私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「小雪物語」 堀家の喜智さま

2007-03-08 22:59:23 | Weblog
 それから、しばらく小雪の胸には、今この耳にした、初老の令夫人の言葉が何か心地よい子守唄でも聞くように響き続けております。
 大方の人は、「神なんて」といっているようですが、それはそれはありがたい「さえのかみ」だと、小雪には、今更のように思えて仕方ありません。
 この宮内に来て以来、まだ一年もたってはいませんが、自分が果たして自分であることすらっ忘れ去ってしまったような生活です。
 京で危うい自分をお助けくださり、この宮内に連れてきてくださった万五郎親分も、聞くところによりますと、岡田屋の熊五郎大親分のために、あれ以来、諸国を駆け巡り一万両という夢にだにしたことのないような大金集めに奔走しているとかで、この宮内には、一度も姿をお現せにはなられません。
 「なにもせんでええ、心配いらん、ずっとこの街にいるのじゃ」
 と、ぶっきらぼうにお言いになったまま、それ以来まだお目にかかっていません。
 この宮内の「大阪屋のお親さん」という親分さんと随分と親しいお人がおやりになっている宿を塒にするよう言われ、言うままにそれ以来、ここを浮世の仮の宿と決め住まいしています。
 「なにもせずに・・・」といった親分さんに対しても、またお親さんに対しても、毎日ただぼんやりと過ごしていい訳がありません。
 さしあたり今、私にできることというと、今まで自分で生きてきた「うかれめ」と癒され卑下され続けてきた悲しい女にしかできることがない道にしか生きる方法がありません。
 「とんでもないこと」と、おかみさんには随分しかられもし、又、反対もされましたが、女の悲しい性にも引きづられるようにして、再び、この道に、こんどはあえて自分から飛び込みました。
 しかし、毎夜、見知らぬ男に抱かれ続けることのむなしさにさいなまされ続け、
奈落の果ての今の生活に、自分でいい加減に見切りをつけようにも、その道も洋として分らず、自分が自分でないままの自分に追いやらされているのでした。 
 そんな時の、不思議な出会いがありました。
 「喜智さま」
 母の姿を瞼に浮べながら、決して返事のもらえない塀の向こうに消えるように去っていかれたお姿に向かって、そっと呼んでみました。