台料金だけを正当に支払って、
乗車料金はほぼ全額タダというとんでもない不正乗車でした。





ベッドにしたって、昼間は6人掛けのシートですが、
夜になると専門の係員がきてベッド仕様に造り替えるのです。
私はいつも、一番遅くまで寝ていられる最上部のベッド専門でした。
一度最上段が取れなく下段になって、やれやれと思っていたら、
最上段しか取れなかった人が、大喜びで私と入れ替わってくれました。
あれは好みがあるんですよね。





それに比べ、今の寝台ベッドはかなり進化してるんですね。
新幹線が九州まで行く様になったし、
昔に比べて飛行機代も安くなったしですから、夜行列車が無くなる訳ですね。

飛行機と言えば、飛行機も不正乗車ばっかりやってました。
21歳はとっくに過ぎているのに、
会社で21歳になる様に身分証明書を書いてもらったのです。
「おっかしいな~、あいつ、どう見ても21歳には見えないんだけどな~」
スカイメイトは現在は26歳までらしいのですが、
私の頃は21歳までだった。
でも、乗ったモン勝ちだもんね~(笑)

さて、どうなんでしょう?
島根県とか香川県へ、夜間に移動する人はかなり少ない気がしますね。
よほど、夜の列車旅がいいんだよな~とか、
趣味的な人でもないと、あまり利用しない気がしますね。

私が若い時みたいな、あんな呑気な(尤も当事者はけっこう大変な思いでしたが)不正乗車など、
今は出来うる筈もないし、良き時代でしたね。

夜行列車などという言葉は今の若い人には知らない人もいるのかも知れません。
消えゆく夜行寝台特急。
消え去る前に一度乗ってみるのも、いいかも知れないね。

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思い出の仙台バラライカ・その4

2021-03-19 05:14:02 | 歌声喫茶
11.10.08.収穫の歌・仙台バラライカ


毎年秋に開催される深浦歌声ツアー。
この年は何と言っても、東日本大震災後、初めてのツアーという事です。
2階にあるバラライカの店も鉄製の階段が被害で傷んでしまい、
それがバラライカの寿命を縮めてしまったのでした。



仙台ではみんなと市内観光。
青葉城や宮城県立美術館などを観光しました。

11.10.08.紅葉・仙台バラライカ


11.10.08.里の秋・仙台バラライカ


11.10.08.嵐・仙台バラライカ


そして、憧れのバラライカでの歌声喫茶。
本当に、バラライカのあの雰囲気は素晴らしい。
あれだけは何処の歌声喫茶にも無い、唯一の最高峰です。

11.10.10.気仙沼・鹿折唐桑地区・津波の惨状


バラライカの歌声から一夜明けた翌日。
皆んなは深浦へ向けて出発しましたが、
私はここから独りで別行動、被災地、気仙沼へ行きました。
みんなは「何で深浦へ行かないの?独りで淋しいでしょう」
とか散々言ってましたが、
私は深浦には御免なさいですが、頭は既に気仙沼しかありませんでした。

私には津波の被災地を何が何でもこの目で見たい、
被災者たちの目線に立って彼等の苦しさを少しでも理解したいという気持ちでした。
使わなくなっていたトランペットを地元の学校に寄付したいと思っていました。
動画を観ても感じるのですが、とにかく人が歩いていないんです。
人の姿などまず見ないのです。
それは、石巻・気仙沼・南三陸町・陸前高田、どこでもそうなんです。
私の様な部外者であっても、人が歩いている姿を見かけると、
何かホッとした思いがあるのです。

11.10.10.気仙沼漁港の朝


気仙沼は東北第一の漁港です。
マグロやカツオ船が沢山、出発の準備をしていました。
よく見るとかなりの船員が東南アジア系だという事がわかります。

どんな夜でも、朝は必ずやって来る。
そういった事を想いながらカメラを回していました。

私は皆さんに、出来る限り、一度被災地へ行ってほしいと思います。
もう10年経ってしまったので、
そのままの姿はまず残っていないとは思いますが、
それでも、その場に行けばきっと心に感じるものはあると思うのです。
そして、決して彼等の悲しさを忘れないで欲しいと願っているのです。

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