『佐藤琢磨』インディ500優勝!快挙
日本人ドライバーの佐藤琢磨が、インディー500に優勝しました。
と言っても、遅まきながら(5月28日)の事です。
これは・・「もの凄い」・・事です。
車好きの日本人には、信じられない事でした。
そう言っては彼には申し訳ないのですが、
彼も、その辺の事は重々承知していると思います。
信じられない・・・
そのくらい、日本人ドライバーは世界的カーレースに於いて、
優勝とは無関係だったのです。
私がオートバイを好きになったのは13歳でした。
それ以降、ずっと車好きをやってるのですが、
と言っても私はカーレースというのはあまり好きではなく、
道なき道を行くといったアルペンドライブや、
オートバイではトライアルといった方面が好きなんです。
誰も行かない様な荒れ果てた林道に入り込み、
もしスタック(車が動けなくなる)したらオシャカみたいなのが好きでした。
何度もそんな林道や河原に、ノーマル車で入っては、
独りで楽しんでいました。
ジープで入り込んでも、それが可能なのは当たり前、ジープなんですから。
普通の車で、それをやるとこに醍醐味があるのです。
誰もが「あいつは、もう川にはまって動けない」と眺めている時、
彼等の思惑を外して脱出しちゃうトコに腕の見せ所があり、面白いのです。
しかし、カーレース。
いわゆるスピードレースというのは、
そういった車の楽しみ方とは、まるで別物。
昔、知り合いに(飛ばし屋)がいました。
彼は、一旦車に乗ろうものなら、アクセル全開。
高速道路など200キロ超しか彼にはありませんでした。
私はそういった(飛ばし屋)ではないので、
カーレースにはそれほどの興味はありません。
でも、日本人がレースでは、まるで情けない状態である事は、
ある面悲しさを感じていました。
オートバイでは、天才と言われた、伊藤史郎。
彼は大きな事故を起こしてから、その才能が発揮できなくなってしまいました。
高橋国光・星野一義・中嶋悟・鈴木亜久里・片山右京・
みんなダメでしたね。
世界のカーレースには3つの大きなレースがあります。
モナコグランプリ。
ル・マン24時間レース。
そして、アメリカの、インディー500(マイル)。
モナコとル・マンは、ヨーロッパでの、公道、
つまり普通の道路を使ってのレースです。
その為に、急なカーブがあったりで、テクニックは非常に難しいのです。
それに比べて、アメリカ・インディアナポリス州で行われるこのレースは、
如何にもアメリカ人の好みそうなレースで、
カーブのテクニックとか、小うるさい事などはどうでもいい。
要はぶっ飛ばせばそれでいい、最高のスピードが全てというレースなんです。
一周4キロの楕円形のコースを200周するというレースです。
しかし、カーブのテクニックなど不用なので、簡単という気がするのですが、
とんでもない、その超高速(最高時速は380キロ)を操るテクニックは並大抵ではないのです。
モナコの平均時速が160キロ。
ルマンが240キロに比べ、
インディーがどれほど、ぶっ飛ばすレースかが分かります。
私は、日本人にはカーレースの才能が無いのではないかと思っていました。
だって、それまでの歴史を見るとそう思わざるを得ないからです。
このインディー500に4回の優勝をしたのは、
A・J・フォイト。(アンソニー・ジョセフ・フォイト・ジュニア)他に3人。
彼は1935年生まれで、その名前は私も覚えています。
また、3大レース全てに優勝したのは、
グラハム・ヒルただ一人で、その名前は私もよく覚えています。
そういった歴史に残るレーサーを見ると、
日本人というのには、レースの才能が無いのかな~と、
チョッと淋しい気がしていたのですが、
それを佐藤琢磨という40歳のレーサーが破ってくれたのです。
イヤー嬉しかった。
涙が出ました。
解説者が、絶叫している動画を観ながら、泣けてきました。
「これ、夢じゃないでしょうね~、夢じゃないでしょうね~」
という言葉には・・もう泣けて泣けて・・
遂に・・とうとう日本人が世界の三大レース優勝者に名を残す。
まさか、こんな日が来ようとは・・・
私が生きている内にこんな日が来ようとは・・・信じられない・・泣きました。
私は、カーレースというのに基本的には興味はそれほど有りません。
高速で車を走らせるという行為もさほど好きでは有りません。
でも、車が大好きな人間として、日本人として、
佐藤琢磨のインディー500優勝は、
ある意味、幕末維新の英雄に匹敵する人が現れた。
そんな気さえするのです。
ありがとう、佐藤琢磨、貴方は私達日本人車好きの夢を叶えてくれました。
ありがとう。本当にありがとう。
日本人ドライバーの佐藤琢磨が、インディー500に優勝しました。
と言っても、遅まきながら(5月28日)の事です。
これは・・「もの凄い」・・事です。
車好きの日本人には、信じられない事でした。
そう言っては彼には申し訳ないのですが、
彼も、その辺の事は重々承知していると思います。
信じられない・・・
そのくらい、日本人ドライバーは世界的カーレースに於いて、
優勝とは無関係だったのです。
私がオートバイを好きになったのは13歳でした。
それ以降、ずっと車好きをやってるのですが、
と言っても私はカーレースというのはあまり好きではなく、
道なき道を行くといったアルペンドライブや、
オートバイではトライアルといった方面が好きなんです。
誰も行かない様な荒れ果てた林道に入り込み、
もしスタック(車が動けなくなる)したらオシャカみたいなのが好きでした。
何度もそんな林道や河原に、ノーマル車で入っては、
独りで楽しんでいました。
ジープで入り込んでも、それが可能なのは当たり前、ジープなんですから。
普通の車で、それをやるとこに醍醐味があるのです。
誰もが「あいつは、もう川にはまって動けない」と眺めている時、
彼等の思惑を外して脱出しちゃうトコに腕の見せ所があり、面白いのです。
しかし、カーレース。
いわゆるスピードレースというのは、
そういった車の楽しみ方とは、まるで別物。
昔、知り合いに(飛ばし屋)がいました。
彼は、一旦車に乗ろうものなら、アクセル全開。
高速道路など200キロ超しか彼にはありませんでした。
私はそういった(飛ばし屋)ではないので、
カーレースにはそれほどの興味はありません。
でも、日本人がレースでは、まるで情けない状態である事は、
ある面悲しさを感じていました。
オートバイでは、天才と言われた、伊藤史郎。
彼は大きな事故を起こしてから、その才能が発揮できなくなってしまいました。
高橋国光・星野一義・中嶋悟・鈴木亜久里・片山右京・
みんなダメでしたね。
世界のカーレースには3つの大きなレースがあります。
モナコグランプリ。
ル・マン24時間レース。
そして、アメリカの、インディー500(マイル)。
モナコとル・マンは、ヨーロッパでの、公道、
つまり普通の道路を使ってのレースです。
その為に、急なカーブがあったりで、テクニックは非常に難しいのです。
それに比べて、アメリカ・インディアナポリス州で行われるこのレースは、
如何にもアメリカ人の好みそうなレースで、
カーブのテクニックとか、小うるさい事などはどうでもいい。
要はぶっ飛ばせばそれでいい、最高のスピードが全てというレースなんです。
一周4キロの楕円形のコースを200周するというレースです。
しかし、カーブのテクニックなど不用なので、簡単という気がするのですが、
とんでもない、その超高速(最高時速は380キロ)を操るテクニックは並大抵ではないのです。
モナコの平均時速が160キロ。
ルマンが240キロに比べ、
インディーがどれほど、ぶっ飛ばすレースかが分かります。
私は、日本人にはカーレースの才能が無いのではないかと思っていました。
だって、それまでの歴史を見るとそう思わざるを得ないからです。
このインディー500に4回の優勝をしたのは、
A・J・フォイト。(アンソニー・ジョセフ・フォイト・ジュニア)他に3人。
彼は1935年生まれで、その名前は私も覚えています。
また、3大レース全てに優勝したのは、
グラハム・ヒルただ一人で、その名前は私もよく覚えています。
そういった歴史に残るレーサーを見ると、
日本人というのには、レースの才能が無いのかな~と、
チョッと淋しい気がしていたのですが、
それを佐藤琢磨という40歳のレーサーが破ってくれたのです。
イヤー嬉しかった。
涙が出ました。
解説者が、絶叫している動画を観ながら、泣けてきました。
「これ、夢じゃないでしょうね~、夢じゃないでしょうね~」
という言葉には・・もう泣けて泣けて・・
遂に・・とうとう日本人が世界の三大レース優勝者に名を残す。
まさか、こんな日が来ようとは・・・
私が生きている内にこんな日が来ようとは・・・信じられない・・泣きました。
私は、カーレースというのに基本的には興味はそれほど有りません。
高速で車を走らせるという行為もさほど好きでは有りません。
でも、車が大好きな人間として、日本人として、
佐藤琢磨のインディー500優勝は、
ある意味、幕末維新の英雄に匹敵する人が現れた。
そんな気さえするのです。
ありがとう、佐藤琢磨、貴方は私達日本人車好きの夢を叶えてくれました。
ありがとう。本当にありがとう。