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河童の歌声

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日本最大の獣害事件・・三毛別羆事件

2023-11-13 15:25:50 | 事件・事故
【睡眠用】三毛別羆事件②


今年の日本は、熊の被害事件が多発しています。
今年はあまりにも暑く長く、異常としか言いようのない夏でした。
それがきっと一因でもあるのでしょう。
先日も死者が出てしまいました。
負傷者は数知れずという、異常事態になっています。



私はそれらの記事を見ると、以前読んだ本。
吉村昭氏の「羆嵐」を思い出します。





吉村昭氏が「羆嵐」を書くにあたって、その基になった本が「慟哭の谷」です。
これは「羆嵐」が小説として書いたのとは違って、
著者の木村盛武氏が、北海道庁の林務官(国有地の管理をする)
としての経験から、三毛別羆事件を執念で克明に調べ上げたいわゆる調書的な本です。
木村氏は事件当時は5才の少年でしたが、親などから事件の詳細を何度も聞いたそうです。
そして、職業柄、羆の出没する地帯を頻繁に歩き、
九死に一生に近い経験もしているのです。



三毛別羆(さんけべつ、ひぐま)事件というのは、
1915年(大正4年)の暮れに北海道で起きました。
即死者6名。胎児を入れると7名。負傷者は2名でした。
傷が元で2年8か月後に亡くなった少年を入れると、実に死者8名となります。

羆は最初に喰った人間が男だと男だけ、女だと女だけを喰うらしいのですが、
実際に喰われたのは女だけでした。
そしてその現場を見た者は、あまりのむごたらしさに嘔吐する者もいます。
もはや人間の形などなくなって喰い荒らされているのですから、嘔吐もするでしょうね。

そして村人は羆の習性というのを全く知りませんでした。
羆というのは、一旦エサとして獲った物は、あくまでそれに執着して取り戻そうとするのです。
ですから、村人達が喰われた女の残骸を家に持ち帰り通夜を行っていたその場に、
再び現れ、惨劇をより大きく悲惨なものにしてしまったのでした。

村人達は持っていた猟銃5丁で対抗するのですが、
猟銃というのは普段から手入れをしていないと使い物にならず、
弾丸が発射できたのは、たった1丁だけ。
そして命中率となると、経験がものをいう世界。
普段、発砲練習などしていない農民が撃ったところで当たる筈もないのです。

彼等は羆から見ると、人間というエサの集団でしかないのです。
なすすべなく途方に暮れるばかりの彼等は30キロ離れた警察署に救援を頼みに行きます。
といっても電話など無い田舎ですから、
深い雪の中を羆の恐怖に怯えながら歩いていくしかありません。
それはある意味、決死隊といった方が当たっています。

3日目にやっと警察隊数十人が到着し、みなはこれで羆を撃ち取れると安堵しました。
しかし、いざ羆の姿を見たり、狙撃したりとやっている内に、
警察隊には何の力も無い事を、警官たちも村人達も感じたのです。
警察も村人もただ数が増えただけの(人間というエサの集団)でしかないと痛感するばかりでした。

村人達は警察隊に失望し、村長は遂に(伝説のマタギ兵吉)を頼もうと思うのでした。



しかし、兵吉は村人たち誰からも嫌われている大酒飲みで、喧嘩を吹っ掛ける荒くれ者で、
兵吉に怒りを隠せず挑んでいった若者達に兵吉は打ち負かされた様に見せながら、
若者達が疲れてしまった時に、彼等を叩き伏せてしまうのです。

村長からの要請を受けた兵吉は、
普段の荒くれ者とは違った真摯な態度で現われ、村人達を驚かせます。
そして村長が見込んだ腕前で、7名を殺した羆を撃ち倒したしたのでした。
しかし、羆を撃ち取った兵吉の顔色は真っ白だったそうです。
伝説のマタギであっても、しくじれば殺される、まさに命がけだったのです。

村人達にこの悪魔を見せようと、山から降ろそうとしたのですが、
それを運ぶソリを引く馬は、死んでいるとはいえ巨大な羆に怯えて使えなかったそうです。
結局、人力で羆を学校の校庭まで運び、大きな鍋に羆の肉を入れて皆で食べたのです。
しかし、みなは知り合いの人を喰った羆の肉を食べる事に拒絶反応を示したのですが、
兵吉が「人を喰った羆の肉を喰うというのは仏に対する供養だ」と言うのでした。
また、それがしきたりでもあると。

最初は嫌がった村人たちも、普段は肉など食べられない貧しい生活なので、
一旦箸をつけると、その内喜んで食べだしたのでした。



この事件は1990年に松竹で映画化されています。
タイトルは「リメインズ・美しき勇者たち」
真田広之主演で、これはDVDで観ました。

また、1980年にはTBSラジオの2時間ドラマで放送されました。
高倉健がマタギ、山本兵吉だったと思うのですが、
これを聴いた事があります、とっても良かった。
できればもう一度聞きたいと思うのですが、多分もうダメなんでしょうね。

(追伸)
「TBSラジオドラマ、三毛別羆事件」で検索したら、割と簡単に出ました。
111分の力作をもう一度聞く事ができて良かった。


それにしても、三毛別羆事件が人々にいかに大きな印象を残した事か。



事件現場には、こういったのが残されているし、記念碑もあります。
また、事件から〇〇年の供養といった行事も行われているみたいです。

熊という野獣は、音を恐れ、火を恐れ・・・
そういった常識がまるで間違っていたという真実が段々と分かってきました。
人間を恐れる内は、人間の存在を意識させる(音)に反応して遠ざかって行きます。
しかし最近の熊は人間を恐れなくなっているので、音を聞いて逃げるをしません。
熊よけ鈴など無意味になりつつあるし、ラジオの音を流してもダメ。
音にも火にもまるで動じません。
走って逃げても彼等は時速50キロ。木に登ってもダメ、死んだフリなどしても無意味。
羆といった体重が300キロを超す大型野獣に敵うのは多分、機関銃しかないでしょう。

つまりヒグマやツキノワグマから逃れるには、そういった場所に行かない事。
もし熊に襲われたら、もう神様に祈るしかないな。
神のみぞ知る、アーメン。

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乗鞍岳バスターミナル熊襲撃事件

2023-11-10 19:05:20 | 事件・事故
大勢の観光客が集まるバスターミナルに突然熊が!連休で賑わう観光地が怒号と悲鳴でパニックに!「乗鞍岳クマ襲撃事件」


今年は熊による被害事件が異常に多発しています。
先日は北海道で大学生が亡くなり、
3人の男性が大学生を殺した羆の襲撃を受けました。

2009年9月19日。
中央アルプス乗鞍岳のバスターミナルに熊が出没し、
たった30分間に重傷3名、軽傷7名を出す事件が起きました。






私はそのバスターミナルに歌声バス旅行で、
2017年9月3日に行った事があります。
その時、駐車場の方から、2009年の熊事件の事を聞かされました。
私達は「この辺から熊が現れた」といった話をしながら歩いた事を覚えています。

動画を見るとわかるのですが、この熊は「ツキノワグマ」であり、
体長130センチ、体重68キロと比較的小柄な熊ですが、
その攻撃を誰も撃退できずに、一方的に被害を受けた事がわかります。
熊というのは実に恐い野獣なのです。
熊というと日本ではツキノワグマを指し、
羆(ひぐま)というと、それは北海道に住む熊の事を指します。

1915年に北海道で発生した日本最大の獣害事件「三毛別羆事件」では、
即死6名、胎児を入れると7名、怪我が元で後日死亡した少年を加えると8名死亡。
この羆の大きさは体長270センチ。体重380キロと言いますから、
乗鞍岳のツキノワグマとは比べ物にならない巨大さです。
体重68キロの小型の熊でさえ、防ぐ事はできなかったのですから、
羆の攻撃を受けたら人間など、ひとたまりもなく殺されてしまいます。
ライオンや虎が、最大でも200~250キロですから、
体重400キロ近くの羆が如何に恐ろしい野獣であるかが分かります。




2015年6月に私は妻と北海道旅行に行きました。



知床5湖巡りという散歩コースがあるのですが、





そこは大きく2つに分けられます。
〇 地上遊歩道(黒いコース)
〇 高架木道 (赤いコース) の2つです。

地上遊歩道は距離が長く、羆を見られるチャンスもあるかもしれないそうです。
高架木道は、羆に出会っても羆には登れない高架道になっていて安心です。
私達は、勿論高架木道コースを選びました。
マタギという大型獣を専門に撃つ猟師がいますが、
彼等でも羆を仕留めるのは中々難しいのです。
コースガイドさんに付いて歩くらしいのですが、
もし羆に出くわしたら、ガイドさんなど何の役にも立ちませんから。

それはきっと正解だったと思うのですが、
最近は音を出しながら歩いても、人間を恐れない羆が増えていて、
音を出そうが、火を焚こうが、死んだフリをしようが、走って逃げようが、
木に登ろうが、結局人間が羆から逃れる術は何も無い事が分かってきました。

そばに鉄砲を持った人がいても、命中させるのはかなり難しいし、
1発撃ち損じたら、もう終わりでしょうし、
結局、自動小銃でもないとダメかもしれません。

だったらどうすりゃいいの?
そういった場所には近づかないのがいちばん。
でも、そうはいきません、羆が人間の生活圏にまで入り込んで来たのですから。
「可哀想だから熊を殺さないで」と、
自分は熊と何の関係もない世界に住みながら、抗議電話をしてくる人が後を絶たないそうです。
まったく、そういった場所で生活せざるを得ない人間の命を何だと思っているんでしょう。


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三原山、空前の自殺ブーム

2023-07-14 07:06:40 | 事件・事故


1933年(昭和8年)2月12日、
伊豆、三原山噴火口に女学生が身を投げ、自殺したという一報が入りました。





彼女は友人と2人で三原山に登り、
突如、松本貴代子(21歳)が噴火口に身を投げ自殺を遂げたという事です。
一緒に行ったのは富田昌子(21歳)で、
彼女は松本貴代子の自殺の立会人として同行したらしいのです。

松本貴代子には、親友グループが4,5人いたのですが、母の居ない淋しさなどがあり、
この世をはかなむ、後になって考えると自殺をほのめかす言動が散見されていたとも言える貴代子でした。

大島に渡り、2人で三原山に到着したのですが、
貴代子が自殺に向かって歩と進めるのを、富田昌子は「ダメよ、行きてこそ人生でしょ」と説得するのですが、
「クラスの皆様によろしく」と噴火口に向かって身を投げていったのでした。

いち女学生の耽美な自殺が、当時の青春の若者達の心を揺さぶり、
それに共感し、共鳴した若者達の自殺ブームに火を点けてしまったのです。





事件から10日目から自殺者が現れだして、
5月7日には一日で6名が自殺するという異常事態になります。

三原山での自殺熱は過熱の一途をたどり、東京を出港する船に、日曜日など1500人を超える乗船客。
島内の警察署では、たった4人の警察官しかいないので対処が出来ず、
その内、三原山登山をあきらめ、警察署内で自殺を図る者まで出る始末。

結局、三原山病とまで言われた自殺者は、944人に達し、
一日で32人の最高数となった日もありました。

時代というのは、どうしようもないものですね。
でも、自分というかけがえのない存在は、そんなにも軽いものなんでしょうか?
そこが、どうにも理解できないのです。


昭和初期には、不治の病(結核)があり、
226事件といった軍閥の台頭という厭世観が漂い、自殺願望者が増えた時代だったのでしょうか。



イランのフセイン大統領。
逮捕され死刑は確実と言われているのに、最後まで己の命があきらめられず、
結局、死刑にされてしまいました。
そうでしょ、人間って最後まで生きていたいと思うのが人間でしょ。
それが万葉集的な美しさを想い、憧れて自殺してしまう。
人間の心って、時代差が大きいというのはありますが、そんな簡単に死ねるのでしょうか。

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深海潜水艇タイタンの圧壊事故

2023-06-25 07:02:57 | 事件・事故


タイタニック号を見物に行く、深海潜水艇タイタンが圧壊しました。
それが何メートルで圧壊したかは、まだ分りませんが、
少なくとも、船内に残された酸素で最後まで生きていたという、最悪の事態ではなく、
一瞬にして即死した事は、苦しみが少ない分、良かったのだと思います。

世界中の海底には、何十万隻という船が沈んでいます。
特に戦争の為に沈んだ船には、逃げ出す暇もなく、
そのまま海底に引きずりこまれた船は沢山あります。
そういった船内に閉じ込められた状態だった人は、
海底に着くまで、そして海底に着いても数時間は生きていて、
精神的にも肉体的にも、地獄を味わいながらゆっくりと死んでいくのです。
そしてそういった人の死体は、永久にそのままなのです。
そういった死に方を思うと、ゾッとします。

しかし、タイタン号の5人は、そういった意味では(幸せ)でした。
一瞬で死んだ方が良かったのですから。



1981年の映画に「Uボート」があります。
この映画はヴォルフガング・ペーターゼン監督が40億円をかけて製作しました。
実物大のUボートのレプリカを建造するという力作で、
数ある潜水艦映画のトップクラスの秀作で、私は何度も観ています。

そのドイツの潜水艦がヨーロッパとアフリカ大陸との境目である、
ジブラルタル海峡を突破するのです。
狭いジブラルタル海峡を突破するという行為は命がけの危険な賭けです。

そして、案の定敵に発見されてしまい、地獄の様な爆雷攻撃を受けます。
船体に重い損傷を受けたUボートは沈没して行きます。
あらゆる手段で沈没を回避すべく努力するのですが、艦の沈下を止められなくなってしまいました。

潜水艦には深度計があり、Uボートの場合、
緑色の安全深度は100メートル、
100~165メートルはオレンジ色になっています。
165~260メートルは、赤色の危険色になっています。

ちなみに、映画に登場するUボートはドイツ海軍で最も多く製造された艦種であり、
その圧壊深度は230~250メートルとされていました。
各国の潜水艦が最も極秘とするのは、この圧壊深度なのです。

どこの国の潜水艦でも安全深度は、ほぼ圧壊深度の半分とされています。
つまり、このUボートの場合では、115~125メートルまでが、一応安全深度なのです。
160メートル辺りから緩いボルトが抜けて吹き飛んできました。
そんなボルトをまともに顔面などに受けたら大怪我をするか死ぬかです。
パイプの繋ぎ目からは激しい漏水があり、スパナできつく締め直します。

更に深度が増してくると船体は水圧で不気味なきしみ音を発し、
漏水は更に激しくなり、船体にゆがみが生じ、
それは角材などで、つっかえ棒をしないと即、圧壊に繋がりかねません。
乗組員全員が水に浸かりながら、死に物狂いになります。

そうした時に、船体は衝撃を受けて沈下が停まったのです。
それはつまり船は海底に着いたのでした、
その深度は280メートル。よくぞ保ったものです。

用の無くなった者は、酸素消費を少なくする為に眠ります、
修理をする為の人だけが十時間以上の必死の修理にたずさわります。
そして、遂に浮上できるかダメかの瞬間が訪れます。

結果は、浮上に成功したのですが・・その後は・・・

潜水艦事故というのは、深度という水圧との戦いであり、
船内に残された酸素という極めて難しい時間との戦いです。
例え沈没個所が特定できたにしても、乗組員をそこからどうやって安全に救い出すか、
そこが非常に難しく、潜水艦沈没事故から救い出された事は、奇跡というくらいなのです。

ですから、私はタイタン事故が起こった時から、
これはダメだなと思っていました。
でも、酸素地獄の死ではなく、一瞬の圧壊であったので、
こう言ってはなんですが「良かった」と思っています。

遊びで潜水艦などには、決して乗るものではありません。
兵隊の中で、最も人気の無い、なり手の無い部署、それが潜水艦なのです。
そんなトコに高額のお金を払ってまで、今更タイタニックなど見たいと思いますか?
そんなのは映像で観ていればいいと思うのですがね~。

でも、事は全て後の祭りとなってしまいました。
気の毒でしたね~。



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危険すぎる遊び

2023-06-22 07:11:29 | 事件・事故




沖縄でダイビングツアー客10人が一時行方不明になりましたが、
全員がかろうじて救助されたというニュースがありました。

何年か前にも日本人ツアー客の事故が、南太平洋だったかであり、
その内何人かが結局行方不明のままで、捜査も打ち切りになった事件がありました。



それとは別に、現在アメリカではあの有名な、4000メートルの海底に眠る、
タイタニック号を見に行く潜水艇の事故があり、大騒ぎになっています。
潜水艇の内部酸素の残り時間が刻々と迫っている緊迫したニュースで持ちきりになっています。
これは客観的に見て、極めて絶望的だと思われます。


この3つの事故で思うのは、
自分達の安全性の保障がどこにも無いという事です。
ダイビング事故では、自分達を拾ってくれるであろう船が、
完全に完璧にそこに居る、待機しているという保証が全く無いのです。
居なければならない、居る筈だという、こちら側の思いとは無関係に、
何か手順の狂いが発生したとしたら、一体どうなるのか、その保証が無いのです。

タイタニック潜水艇事故では、
あの潜水艇が全く何の問題も起こらずに帰還できるという保証が無いのです。
今になって、過去にこの潜水艇の関係者だったという方が、
あの潜水艇の安全性に問題があったと言っています。

2つの事故の怖さは、
自分達に万一の事が起こったら、もう自分達に出来る事はほぼあり得ずに、
関係者が努力して自分達を助けてくれる事を祈るしかないのです。
彼等のその時の心境を思うとゾッとするばかりです。



劇画の「ゴルゴ13」
完璧な狙撃者、完全無比の犯罪者。
彼は狙撃を行った後に、己の身の安全を完璧に求めます。
誰かが自分の為に何かをしてくれる(筈だ)など考えません。
そんな保障の無い世界に自分の身の安全を求める事など考えません。
完全なる身の保証は、自分がやらなければならないのです。

以前のブログにも書いたのですが、
1910年(明治43年)潜水試験中の第六潜水艇は、事故の為に浮上出来なくなりました。
出来得る限りの努力はしましたが、浮上の可能性は全くなく、
佐久間艇長らは、従容と死におもむき、その死は世界中に衝撃と感嘆を与えました。

誰かに自分の身を救ってくれる事を祈る。
この3つの事故は、みな(遊び)なのです。
遊びの為に、己の、たったひとつしかない自分の命を預ける事が出来ますか?
私にはできません。
そんな死に方はしたくありません。

昔、北アルプスの危険なルートを何度か行った事があります。
万一足を滑らせたら、200メートル落下する、そんなルートを何度か行った事があります。
しかし、もしそうなってもそれは自分の過ちの為に死ぬのであり、
誰かに自分の命を助けてくれる事を祈るのとは、訳が違います。
「あぁ自分は死ぬんだな、でも誰かが助けに来てくれる筈だ」
などという世界は、私は耐えられません。
たかが遊びの為に、そんな死に方はしたくありません。

しかし、世の中にはそれでも、そういった遊びから抜けられない人はいます。
その人達よ、もしその時が来たら、
第六潜水艇、佐久間艇長の、あの立派な最期を思いながら死にましょうね。



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