私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

小雪物語ー漆黒の闇が迫ります

2012-07-20 06:05:28 | Weblog

 そうこうしているうちに、暮六つの鐘が「ご~ん」と時を告げます。それを合図に「かち、かちかち」という「木」が赤橙色に染まったお山から流れ伝わってきました。漆黒の時まで、今しばらくお山は化粧をし続けていことでしょう。
 三味や太鼓に合せるようにして、甲高くちんちんと鉦が辺りの木々を通って響き渡っています。拍手やなにやら掛け声も入り混じって流れてきます。小屋内の喧騒さが手に取るように感じられるのです。
 そんな外からの音を、部屋の中から、じっと黙って小雪は聞き流していました。細谷川の風が、そんな小雪をそよと吹き抜けていきます。須香はそんな小雪をじっと眺め、見守っているだけです。何か話し掛けると、小雪が、今にも、足からもろくも崩れてしまい、このまま、今すぐ天にまでも登って行ってしまうのではないかとさえ思えるのでした。
 合いも変わらず、拍手が鳴り止みません。窓を見上げると、降る雨を受けるとすぐにでも粉々に壊れ散ってしまうような、細い細い二日ぐらいの茶碗の月が日差の山に入りかけています。お山は紫から藍へ、最後の黒へと移っていっています。
 「なかいり。なかいり」と、続いて、「おんはな、おんはね」とこれも甲高いお姐さんの声が、あちこちから重なってお山に響いて伝わってきます。
 細谷川の風も、その声々を載せて流れます。
 しばらくそんな声がお山に響きこだまとなって小雪の耳に届き続けました。
 突然に、鉦の音につられて笛・太鼓が「ちんちんどんどんぴぴっぴー」鳴り出します。と、「わっしょい、わっしょい」と陽気な祭囃子の掛け声とともに姐さん方の担ぐ小さな姫みこしのお出ましで、御輿に入った酒肴がそこら中へ運ばれていきます。
 いよいよお待ち兼ねの「中入りが始まります。あちらからもこちらからも、「こっちだ」「それだ」「これだ」「はやくせえ」だの、てんでに好き勝手に囃子し立てています。喧騒も最高潮です。
 それが合図かように、小雪と須香は楽屋へ急ぎます。あのお喜智さまから頂いた友禅の鶴の着物と舞扇だけは、小雪が最後まで「ご一緒します」と、胸に抱いて持ち入ります。
 通りは、大勢の人で、今夜は余計に賑わっています。富くじ売り場付近には大きな人垣が二重にも三重にも出来、それを通り越すのにちょっぴり苦労をするぐらいでした。