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河童の歌声

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北海道のバス死亡事故

2023-06-21 07:42:38 | 事件・事故




北海道で長距離バスと4トントラックが正面衝突し、5名が死亡するという大事故がありました。
バスの後ろを走っていた車のドライブレコーダーを見ると、
バス側に非はなく、ブレーキを全く踏む事なく突っ込んできたトラックに100%の非があります。

この国道は片側1車線の、直線部分の多い道路だという事ですが、
死亡事故の多発する危険な道路でもあるみたいです。

トラック側から見ると、それまでの直線から緩やかな左カーブへとなっています。
トラックはそのカーブに合わせて左ハンドルを切るべき所を、
全くハンドルを切らずに真っすぐのままにバスに突っ込んで行くのが、
ドライブレコーダーには写っています。

原因は、トラックの運転手が何らかの病気で意識を失っていた、という見方もありますが、
もっと単純に一瞬、居眠り状態だったと考えるのが普通だと思います。
脇見運転というのもありますが、
あのカーブで衝突するまで脇見運転をし続けていたとは思えません。
ブレーキ痕が全く無いというのは、脇見ではなく、居眠りと考えるのが普通だと思います。

運転経験のある方には、多少なりとも経験があると思うのですが、
それが例え高速道路といった時速100キロ以上で走行中であろうが、
ドライバーが居眠り運転をするというのは、ある事なのです。
また、目は確かに開けているのに、頭の中の意識が眠ってしまうという事もあるのです。
トラックドライバーが亡くなってしまったので、原因解明はほぼ不可能になってしまいましたが、
私は、一瞬の居眠りではないかと思っています。


以前のブログにも書いたと思うのですが、
車を運転していて、最も怖いのがこのパターンです。
つまり対向車がセンターラインを越えて自車に突っ込んで来る事です。
これは、アッと思った時はお終いなんです。
もう避けようがない、死ぬ瞬間を経験するのです。

私も若い時にこれを経験した事があります。
片側1車線道路(国道246号・御殿場)で、緩やかな左カーブを曲がったら、
真正面、目の前に追い越し中の大型トラックが進んで来てたのです。
もう急ブレーキなど踏んでも絶対に衝突は避けられません。
一瞬頭の中に、血まみれで病院に担ぎ込まれる自分の姿が浮かびました。
ブレーキを踏む時間など全くなく、
私は左に急ハンドルを切って、1メートルの段差を落下して、他人の家の庭に飛び込んで行きました。
木の切株にぶつかって車は止まりましたが、勿論、車は全損。
私は車内に頭をぶつけたり、腕をぶつけたりの軽い打撲傷でしたが、
後になって時間が経ってから、恐怖心が沸き上がってきて体が震えました。
ただ、人間は最後まであきらめたらダメで、
何とかして、どうにかして回避できる行動を取らなかったら、死ぬだけです。

あの瞬間、バスの運転手がやれた事は、左に急ハンドルを切る、それだけです。
しかし、彼はそれをしませんでした。
と言うか、ドライブレコーダーを見ると、出来なかった。
たった1秒間に、それをするかしないかを決定しなければなりません。
それをするかしないか、出来たか出来なかったかは、運命でしょう。
本当に、彼のその瞬間の気持ちを、経験した事のある私は理解できます。
あの恐怖の感覚は・・それは恐ろしい。

そういった経験があるので、
私は右側車線を走るのはあまり好きではありません。
高速道路の右側、追い越し車線を、いい気になってカッ飛んでいく車を見ると、
「あぁ、あいつはな~んにも分かっていない」と思うのです。
もし、対向車線から車が飛び込んできたら、もう死ぬだけです。
だから多少なりともそれを回避できる時間的余裕のある、左側を走っていたいのです。

高速道路のセンターライン上に樹木の植え込みなどがあって、
対向車線の車の動きが全く見えないのって、本当に恐い。
ある程度であっても、対向車線の車の動きを感知していたいのです。

あのね、事故で死んだ人間の形って本当に汚いんですよ。
そして血や肉やあらゆる臓物の匂いって、臭いんですよ。
あの匂い、血まみれで原型のなくなった人間のゴミの様な姿。
あれを一度でも見たら、もう、いい気になってブッ飛ばすなんて出来ません。

本当に交通事故は悲惨です。
亡くなられた人は本当に気の毒です、どうか安らかに、合掌。

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輸送船バークンヘッド号の遭難

2023-03-15 11:30:57 | 事件・事故
1852年、イギリスの兵員輸送船バークンヘッド号が、
南アフリカ大陸南端の岩礁に乗り上げて沈没し、
686人中420人が犠牲になるという海難事故が起きました。

この種の事故は19世紀では、ごくありふれた出来事でしたが、
事故の顛末はイギリス軍人ばかりでなく、
イギリス商船乗組員の精神的教育の為の根幹の経典として、
後世まで長く伝えられる事になったのです。

その年、イギリスは南アフリカの反乱部族制圧の為に兵を輸送する事になりました。
この時のバークンヘッド号は兵士480名と、一部将校家族(婦人7名、子供13名)
そして別の部隊の将校6名、一般乗客50名、そして船の乗組員130名、合計686名でした。
部隊を指揮するのは、セトン陸軍大佐。

一方バークンヘッド号の艦長は、経験豊かなサモンド海軍中佐でした。
2月26日、深夜2時、バークンヘッド号は進路を誤り、
突如、暗礁に乗り上げ停止してしまいました。
そこは暗礁が点在し、警戒すべき地点として知られている場所でした。

サモンド艦長は直ちに暗礁から離脱する為の命令を下し、
艦は暗礁離脱に成功したのですが、船体は大きく損なわれ沈没の危機が迫っていました。
サモンド艦長は脱出の為に乗組員を後甲板に集めると共に、
セトン大佐(階級的には中佐である艦長より上の階級)に、
将兵の後甲板への集合を要請したのです。

セトン大佐は全将兵に対し集合を命じ、全員が自分の命令に従う事を厳命し、
勝手に秩序を乱すような行動を厳重にいましめたのです。
かつ中隊長のライト中尉に、サモンド艦長との伝令役を命じます。
セトン大佐のこの命令に対し、486名の将兵は誰一人として違反する者はなく、
命令に服従する事こそ、その後の厳正な行動を決定したのでした。

セトン大佐は沈没の時間を遅らせる為に、艦の重量物の海上への投棄。
船倉に収容されている100頭の軍馬の海上への追い出し、
(軍馬は本能的に陸地に泳ぎ着こうとする習性を持っている)
そして重たいエサの海上への投棄を命じます。
将兵達はこの困難な作業を短時間の間に終了させたのでした。

一方、艦長は救命艇の降下、そして女子供の優先的な乗り込み、
そして脱出は粛々として進んでいきました。

船体の破損は更に進みましたが、その時点に於いても、
誰一人あわてる者はなく、セント大佐の次の命令を待っていたのです。
サモンド艦長は脱出する短艇が無くなった状態に対し、
艦上の木材などを海に投げ入れ、泳げない者はそれらに掴まる事を命じ、
独自の判断で飛び込む事を禁じました。

セトン大佐は「そこを勝手に動くな、私の命令に従え」と将兵達に命令ました。
「各自協力しあって艦上の浮遊物を探せ、そしてそれらを海に投げ込んだら、
それにつかまり互いに励まし合って海岸へ向かえ、海岸は遠くなない」と命じました。
この命令は将兵達に少なからぬ勇気を与える事になったのでした。

命令後、後甲板に一人たたずんでいたセトン大佐へ、一人の将兵が近づき、
「再び陸地でお目にかかりましょう」と言ったら、
セトン大佐は「それは無理だと思うね、私はカナズチなんだ」
それがセトン大佐の最後だったそうです。

この海難事故で特筆すべき事は、艦が座礁してから沈没するまで、
何一つ混乱が起こることがなく、
的確な命令に従って一糸乱れぬ秩序の中で全員が行動を共にした事で、
まさに賞賛に値する出来事だったのです。

バークンヘッド号の遭難とその後の見上げる行動は全イギリス国民の知る事となり、
イギリス国民は、この行為こそ自分達の誇りであると感銘を受け、
時のヴィクトリア女王は、ある大病院の回廊に、
バークンヘッド号の犠牲者420名の霊を弔う為の記念碑を立てたのです。

この出来事はイギリス全将兵の、命令と服従の伝統の教育の柱になり、
一方、海軍や商船界でも如何に最悪の事態に直面しても秩序を維持し、
服従の精神を失わず、婦女子の救助を第一とする海員魂を忘れない事が確立したのです。

それと全く逆であったのが、
先日アップした(2013年3月7日の、客船ヴェスツリス号の悲劇)
あるいは、2014年に多くの高校生など300人以上が亡くなり、
それでも自分だけは助かりたいと逃げ隠れした船長の、韓国セウォル号沈没事件)
そういった究極の場面にどれだけ、真っ当な人間で居られるか。
最後の最後まで、人としての誇りを失う事なく居られるか。
そういった事を考えさせられる事件でしたね。


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遠隔操作の犯罪

2023-02-14 06:15:45 | 事件・事故


全く恐ろしい時代になったものです。
少し以前だったら誰もが、考えもしなかった犯罪時代になったものです。
外国に居ながら日本での犯罪実行が出来てしまうなんて、
そんなあり得ないと思われていた事を、実際にやっていただなんて・・・
ビックリした、驚いたと感じた日本人が大多数だと思います。

それにしても、フィリピンの収容所(刑務所とは違うのですね)の、
金さえあれば何でも出来る体質には、あきれ果ててしまいます。
日本では裁判官は、犯罪者から買収されないように高給を貰っていますが、
フィリピンの看守たちは低収入で、日々の暮らしにあえいでいるんですね。
それってダメでしょう、そりゃ買収されるよ。
心あるフィリピン人は、自国の様相が恥ずかしいと強く思っているんでしょうね。

私の甥はパソコンのプロで、義兄の会社のシステムエンジニアでもあるのですが、
ある時、私のパソコンの具合が悪いと言うと、
彼は私の住む東京・府中の我が家に来る事なく、
横浜から遠隔操作で私のパソコンを直してしまいました。
そんな手品が出来るとは知らなかった私は、目がテンになってしまいました。
甥っ子とパソコン話をすると、大学生と幼稚園児が話してる様で、
私は伏し目がちになり、心が卑屈になりそうでヤなんです(涙)

そういった、あり得ないと思われていた事が現実として可能であり、
あいつらは、パソコンではなくスマホで可能にしてたなんて・・・
私は大事な事をパソコンではなくスマホでする事は、何か不安で出来ないのですが、
あれを徹底的に使いこなす奴らは居るんですね。
私の甥っ子も「パソコンなんて要らない、スマホで充分」派なんですが。



それと共に驚かされたのが、
強盗をする為に、全国各地の被害者として狙われている家の詳細を書いた犯罪案内書。
そこには〇〇家の間取り見取り図。
家族関係と、それぞれの人の行動パターン。
何曜日の何時頃には誰も居なくなる時間帯があるとか、
金庫のある場所、そして金庫内に現金がある日とその金額。

それは、私が好きでよく読んでいる「鬼平犯科帳」に出てくる、
嘗(な)め帖・・そういった事を徹底的に調べあげたノート。
つまり、あちこちの金持ちの家の内情、見取り図を描いた犯罪案内と、
まるで変らないのです。
方や最新のAI技術を駆使し、方や江戸時代の犯罪パターン。
200年以上の年代差が、現実として機能している犯罪が、今をときめく犯罪だとは。

もう、ついていかれない私達、老人集団。
そういったロートル集団など彼等の手にかかれば、まるで赤子の手をひねる様なもの。
じゃ~彼等、若いもんの餌食になるばかりなの?
そんな事はありません。
以前から私が言ってるでしょ。

「向こうからかかってくる電話で、金に関する事は全部、詐欺だって」
それを天下のNHKなど、色んな手口をあれこれ紹介するんで、
老人達の頭は、ますます混乱するばかりで、役に立たない所か、被害者を増やすばかりだって。

あのヒトラーがいみじくも言ってました。
大衆を洗脳するには、単純な事を繰り返し繰り返し言うことだと。
「向こうからかかってくる電話で、金に関する事は全部、詐欺」なんですよ。
この単純な言葉だけを繰り返して徹底的に頭に叩き込めば、
どんな詐欺電話でも、な~んにも恐くないのです。
いくら遠隔操作などしても怖くない。
でも、嘗め帖にマークされた強盗は・・これから逃れるのは難しいかもしれない。



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鶴見事故・血塗られた土曜日

2022-06-09 16:11:49 | 事件・事故
【ゆっくり解説】串刺し、大根おろし状態になった列車…『鶴見事故』戦後最大の脱線事故


先日は、星と涼風の歌声に行ったのですが、
まだ時間が早かったので、鶴見駅から下の線路の風景をしばし眺めていました。
この近くでは昔、鶴見事故という大惨事があった事は勿論知っています。
線路の向こう側には総持寺の屋根が見えています。
そこが事故直後の遺体安置所だった事も知っています。
けれど事故の正確な場所は、
妻はもっと東京寄りだと言うし、私はもっと横浜側だと思っていました。

しかし、実際の現場は、
JR鶴見駅から横浜方向1,5キロに京急、生麦駅があり、
そこから更に2~300メートル横浜寄りの、
生麦駅と首都高速神奈川7号線、横浜北線がレールの上を跨いでいますが、
その中間地点かと思われます。



さて、1963年(昭和38年)11月9日(土)午後9時40分。
下り国鉄貨物列車(45両編成)は4分遅れで生麦駅近くを走行していました。
その最後尾3両が突然脱線をしてしまいました。
これらの貨物車両はいわゆる2軸車と言われる車両でした。
3両の貨車は引きずられた後、架線柱に衝突して編成から外れてしまい、
隣の東海道線(当時、東海道線も横須賀線も同じレールを走っていた)を塞いでしまいました。





そこへ横須賀線上り東京行き電車と、
下り電車(共に12両編成)がほぼ同時に進入して来ました。
上り電車は90キロという高速のまま進入し、停車していた貨車と衝突。
先頭車両は下り方向へ弾き飛ばされ、
架線の異常を発見して減速していた下り4両目の側面に衝突して、
4両目車両を串刺しにした後、後続車両に押されて横向きになりながら、
5両目の車体の半分以上を削り取って停止したのです。









その結果、下り電車の4,5両目は車端部を残して、全く原型を留めないほどに粉砕され、
5両目に乗り上げた形で停止した上り先頭車両も大破。
死者161名、負傷者120名を出す、大惨事になったのです。

この前年(1962年)の三河島事故と同様に視界の悪い夜間であった事が、
被害を大きくしたのでした。
三河島事故の死者は鶴見事故より一人少ない160名、負傷者は296名でした。
貨物列車の運転士は脱線直後に発煙筒を焚いたのですが、
何故か短時間で消えてしまい、上り電車の運転士(死亡)が、
事故直前まで脱線に気づかずに高速のままで貨車に衝突、
勢いあまって横の電車を大きく破壊してしまったのです。

最初の原因となった2軸貨物車は(競合脱線)という原因だったのですが、
それは様々な要素が重なり合って車両が飛び跳ねる状態になるのです。
国鉄では様々な大規模実験や研究を重ね、
その原因の一応の結論を出しました。
現在は2軸車両が激減した事などもあって、
2軸貨車の競合脱線は起こり得なくなっています。

この日は、
福岡県、大牟田市の三井三池炭鉱で、粉塵爆発事故の為に、
死者458名という死者を出した大事故が発生した為に、
「血塗られた土曜日」「魔の土曜日」と呼ばれたのです。


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知床観光船沈没

2022-04-24 08:34:54 | 事件・事故




北海道の右(東)の知床半島観光の小型船が沈没し、
乗客24名(うち子供が2名)と乗組員2名、合計26名が行方不明なっています。
今朝のニュースで4人が発見されて救助されたという一報が入ってきました。

私達夫婦は2015年6月に北海道旅行へ行き、
この知床半島観光船に乗った事があり、他人事ではなく心配しています。



私達が乗った船は「オーロラ号」という大型船で、
今回遭難した小型船とは違っています。
「オーロラ号」は全長45M、幅10M、491トン、定員450人です。



一方、今回遭難したKAZU1(カズワン)は、
全長16,85M、幅4,2M、19トン、という小さな船です。

私達はウトロ港から観光船に乗る時に、どっちにしようか少し悩みました。
というのは、大型のオーロラ号ではなく小型船にすると、
海岸に居るかもしれない羆を見られるかも知れなかったからです。
大型船を運営する会社は1社だけですが、
小型船を運営する会社は5社あります。
それなので、各社は自分の会社の船に観光客を呼び込もうと、
客引きとまでは言いませんが、そんな感じの営業をしていました。
ただ私には、ある事故の事が頭にありました。

それは1966年(昭和41年)
英国海外航空(BOAC)が富士山に墜落して124人全員が死亡した事故です。
香港に向かう便でしたが、パイロットの国籍は不明ですが、
乗客のうち75名はアメリカからの団体客でした。
機長は彼等に富士山を見させてあげたいとのサービス精神で接近し過ぎ、
独立峰にありがちな乱気流に巻き込まれ空中分解し墜落、全員死亡になったのです。

知床観光船では、小型船は大型船と違って陸地により近寄れます。
だから羆も見られるかもしれないのです。



しかし、そのサービス精神が事故につながる危険性を含んでいると、
私には思えて二の足を踏ませ、結局大型船を選んだのです。









あまり陸地には接近は出来ませんでしたが、
北海道の大自然をそれなりに堪能する事はできました。
ですがやはり羆の姿は・・無理でしたね。



加藤登紀子の歌で知られる知床岬は、断崖絶壁のイメージだったのですが、
実際はこんな感じの穏やかで平坦な岬でした。



ウトロ港には、こんな岩がありました。
一目でそれが何だか分かりますが、
近くに居た2人の若い女性は、1人はすぐに気づいたのに、
もう1人の女性は「え、何がゴジラなの?どこがゴジラなの?」で、
彼女は相当にニブかったな~(笑)

しかし、全員が無事である事を祈るばかりです。








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