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世界文学全集

2016-08-05 21:46:49 | 日記
私が若い頃には、「世界文学全集」が本屋さんには、必ずあった様に思います。
何処かのコーナーにそういった全集が鎮座している光景があった様に思います。

しかし、この二十年、あるいは、もっと以前から、
「世界文学全集」は(売れない本)となり、
もう何処の出版社でも出さなくなってしまったと聞いていました。

そこで、ネットで調べてみたら、
「世界文学全集」というシリーズはありました。
ですが、その本のタイトルを見て、かなり驚きました。
というのは、以前の世界文学全集とは、
全く別物の本ばかりだったからです。

昔あった、
「戦争と平和」「レ・ミゼラブル」「大地」「静かなドン」「嵐が丘」
そういった本は絶滅していたのです。
あるのは、私のまるで知らないタイトルの本ばかりでした。
これには、かなりショックを受けました。

私はいわゆる(本の虫)ではありません。
基本的に本は好きですが、では年がら年中、本を読んでいるかと言えば、
そうではありません。
ただ、娘には「勉強なんかしなくてもいいよ。だけど本だけは沢山読みなさい」
と言い聞かせていました。
本という物の価値は充分に知っていると思っています。


今から十五年くらい前、
古本屋に「世界文学全集」が一冊100円で沢山並んでいました。
そこで私はその中から、
スタンダールの「赤と黒」
スタインベックの「怒りの葡萄」の2冊を買ってきました。

若い頃にそういった純文学を読まなかった後ろめたさからだったのでしょうか。
しかし、その2冊とも途中で読むのをやめてしまったのです。
「赤と黒」今から200年前とかのヨーロッパの話。
そんな世界は、あまりにも現実離れがしていて、
いくら読み進んでも、その世界に没頭できなかったのです。

「怒りの葡萄」
1930年頃のアメリカの世界恐慌から始まる物語。
これも「赤と黒」と同じで、その世界に心が入っていけず、反応しなかったのです。

これは自分自身だけの情けない事態なのかと、
その頃は反省心みたいな思いを引きずりました。
が、ある時、私と同じ思いをした人の話を何かで見かけ、
「あ~、あの気持ちは自分だけじゃなかったんだ」とホッとさせられた事があります。

そうなんですね。
世界的な本というのは、ある意味、タイムリーである事。
これも大変重要なんだと理解する様になったのです。

例えば(村上龍)
私は彼の本を読んだ事はないし、それほど読まねばという気持ちにもならなかったのです。
ですが、今やいつもノーベル文学賞候補とか言われていて、
外国の特に若者たちには絶大な人気だとか・・・

「世界文学」というのは、そういった具合に、
時代と共に絶えず変化するものなんですね。
ただ単に昔から有名な本だからといって(読まねばならん)ではないのですね。

「赤と黒」「怒りの葡萄」を放っぽり出した私は、
それほど後ろめたい気持ちになる事もなかったみたいですね。


コメント
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