隻眼の戦国武将、伊達政宗の肖像画には、なぜか両目がそろっています。
仕事から帰宅して、録画していたTV番組を家事やインターネットをしながら見るのが日課です。今日は、伊達政宗の生涯をたどった番組を見ました。
よく知られているように幼少時の病気がもとで片目の視力を失い、失明した側の目が少し開いているような状態だったそうです。
そのためか実母は次男の小次郎を溺愛。伊達家当主の父はお家騒動を避けるため長子の政宗に家督を継がせ、あえて若くして隠居。しかしながら、小次郎を後継者にすることをあきらめ切れない母は、政宗を食事に招いて毒殺しようとしました。にもかかわらず政宗はその後も母を引き取り何不自由ない暮らしをさせたそうです(酒を運んできた小次郎についてはその場で斬殺。お家騒動は起こりませんでした)。
老年期に書物をいくつも著していますが、
その中で遺言として「(病気により)片目を失ったのは親不孝なことだだった。生まれつき失明していたわけではないので両目をあけて肖像画を描くように」と書き残しているそうです。(当時は、肖像画は死後描かれることが主だった)
なので残された肖像画は均等な眼の大きさの政宗が描かれています。
病気になって片目を失ったのも不運なだけで本人のせいではないでしょうに、いじらしさに悲しくなってしまいました。
戦国時代から江戸時代初期にかけて奥州一帯(今の東北)を支配し、第二の将軍とまでうたわれた政宗。スペインとの通商をもとめ支倉常長をヨーロッパに送ったりと進取の気勢にも富んだ政宗。
しかしながらその心の中は、いかばかりだったのでしょうか。
山岸涼子作の歴史漫画「日出処の天子」でも、聖徳太子の母は、長男である聖徳太子(厩戸王子)を愛さず、次男を偏愛します。そのことが聖徳太子の人格形成に暗い影響を与えています。
山岸涼子は伊達政宗の親子関係からヒントを得たのかしら・・と思いながらテレビを見ていました。
宮城県の瑞宝殿(政宗の墓がある)は第二次大戦で米軍の空襲で消失したそうですが、地下の墓は無事で、骨は完全な形で残っていました。
その骨格から鼻梁が高く男性的な偉丈夫であったと推測されるとのことです。昔、NHK大河ドラマで伊達政宗を渡辺謙が演じましたが、実際通りかも。
「伊達男」の言葉の由来は政宗から来ているそうです。
月をかたどったユニークな眼帯だけでなく、戦場に人目を引くようなきらびやかなコスチュームで現れたりと、政宗は外見に対する鬱屈とした思いを、人とは違った趣きの装いで晴らすようなところがあったのかもしれません。いつも応援ありがとうございます。励みになりますのでランキング投票(ここをひとぽち)お願いします