私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「小雪物語」 小紋の羽織

2007-03-06 23:40:06 | Weblog
 京という20年近くも住み慣れた土地を離れ、このような鄙に暮らそうなどということは、かって考えもしなかった突然に降って湧いた様な出来事でありました。
 小雪には、今、ここにこうしている自分が不思議で不思議でたまりません。たまたま命永らえたのは、きっと、母が深く信心した「さえのかみ」のご加護であったのかもしれないと、うらめしく思い寄せるのでありました。
 あの時いっそという思いも、一方にはあったのですが、現実、今ここに生きている自分をどうする事も出来なくて、うら悲しさが、次から次へと舞い落ちる牡丹雪と一緒になって、この町に来てから買い入れた田舎びたやけにハデハデしい羽織の柄を見ていると、切なさが余計に募るのでした。
 激流の中をさまよい下るようにして、京からこの宮内へ下り来た時、たった一つ母の形見とわが身離さず携えてきた小紫の小紋に蝶をあしらた羽織が、あれ以来一度も袖を通さないままに、部屋の隅の小さなみすぼらしい小箪笥の一番下の引き出しに入れてあります。
 しばらくその小箪笥を眺めていましたが、そっとその小箪笥に寄り、小さく引き出しを開けて、中にある母の形見の小紋の羽織に手を当てます。この鄙に来て忘れてしまっていた母の面影がほんのりと匂い立ちます。
 小窓から見える庭の南天には、牡丹雪がシャカシャカと音をたてながら、なお、降り積もっています。その音は、母の「元気出して」と囁くような懐かしい声のようでもありました。
 こんなにひっそりと降る雪の坪庭と裏腹に、大鳥居の大通りには、吉備の中山からは山おろしの風がびゅうびゅうと吹き付けています。こんもりと茂った大松の木々の間を通り越し、山から吹き降ろす風にあおられて、あるいは上に下に、又、左へ右へ、雪が激しく舞い飛んでいます。
 この裏と表の降る雪の違いに、ほんの数年しか経っていないのですが、その昔と今とを同時に見ているようで、人の運命の皮肉さ、厳しさをつくづくとを思い知らされています。
 ゴウゴウト唸りを上げて雪は降り続けています。『忘れろ』『忘れろ』と降り続いていますが、小雪の思いはそれとは反対に、降れば降るほど、激しくなればなるほど、余計に深くなるばかりでした。相変わらず、地上に打ち付けるように、そして、降り続いております。
 京では決して見ることが出来なかった激しく荒っぽく降る西の国の宮内の雪が、何か余計に小雪の心を打ち砕いて悲しさのどん底に突き落とすのでした。

 ひょんなことから、備州倉敷の薬問屋の林様にお情けを頂いてこの方、事あるにごと、いつもお側に侍らせて頂いているのです。今晩も、その林様のご指定によりこの京でも指折り名老舗「泉屋」の離れ座敷に招かれ、その林様のお客様とご同席したのです。
 なにやら、お話が込み入って来た時、林様から
「大藤様とお二人で話しがある、そこの2人席をはずして」
と、いわはりました。
 用意されていた別のお部屋でしばらく新之介とお二人で向き合ったまま黙って座っていました。時間がするりと二人の間を通り抜けて行くようでした。
 しばらく無言のままの時間が過ぎていきました。この屋の向こうの部屋から何やら陽気な歌声が突然として鳴り響きました。
 それが合図であったかのように、新之介さまはご自分の国のことやら何やかにやら、随分と早口で、私がそこにいるのを無視するかの如くに、独り言のように長く本当に心を込めてお話になりました。そのお話を、私は遠い遠い国のお伽噺かなにかのような真新しさを覚えながら、面白く聞かせていただきました。
 そんな新之介さまからお聞きするお話総てが珍しく思われました。小雪が今までに見たこともない聞いた事もない備中と言う小さな田舎町のこてですもの。小川で釣った小鮒の話、海に浮かべた船で釣った鯛の話、泥の中を駆け回って追いかけた鯉の話、剣術の先生や友達との試合の話など、総てが物珍しくまた面白く「男はンの世界だな」と、新之介様のなさるお話がこのまま何時までもづっと続いて欲しいものだと、ふと思いました。
 小雪には、男の人と、それも自分と余り年端も違わない男の人と、これほどゆったりお話したことはありませでした。
 男の人といえば、逢えば、すぐ、いやらしいじろりとした目で、まず小雪の胸や腰辺りを眺め回しながら、ぐいぐいとその胸の中に抱きこまれる事ばかりでした。いくら嫌でも「嫌だ」とはいえない悲しさが、何時も自分を包んでいました。身の回りを取り巻くように絡み付いていました。お金という、人が作り出した物で、人一人をがんじがらめにくるりくるり巻き上げて、自分ではどうしようもなく、ただ、人の言うまま立ち振る舞わなくてはならない自分が悲しくて悲しくてなりませんでした。その中に入り込んでしまった自分を何時も呪っていました。そんな小雪を、人として扱ってくれたお人は林さまを除いてはいませんでした。その林さまとも、又、違う新之助様とのお話は、本当に小雪を感激させました。そのお話を聞いていて、心が落ち着きます。安心があります。わくわくした浮き立つような心があります。お話を聞く喜びも、また、楽しささえも湧いてきます。総て、今まで知らなかった新しい新鮮な事ばかりです。出来たら、もう一度でも、二度でも、新之助様のお話を聞きたいものだと思う心が自然と小雪に生まれてきました。小雪を「遊び女」ではない、自分と同じ人として、普通の女としてお話してくださいます。尊いお人を仰ぐように、そのお話を聞いておりました。
 「人はつらいもんだ。瘠我慢の連続だ。それが生きることなのだ。私にはようわからンが、そんな気がする」
 と、じっと小雪の方を見て言われました。新之助様の目とキッと合ったように小雪には思えました。
 そんな時、泉屋の姐さんが「もう戻って来いとのことどす」と、お迎えが参りました。なんだかとても突然につまらないような情けないような気分になりましたが、急いで、新之介さまと、お二人のお部屋に立ち戻りました。
 「話は済んだ。お前もお客はんと一緒に、お帰り」
と、いう林様のお言葉に部屋を追い出されるように、泉屋のご門をくぐりました。 その時、その一瞬の後に起ったことを誰が予測できたでしょうか。

 お店の玄関を出てすぐです。お稲荷様のお社の側に川端柳があります。
 そこに、林様がお迎えした大藤の高雅様を待ち構えた数人のお武家様がいようなどと。
 一斉に数人の覆面の武士達が「天誅」とか、なにか叫んだと思うと、やにわに高雅さまに、刃が切り落とされます。新之介様にも、私にまでも、それらの覆面のお人の刀が振りかざされました。私をかばうようにしたいた新之介様は、ほんのあっという間に、私のこの目の前で、無常にも「思い知れ」とか何か大声で言ったお人に切りつけられ、「ううー」と新之介さまもお倒れになりました。「剣術にはある程度自身がある」と、おしゃられていた新之助様ご自身のお刀を、お抜きになる暇さえなかったのではと思えるような突然の出来事でした。
 その刀は、更に私にと向けられたようですが、その場に、丁度通りすがりの片島屋の万五郎親分さんに危うく助けて頂きました。この宮内に連れて逃げてくれたのでした。
 河内屋のおかはんに、どう話をお付けになったのかは分らないのですが、兎に角、後で聞いたのですが、林様ともご相談なって、私はあわただしく、しかも逃げるようにして京を後にしたのです。
 万五郎親分さんのお話ですと、私自身の命もその時、どうなるやら分らないという緊急の状況で、すぐにでも身を隠さなくてはならないとお思いになり、林様とご相談なさって、この宮内に取りあえず隠す事にしたのだそうです。私自身の全くあずかり知らない世界の出来事だとも、聞かせいただきました。
 その後、この宮内に落ち着いてから、京から吹く東風によりますと、三条通りの高札場に、あの大藤高雅様の首が懸けられてあったと伝えられておりますす。なお、残念ではありますが新之介様については全く知る由もございません。
 なお、その後、この宮内でも、この事件のうわさは根堀り葉堀り、ささやくようにしばらくの間、人々の間を流れ流れしていました。
 しばらくたってから、新之介様の噂もぼつぼつ人の口に昇ってくるようになりました。
 それによりますと、新之介様は、近くの庭瀬藩の足軽るの子で、早くから神童とか何かと言われながら、足軽るの子ということだけで随分といじめられて育ったようでした。学問だけでなく、武術も秀でていて、この藩で若者の中で、1,2を争うほどで、それもまた、上役の子供達のためにいじめの対象になったということです。
 それがひょんなことから、大藤高雅様のの「後松屋」に入門してようやくその才能が芽吹きだし、生涯の師匠として大藤高雅様に付き添い、お若い命を落とされたのだ、と、噂されていました。