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あれから10年。間もなく10年が経ちます。
2011年3月11日、午後2時46分。
東北地方を襲った大地震は巨大津波を引き起こし、
福島第一原発のメルトダウンという予想外の被害まで起こしてしまいました。
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私は津波から3か月後の6月12日に石巻に行きました。
石巻の日和山(ひよりやま)公園に登り、向こう側(太平洋側)を見たのが、
初めて見た津波の光景でした。
ここに載せた写真は私が撮った写真は、敢えて一枚もありませんが、
全部がその通りでした。
この坂道を、人々は日和山公園へ登り、そこであの恐るべき光景を見てしまったのでした。
日和山から見た光景は、私は生まれて初めての衝撃でした。
あれほどの衝撃を受けた事など今までに一度もありませんでした。
目の前に広がる、かつて街があった場所には何もなく、
全てを津波に根こそぎ運ばれてしまい、殆ど何も残っていなかったのです。
ただただ息を呑んで立ちすくんでしまいました。
目からは涙が自然と流れていました。
呆然自失、あの時がまさにそれでした。
見える範囲だけでも、一体どのくらいの人が亡くなってしまったのだろう?
どれほどの人が人生の全てを失ってしまったのだろう?
その阿鼻叫喚の光景を思うと、今でも泣けてきます。
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公園の下にある門脇小学校は津波火災で全焼。
小学校の右上に日和山公園があります。
眼前で自分の生まれ故郷が、人生の全てがあった場所が流されてゆく絶望感。
その悲しさ、恐怖は如何ばかりだったでしょう。
もう戻りたくても戻る場所はないのです。
今夜、寝る場所はどこにも無くなってしまったのです。
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それから私は5回、全部で6回の被災地を訪れました。
気仙沼2回・南三陸町・陸前高田・そして再び石巻。
行って何をしたの?
いえ、何も出来ませんでした。
ただ、そこに居た人達の事を想っていただけです。
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歌声旅行で青森県の深浦町に皆が行った時も、
私だけが別行動で被災地を独りで歩いていました。
みんなは「河童さん、独りで淋しいでしょう」と言ってましたが、
私は独りで被災地に行きたかったのです。
沢山の写真を撮りました。
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最初は、「俺はこの被災地で何をしているんだろう?」
「こんな事してても意味ないだろう」という自問自答がありました。
しかしある時、被災地の人の言葉を聞いて少し救われた気がしました。
「誰であろうが、人が歩いている姿を見るだけで救われる気がする」
何と悲しく切ない言葉でしょう。
「そうか、俺が独りで歩いている姿を誰かが見て、救われているのかも知れない」
本当に被災地を歩いている人の姿なんて殆ど見かけないのです。
そして行った先では宿泊をし、食堂で何かを食べている。
タクシーも使うし、自販機で飲み物を買っている。
間違いなく、被災地にお金を俺は落としているんだ。
それが少なくても無駄な金ではないんだ。
使わなくなっていたトランペットだって寄付してきたし、
俺のやってる事は無意味ではないんだと、慰める事ができました。
歌声喫茶に行くと、私は「どうか東北の被災地に行ってください」
そういった事を少しは言ってました。
あの現場の姿は日本人として絶対に見て欲しかった。
最初は物見遊山で見物に行く事にとても罪悪感がありました。
しかし、まさか被災地の人達が、
「見てくれよ、俺達の現場を見てくれよ。
これが津波の本当の姿なんだよ。それを知らない人達に、
少しでもこの現実を見て知って欲しいんだよ、俺達は」
そういった事だったなんて全然知らなかったのです。
物見遊山でいいのです、現実を見る事が大切だったのです。
今から行っても、以前の風景はどこにも在りません。
在るのはかさ上げをした、全く新しい東北です。
それでもいい。
何が何でも東北の現場は、そして原発の被災地は、見る事が大事なんです。大切なんです。
それを見る事は日本人としての義務だと思います。
何を差し置いても一度は必ず行って、見てください。
行ったら、誰でもいいからお話をしてください。
すこしでもいいから、あの話を聞いてあげてください。
そして、東北を、あの人達を・・・忘れないでください。