私のブラグに書いていた「和気清麻呂」が終わり、もう「吉備って知っている」のシリーズを終わろうかと思いました。同時に、この際、「私の町 吉備津」のブログも、なにせ、書く種が無くなってしまったのですから。
約2年半ばかりあちらに行って調べたり、こちらに行っては人に尋ねたりしながら書き綴ってまいりました。
「おい、そげえなわけも分からんものをけえて、なにんするんなら。はよお止めてしもうたほうがええぞ」
と、お叱りを受けたりもするのですが、つい、時たまですが、閲覧者数が300以上もあるというのを見て、だからと言ってどういうこともないのですが、ついその気になって恥をも顧みなくて、何やかやとと、それらしくかなぐり書いてきました。
と、思って、もう一度、和気清麻呂の実績を確かめて見ようと、永山卯三郎の「岡山県通史」に目を通しました。
何の気なしにめくったページにあったのが「国司藤原保則」という人についての歴史です。かって学生の時分だと思いますが授業か何かで、そんな人の名前を聞いたことがあるように思われます。
読んでみると、吉備津神社とも深い繋がりがあるではありませんか。偶然、「吉備って知っている」の種が転がっていました。
まあ、今少しブラグを書け、という吉備津様のありがたい思召しかと思って続けてまいりますのでお付き合いのほどよろしくお願いします。
約2年半ばかりあちらに行って調べたり、こちらに行っては人に尋ねたりしながら書き綴ってまいりました。
「おい、そげえなわけも分からんものをけえて、なにんするんなら。はよお止めてしもうたほうがええぞ」
と、お叱りを受けたりもするのですが、つい、時たまですが、閲覧者数が300以上もあるというのを見て、だからと言ってどういうこともないのですが、ついその気になって恥をも顧みなくて、何やかやとと、それらしくかなぐり書いてきました。
と、思って、もう一度、和気清麻呂の実績を確かめて見ようと、永山卯三郎の「岡山県通史」に目を通しました。
何の気なしにめくったページにあったのが「国司藤原保則」という人についての歴史です。かって学生の時分だと思いますが授業か何かで、そんな人の名前を聞いたことがあるように思われます。
読んでみると、吉備津神社とも深い繋がりがあるではありませんか。偶然、「吉備って知っている」の種が転がっていました。
まあ、今少しブラグを書け、という吉備津様のありがたい思召しかと思って続けてまいりますのでお付き合いのほどよろしくお願いします。
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