舞台の右袖にゆっくりと進みます。須香は何か落ち着かない様子で、辺りをきょろきょろ見回しながら、小雪の後ろを歩いています。
柝がチョンと入り、いよいよ四場「花魁道中;遊女の舞」の開始です。
舞台は、かがり火で昼と紛うような明るさです。
鼈甲造りの十本ばかりの花簪と左右一対の笄が、まず、光り輝きます。続いて、目の覚めるような紫の内掛けが、内掛けの脇の辺りから幾本にも伸びた、金銀の線が斜めに延びた緞子の紐が目に映り、当りを圧倒します。
それにも増して、舞台を圧倒したのは、この世の者とも思われないような、一瞬「あっ」と、息がとまりそうにななるばかりの、あでやかな小雪の美しさでした。
舞台の上には緋毛氈で覆われた細長い台が設えてあり、琵琶を手にした、板倉宿から駆けつけてくれたお光さんと言われる、やや年増の姐さんが、でんと控えておられます。
「べべんべんべん」
琵琶が天をゆすらすように重く鳴ります。漆塗りの高下駄の上の裸足の自分の足を見るようにして、真横から真正面へと引きずりながら、舞台の袖から中央に進みます。あれほど胸の高ぶりを覚えていたのですが、今は、ただ舞を舞うそれだけです。足や手や顔など、ここをどうしなくてはとかいうこと総て心の中からはっきりと消えています。自然に心の内から無意識に湧き出してきた動きだけが一人歩きしています。踊りだけが小雪の心から離れて、ゆっくりと飛びまわっています。今こうしなくてはと、小雪が思ったとしても、心はそれに決した随って動いてくれそうにもありません。手も足もすべてが、底知れない夏の黒々とした天空から垂れ下がった見えない糸に操られているようにすら思えるのでした。
合いも変わらず琵琶はゆったりと流れています、その流れの中に身をゆだねているようにも思われます。
突然、「べべん」が「びびびん」と調子を変えます。その時です。しばらく止まっていたあの胸の激しい痛みが襲います。「苦しい。母さん助けて」叫びたくなります。でも、心は、そんな小雪の痛さとはとんと無頓着に、勝手に琵琶の音に動かされています。
痛さは、大きくなったり小さくなったりしながら、小雪の胸を行ったり来たりしています。「もうどうにでもしておくれやす」そんな思いに駆られるのですが、それでも、なお、手足が半年という時間の間に自然に体にしみこんだ踊りの動きをなぞっていきます。小雪の意識を超然と超えて動きます。
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