私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「小雪物語」 さくらがにおいます

2007-03-11 23:13:16 | Weblog
 その年の雪は、この南国吉備の国にあっても、近来にない珍しい大雪になり、数日間はなにやかやと面倒なことばかりが次々に起きていました。
 雪のために、お客さんが少なかったり、お客さんのことで近所同士が喧嘩したり、物の値段が急に上がったり、この町の暴れん坊の元気者「しょうやん」と呼ばれていた若者が、雪の坂道でひっくり返り、たいそうなお怪我をしたりして、今も起き上がれないなど次から次えと、こんな狭い町内でも、話題に事欠かない毎日でした。
 そんな中でみんで大笑いした事もありました。
 この大雪の十日ばかり後でしょうか、「きんさん」というやりてのおっかはんが、あまり高くはないのですが、二階の屋根から落ちてきた少しばかりの残雪を頭から浴びて、
 「おお痛い、おお痛い」
と、今にも死にそうに、大仰に泣き叫んで皆から、冷ややかな目で見られたのを、弥生なってからも「薄情な女ども」と随分と恨めしがっています。
 「鬼は外」という、店々の姐さん方の素っ頓狂な掛け声と一緒に、神社からありがたく頂いてきた枡に入れられた神豆を、面白おかしゅう大通りを逃げ惑う尻まくりした大勢の男はん目がけて投げつけます。その逃げ惑う男はんの後ろ姿にも、京では見られないめづらかな、鄙びた、何かしら物悲しさを湛えた趣が感じられ、小雪にはどうしても、軽やかな祭り気分には浸りきれませんでした。
 この町は、桃太朗さんの鬼退治の町だそうです。そうかどうかは分らないのですが、沢山の鬼が節分の夜には、町中を練り歩くのだそうです。その鬼目がけて、家々からおなごはんやお子たちが寄って集って豆を投げつけるのです。
 また、如月の初めには、普賢院の境内で、これもまた世にも珍しい裸祭りが行われていました。「おん」「めん」二本の宝木を、裸の男はん達が取り合う怒号か渦巻く喧騒な世界である境内を離れて、清流池からは、水氷を取る女の人の哀愁を帯びた静かな読経の声も聞こえてまいります。悲喜交々とした人の世の情念が立ち込めているようでもありました。
 喧騒な殺気立った男はんの世界と道一筋を隔てて色も欲もかなぐり捨て、ただただ、一心に仏に帰依しようとする物静かな女ごなんの世界が、こんなちっぽけな宮内の中で、お互い無関係なように、また、深く結びつうように繰り広げられます。

 そんなこんなと、月日はあっという間に、この小雪の宮内を通り過ぎていきました。
 
 さくらの蕾が枝々で大きく息をして、今にも己の精をそこらじゅうに撒き散らそうとしています。どの木々からも、ぼーっととした薄紅色の霞がかったような気が沸き立ち、春本番のほんの一瞬にしか見せない木自体の色香を見せています。
 小雪も、そんな宮内の春を、今か今かと、ただそれだけを楽しみにしているかのように待っていました。姉さん達が言っている、この宮内の春がそんなにもきれいなのかしらと、また、京の花とどう違うのかしらと。

 そんな春を待つ春雨に煙る日のお昼近くだったと思います。さえのかみさまにお参りした時、街角で、偶然にお声を御掛けいただいた、あの堀家の大奥様「喜智さま」から、突然、文が届いてまいりました。
 ほんのりとした軟らかい、かって母から聞いた「黒方」でしょうか、それとも「梅花」でしょうか、衣香が立ち上ってきます。その表には、濃いからず薄からず誠に達筆ですらりと「小雪どの」と書かれています。手に取るだけで胸がどきどきするような思いに駆られる小雪でした。
 「いったいなんでしゃろ」。
 震える手を押して封を開きました。
 「俄におもいたちてご都合いかならんとあやぶみながら一筆参らせ候今朝御珍らかなるお人わが宅にまかり下さり候そこもとに是非御目もじ候ばと御申され候御立出でくださるよう願上置候  かしこ    ちか」
 この喜智からの短い文が、小雪のこれからの運命を大きく代えることになろうとは誰も知る由もありませんでした。

 一体何事が起きたのか手紙だけではよく分りません。「どないしたら」そんな思いに駆られながら、まだ一度もこの里に来てから袖を通してない母の形見の紫小紋の羽織の入った小箪笥の当りをぼんやりのなんとなく眺めておりました。
 突然に、お宿のかみさん、お粂さんの、頭の天辺からでも出るのではないかとお思われるようなあの甲高い叫び声が小雪のいる二階に響き上がってきました。
 「なにしているの小雪、堀家の大奥様からお呼び出し。ぐずぐずせんと速よう行きねー」
 そんな声に、宿のお久ねえさん達も「どうしたん、どうしたの」と心配して小雪の部屋へ集まって来てくれました。そんな皆に、後押しされながら、素早く小箪笥の中から出した小紋の羽織を抱くようにして取り出しました。お粂さんも駆け上がってきて小雪の頭など細々とてきぱきと整え、着付けもお滝ねえはんが手伝いそうにしているのも無視して、自分で、何かぶつくさ言いながら手早く着せてくれます。さすが手八丁口八丁のお粂さんと言われていただけの事はあります。誰よりも上手に、あっという間に、着付けしてくれました。
 お店の皆に、押し出されるようにして、大阪屋を出て、半町ばかり先にある堀家のお屋敷を目指して、なにがなんだか分らないまま、重たい歩を進め行きます。