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我が母校の校歌

2021-03-20 06:28:09 | 日記
品川区立第二延山小学校 校歌【MIDI演奏】【DTM DAW MIDI】【打ち込み】


ユーチューブ動画というのは、本当に凄いですね。

私が人生で初めて通った小学校の校歌が出てきました。
東京都品川区立第二延山小学校。
こんなのが出てくるなんて本当に嬉しい。

「庭に集えば空広く 友と友とは親しみて
 磨くも嬉し輝かに 日本の光この誠 第二延山我が母校」

私の家の最寄り駅は、当時は東急・目蒲線の洗足駅でしたが、
小学校の最寄り駅は同じく東急ですが、大井町線の旗の台駅でした。
家から学校まで地図で計ったら400メートル程度でした。
小学生の足で10分くらい歩いていた様な気がします。

学校の真横には立会川が流れていて、
現在は多分、暗渠になっているのでしょうが、
当時はかなり深く切り込まれた川になっていました。

1年生の時の、人生で初めての担任の先生は、
上園先生という鹿児島出身の色の黒い小柄な男性教師でした。
まだ教師になって日が浅かったと思いました。
「これが桜島大根だよ」と言って、
白い部分がまん丸い大きな大根を持ってきて生徒たちに見せてくれました。
まだ小さい子供でしたが、
子供心に「この先生はいい人なんだな~」と感じていたのを、よく覚えています。

2,3年は同じ担任の先生で、
名前は(たてや先生)漢字が分からない・・という男性教師でした。
身体が大きく、ハンサムで父兄(特に母親)から、かなり人気があったみたいです。
きっと、いい先生だったのでしょうが、あまり印象に残っていないんです。

今でもその歌詞「だいに~、え~んざん、わ~が~母校」のメロディーを思い出します。
いい学校だったな~。

品川区立城南中学校校歌


もうひとつは、
同じ品川区立の城南中学校校歌。

品川区でも、最初は目蒲線・洗足駅でしたが、
小学校3年生になる時に、大井町へ引っ越しました。
それで小学校は、浅間台小学校になって6年生で卒業。

中学校は指定区域では東海中学だったのですが、
母が近所の評判を聞いて、城南中学へ越境入学をさせたのです。

評判通り、いい学校だったと今でも思います。
初恋を経験したのも、この中学でした。
最後まで同じクラスにはなれなかったのが悔しかったのですが、
ブラスバンドでクラリネットを吹いていた可愛いこでした。

この中学の同窓会は卒業して間もない頃、
一度だけ行った様な記憶が微かにあるだけで、
その後はあちこち引っ越したりしたので縁が切れてしまい、連絡も無しでした。
ただ同じ中学を卒業した姉が比較的、そういった同窓会とかを、
やっていたので、
50歳になりかならずかの時に、同期会に行った事があります。
もう既に数人の男性が鬼籍に入っていましたね。

「東に開く品川の 八重の潮路の開く時 希望は胸に溢れきて
 我が窓常に風清し 嬉し我が 学びや嬉し」

この動画では、懐かしい理科の先生が写っていて、
本当に嬉しくなりました。
あの先生も、大人になってから、その人間性の良さを感じられて、
やっぱり人は最後には人間性しか残らないんだなと思いました。

小学校・中学校と、いい母校に恵まれた人生でした。




コメント
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