【睡眠用】三毛別羆事件②
今年の日本は、熊の被害事件が多発しています。
今年はあまりにも暑く長く、異常としか言いようのない夏でした。
それがきっと一因でもあるのでしょう。
先日も死者が出てしまいました。
負傷者は数知れずという、異常事態になっています。

私はそれらの記事を見ると、以前読んだ本。
吉村昭氏の「羆嵐」を思い出します。


吉村昭氏が「羆嵐」を書くにあたって、その基になった本が「慟哭の谷」です。
これは「羆嵐」が小説として書いたのとは違って、
著者の木村盛武氏が、北海道庁の林務官(国有地の管理をする)
としての経験から、三毛別羆事件を執念で克明に調べ上げたいわゆる調書的な本です。
木村氏は事件当時は5才の少年でしたが、親などから事件の詳細を何度も聞いたそうです。
そして、職業柄、羆の出没する地帯を頻繁に歩き、
九死に一生に近い経験もしているのです。

三毛別羆(さんけべつ、ひぐま)事件というのは、
1915年(大正4年)の暮れに北海道で起きました。
即死者6名。胎児を入れると7名。負傷者は2名でした。
傷が元で2年8か月後に亡くなった少年を入れると、実に死者8名となります。
羆は最初に喰った人間が男だと男だけ、女だと女だけを喰うらしいのですが、
実際に喰われたのは女だけでした。
そしてその現場を見た者は、あまりのむごたらしさに嘔吐する者もいます。
もはや人間の形などなくなって喰い荒らされているのですから、嘔吐もするでしょうね。
そして村人は羆の習性というのを全く知りませんでした。
羆というのは、一旦エサとして獲った物は、あくまでそれに執着して取り戻そうとするのです。
ですから、村人達が喰われた女の残骸を家に持ち帰り通夜を行っていたその場に、
再び現れ、惨劇をより大きく悲惨なものにしてしまったのでした。
村人達は持っていた猟銃5丁で対抗するのですが、
猟銃というのは普段から手入れをしていないと使い物にならず、
弾丸が発射できたのは、たった1丁だけ。
そして命中率となると、経験がものをいう世界。
普段、発砲練習などしていない農民が撃ったところで当たる筈もないのです。
彼等は羆から見ると、人間というエサの集団でしかないのです。
なすすべなく途方に暮れるばかりの彼等は30キロ離れた警察署に救援を頼みに行きます。
といっても電話など無い田舎ですから、
深い雪の中を羆の恐怖に怯えながら歩いていくしかありません。
それはある意味、決死隊といった方が当たっています。
3日目にやっと警察隊数十人が到着し、みなはこれで羆を撃ち取れると安堵しました。
しかし、いざ羆の姿を見たり、狙撃したりとやっている内に、
警察隊には何の力も無い事を、警官たちも村人達も感じたのです。
警察も村人もただ数が増えただけの(人間というエサの集団)でしかないと痛感するばかりでした。
村人達は警察隊に失望し、村長は遂に(伝説のマタギ兵吉)を頼もうと思うのでした。

しかし、兵吉は村人たち誰からも嫌われている大酒飲みで、喧嘩を吹っ掛ける荒くれ者で、
兵吉に怒りを隠せず挑んでいった若者達に兵吉は打ち負かされた様に見せながら、
若者達が疲れてしまった時に、彼等を叩き伏せてしまうのです。
村長からの要請を受けた兵吉は、
普段の荒くれ者とは違った真摯な態度で現われ、村人達を驚かせます。
そして村長が見込んだ腕前で、7名を殺した羆を撃ち倒したしたのでした。
しかし、羆を撃ち取った兵吉の顔色は真っ白だったそうです。
伝説のマタギであっても、しくじれば殺される、まさに命がけだったのです。
村人達にこの悪魔を見せようと、山から降ろそうとしたのですが、
それを運ぶソリを引く馬は、死んでいるとはいえ巨大な羆に怯えて使えなかったそうです。
結局、人力で羆を学校の校庭まで運び、大きな鍋に羆の肉を入れて皆で食べたのです。
しかし、みなは知り合いの人を喰った羆の肉を食べる事に拒絶反応を示したのですが、
兵吉が「人を喰った羆の肉を喰うというのは仏に対する供養だ」と言うのでした。
また、それがしきたりでもあると。
最初は嫌がった村人たちも、普段は肉など食べられない貧しい生活なので、
一旦箸をつけると、その内喜んで食べだしたのでした。

この事件は1990年に松竹で映画化されています。
タイトルは「リメインズ・美しき勇者たち」
真田広之主演で、これはDVDで観ました。
また、1980年にはTBSラジオの2時間ドラマで放送されました。
高倉健がマタギ、山本兵吉だったと思うのですが、
これを聴いた事があります、とっても良かった。
できればもう一度聞きたいと思うのですが、多分もうダメなんでしょうね。
(追伸)
「TBSラジオドラマ、三毛別羆事件」で検索したら、割と簡単に出ました。
111分の力作をもう一度聞く事ができて良かった。
それにしても、三毛別羆事件が人々にいかに大きな印象を残した事か。

事件現場には、こういったのが残されているし、記念碑もあります。
また、事件から〇〇年の供養といった行事も行われているみたいです。
熊という野獣は、音を恐れ、火を恐れ・・・
そういった常識がまるで間違っていたという真実が段々と分かってきました。
人間を恐れる内は、人間の存在を意識させる(音)に反応して遠ざかって行きます。
しかし最近の熊は人間を恐れなくなっているので、音を聞いて逃げるをしません。
熊よけ鈴など無意味になりつつあるし、ラジオの音を流してもダメ。
音にも火にもまるで動じません。
走って逃げても彼等は時速50キロ。木に登ってもダメ、死んだフリなどしても無意味。
羆といった体重が300キロを超す大型野獣に敵うのは多分、機関銃しかないでしょう。
つまりヒグマやツキノワグマから逃れるには、そういった場所に行かない事。
もし熊に襲われたら、もう神様に祈るしかないな。
神のみぞ知る、アーメン。
今年の日本は、熊の被害事件が多発しています。
今年はあまりにも暑く長く、異常としか言いようのない夏でした。
それがきっと一因でもあるのでしょう。
先日も死者が出てしまいました。
負傷者は数知れずという、異常事態になっています。

私はそれらの記事を見ると、以前読んだ本。
吉村昭氏の「羆嵐」を思い出します。


吉村昭氏が「羆嵐」を書くにあたって、その基になった本が「慟哭の谷」です。
これは「羆嵐」が小説として書いたのとは違って、
著者の木村盛武氏が、北海道庁の林務官(国有地の管理をする)
としての経験から、三毛別羆事件を執念で克明に調べ上げたいわゆる調書的な本です。
木村氏は事件当時は5才の少年でしたが、親などから事件の詳細を何度も聞いたそうです。
そして、職業柄、羆の出没する地帯を頻繁に歩き、
九死に一生に近い経験もしているのです。

三毛別羆(さんけべつ、ひぐま)事件というのは、
1915年(大正4年)の暮れに北海道で起きました。
即死者6名。胎児を入れると7名。負傷者は2名でした。
傷が元で2年8か月後に亡くなった少年を入れると、実に死者8名となります。
羆は最初に喰った人間が男だと男だけ、女だと女だけを喰うらしいのですが、
実際に喰われたのは女だけでした。
そしてその現場を見た者は、あまりのむごたらしさに嘔吐する者もいます。
もはや人間の形などなくなって喰い荒らされているのですから、嘔吐もするでしょうね。
そして村人は羆の習性というのを全く知りませんでした。
羆というのは、一旦エサとして獲った物は、あくまでそれに執着して取り戻そうとするのです。
ですから、村人達が喰われた女の残骸を家に持ち帰り通夜を行っていたその場に、
再び現れ、惨劇をより大きく悲惨なものにしてしまったのでした。
村人達は持っていた猟銃5丁で対抗するのですが、
猟銃というのは普段から手入れをしていないと使い物にならず、
弾丸が発射できたのは、たった1丁だけ。
そして命中率となると、経験がものをいう世界。
普段、発砲練習などしていない農民が撃ったところで当たる筈もないのです。
彼等は羆から見ると、人間というエサの集団でしかないのです。
なすすべなく途方に暮れるばかりの彼等は30キロ離れた警察署に救援を頼みに行きます。
といっても電話など無い田舎ですから、
深い雪の中を羆の恐怖に怯えながら歩いていくしかありません。
それはある意味、決死隊といった方が当たっています。
3日目にやっと警察隊数十人が到着し、みなはこれで羆を撃ち取れると安堵しました。
しかし、いざ羆の姿を見たり、狙撃したりとやっている内に、
警察隊には何の力も無い事を、警官たちも村人達も感じたのです。
警察も村人もただ数が増えただけの(人間というエサの集団)でしかないと痛感するばかりでした。
村人達は警察隊に失望し、村長は遂に(伝説のマタギ兵吉)を頼もうと思うのでした。

しかし、兵吉は村人たち誰からも嫌われている大酒飲みで、喧嘩を吹っ掛ける荒くれ者で、
兵吉に怒りを隠せず挑んでいった若者達に兵吉は打ち負かされた様に見せながら、
若者達が疲れてしまった時に、彼等を叩き伏せてしまうのです。
村長からの要請を受けた兵吉は、
普段の荒くれ者とは違った真摯な態度で現われ、村人達を驚かせます。
そして村長が見込んだ腕前で、7名を殺した羆を撃ち倒したしたのでした。
しかし、羆を撃ち取った兵吉の顔色は真っ白だったそうです。
伝説のマタギであっても、しくじれば殺される、まさに命がけだったのです。
村人達にこの悪魔を見せようと、山から降ろそうとしたのですが、
それを運ぶソリを引く馬は、死んでいるとはいえ巨大な羆に怯えて使えなかったそうです。
結局、人力で羆を学校の校庭まで運び、大きな鍋に羆の肉を入れて皆で食べたのです。
しかし、みなは知り合いの人を喰った羆の肉を食べる事に拒絶反応を示したのですが、
兵吉が「人を喰った羆の肉を喰うというのは仏に対する供養だ」と言うのでした。
また、それがしきたりでもあると。
最初は嫌がった村人たちも、普段は肉など食べられない貧しい生活なので、
一旦箸をつけると、その内喜んで食べだしたのでした。

この事件は1990年に松竹で映画化されています。
タイトルは「リメインズ・美しき勇者たち」
真田広之主演で、これはDVDで観ました。
また、1980年にはTBSラジオの2時間ドラマで放送されました。
高倉健がマタギ、山本兵吉だったと思うのですが、
これを聴いた事があります、とっても良かった。
できればもう一度聞きたいと思うのですが、多分もうダメなんでしょうね。
(追伸)
「TBSラジオドラマ、三毛別羆事件」で検索したら、割と簡単に出ました。
111分の力作をもう一度聞く事ができて良かった。
それにしても、三毛別羆事件が人々にいかに大きな印象を残した事か。

事件現場には、こういったのが残されているし、記念碑もあります。
また、事件から〇〇年の供養といった行事も行われているみたいです。
熊という野獣は、音を恐れ、火を恐れ・・・
そういった常識がまるで間違っていたという真実が段々と分かってきました。
人間を恐れる内は、人間の存在を意識させる(音)に反応して遠ざかって行きます。
しかし最近の熊は人間を恐れなくなっているので、音を聞いて逃げるをしません。
熊よけ鈴など無意味になりつつあるし、ラジオの音を流してもダメ。
音にも火にもまるで動じません。
走って逃げても彼等は時速50キロ。木に登ってもダメ、死んだフリなどしても無意味。
羆といった体重が300キロを超す大型野獣に敵うのは多分、機関銃しかないでしょう。
つまりヒグマやツキノワグマから逃れるには、そういった場所に行かない事。
もし熊に襲われたら、もう神様に祈るしかないな。
神のみぞ知る、アーメン。