私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「小雪物語」 雪はまだ止みそうにありません。

2007-03-10 22:04:55 | Weblog
 そんな線香花火のような、ほんのあっという間の出来事が、今まで、決して描いたことのない浮世の絵のように浮いては消え、かつあらわになったりして、小雪の目の前にどっしりと腰を下ろすのです。でも、そんな時はいつもあの「お喜智さま」が、この訳の分らない胸の苦しみを消してくれるのでした。
 睦月の終わりになって、再び、この宮内は大雪に見舞われました。
 小窓からは、大きなまるで野にあるタンポポの綿毛のような雪が、かしゃかしゃと音お立てながら降り続いているのが見えます。
 朝明けのようやくの光の中に浮き立って見える大きな牡丹雪の一つ一つに、あたかも自分のこれまでの人生が黒々と映し出されているのではないかと思われるように雪は降り積もっています。
 「私ってだれ」
 そんな言葉にならない言葉が、何時も自然と口についてでてきます。そのたびごと、小雪には、言いようのない寂しさが胸の奥底から湧き上がるのが常です。
 廊下には、ようやく、又、何時の遽しさが戻ってきています。
 周りの部屋部屋からは姉さん達の気だるい埒の明かないような薄吐息も漏れ伝わってきます。
 遅いお客さんでしょうか
 「何時の間に、こげん大雪が・・」
 「ことしゃあ、ほんとによう降るのお・・」
 とかなんとか、べちゃくちゃと備中言葉でしょうか、早口に甲高くののしりながら、足早に帰って行くお客さんの足音だけが、やけに静かな雪の朝の廊下一杯に響いています。
 静かな早春の、京より一味も二味も違った臭いのいっぱいにする宮内の景色です。
 話す言葉は勿論、歩く足音も、吐く息にも、姉さん方の衣擦れの音にも、随分と鄙の香が立ち込めています。
 でも、小窓から入り来た春の雪風は、庭のナンテンの実を吹き抜けて、あの母の匂いも一緒に連れてきてくれたような香が部屋一杯に匂い発っています。
 ふと、まだ幼かった頃、母が何気なく、いつもよく口にしていた歌が、小雪の頭の中に甦ってきました。
 さつきまつ はなたちばなの かをかげば 
                  むかしのひとの そでのかぞする
 小声が口から自然と吐いてでます。
 しばらく置いて、何気なしに
   はるをまつ 里の雪風 ふきよせば
                 昔の人の そでのかぞする 

 と、そんな歌にもならない自分の言葉に自身でおどろきながら、顔を赤らめながらも、口をついてでてきました。

 大きな大きなこれ以上は大きくはならないのではと思うような、春の里の牡丹雪が、次から次えと降り続いています。見る見る内に、大鳥居も、親分さんの灯篭もこっぽりと雪綿帽子を被り、山も木々も屋根も、すべてを雪景色に変えていきますます。