私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「小雪物語」 喜智さまの瘠我慢

2007-04-04 18:34:30 | Weblog
 「おほほ、小雪さんの瘠我慢ですか。いや、女の瘠がまんですか」
 喜智さまは、沈み行く夕陽の方にちらりと目をおやりになって、また、ゆっくりとややうつむき加減に、お話しを続けられました。
 「ひょっとしたら女が生きていくということは、男さんには分らない瘠我慢の連続かもしれませんね。みんなに小さい時から、我慢しろ、我慢しろと、それが女の唯一の歩む道であるかのように教えられきました。特に、私は武士の娘として父からも母から、常に、顔色言葉使いも慇懃にへりくだり和順なるべし不忍にして不順なるべからず、奢りて無礼なるべからず、また、心遣いしてその身を堅く慎み護るべしなどと、教えられて育ちました。女は女ゆえに、本当に瘠我慢しなくならないものなのでしょうか。何もかもほっぽらかして男さんのように奔放な暮らしをしてはいけないものでしょうか。・・・・あらいやだ、林さまが男の人だということをすっかり忘れて勝手なお話をしました。本当に失礼しました。」
 「あははははは」
 と林さまは大笑いされたまま、何もおっしゃいません。

 「あらまあ、今日はどうかしていますよ、なにもかも変でごめんなさい。林さまのお酒がすっかりお冷めになっているのにも気が付かないなんて。須香さん熱いのと取り替えてきておくれかい。なにか肴も温かいもの、適当に見繕って頼むわね」
 「いやいやお酒はもうこれぐらいで私には丁度いいのです。もう結構です。それよりお茶でも、お須香さんとやら、一杯所望しますかね。」
 「はい」といってお須香さんがさっと腰を上げ,夕陽の廊下に出て行かれました。しばらく,林さまもお喜智さまも、お須香さんが立ち去った廊下の向こうの真っ赤な夕焼けが一杯に広がる福山の空を眺められておられるようでした。
 「でも考えてみたら、男にだって瘠我慢の連続みたいなもんです。案外、女だの男だのと言ってはいられない、此の世で暮らしている人みんな、男も女も持って生きていかなければならないものではないかと思います。将軍さまでも、この度の京での戦では随分と瘠我慢なさったように聞いております」
 「この度の京での戦は、将軍様が臆病風を吹かせ,戦いが始まらない内から勝手に一人でさっさと船で江戸まで逃げ帰った卑怯者だと、私は聞いていたのですが。瘠我慢だったのですか」
 「瘠我慢だったのか臆病な卑怯者だったのかは、私にもはっきりとは分りかねますが、何らかのお覚悟は徳川さまの心の奥底にも秘められて居られたのではと推測しております。が、この度の高雅さまの事件も、この徳川さまのなさりようと、些かかかわりがあったのではと、私は思っています。この卑怯だと世間様から、しきりに揶揄されている将軍様のなさりように対して、尊王攘夷の人達は怒りを佐幕派と見られた人に狂ったよう向けられ、多くの悲惨な事件がそれを契機に頻発しております。その一つが高雅さまの暗殺につながったのではないかと、私は見ております」
 そこに須香さまがお茶を持ってはいってこられました。そのお茶をさも美味しそうに飲みほされて、お茶碗を両の手にしたまま、お喜智様のほうをきっと見据えられたたままで、
 「ちょっと変な事お尋ねしますがいいでしょうか。・・・お喜智様、高雅さまのご遺体はまだそのまま京にあるのでございますか。山田源兵衛さんが痛くご心配なさっているとか聞きましたが。・・・・これもひょっとして、失礼な言い方かもしれませんが、喜智さまの御瘠我慢なのでございますか・・・・・・」
 お喜智は下をお向きになったままで、
 「・・・・・そうかもしれませんね。・・・・・藤井家のお人になったとはいえ、わたしはあの高雅いや光次郎の母親です。ご迷惑をお掛けした多くの人に対して、方谷さまや板倉のお殿様、又、林さまなどの沢山の豪商の方々、いや多くの世間様に対してどうお詫びをしたらいいのでしょう。小雪さんではないのですが、わたしとて、できればすぐに死んででも、光治郎がご迷惑をお掛けした人たちに対して、お詫びをしとうございます。・・・・私も母親です。光治郎の遺骸をすぐにでも此処に引き取り、ああ苦しかっただろうね、と、しっかりとこの胸に抱きしめてやりたいのはやまやまです。・・・でも、それではあまりにもわたしの身勝手になりはしないでしょうか。世間知らずの恥知らずの女になり下がってしまうのではないでしょうか。・・・・女は家をしっかりと世間様から笑われないよう護って行かなくてはならないと、それこそ父や母から頭にタコが出来るほど教わってまいりました。それを護っていくのが私の、いや堀家を護っていくための勤めだとも思っています。・・・・冷たい女だ、やれ非情の女だ、中には鬼だなどと、面と向かって卑下され侮られたこともありました。多くの世間様が影で噂しているのも、よ~く知っております。・・・・・・・・でも、これが私の女としての、いや、堀家の女として、どんな事をしても絶対に守っていかなくてはならない道だ、と、一心に信じています。それが私の世間様に顔向け出来る唯だ一つの道だと思っています。それがまた、堀家の恥を知る事だと思っています。これって私の瘠我慢?・・ねえ林様・・・」
 最後のほうは、お喜智様ご自身に言い聞かせているような、何処までもゆっくりと、終始、じっと伏せ目がちにお話になられていたのでございます。
 「ねえ林様」とおっしゃられて、ようやくお顔を上げられ、林さまを注視なさいました。
 もうそこには涙もない、いつもの凛々しいお喜智様でございました。
 ちょうど春の夕日が福山に隠れ、時とともにお山が薄紫から群青にかわっていきました。ああ、これがあの高雅様のおっしゃられていた「お山の七化けの始まりでしょうか」と小雪は、喜智様の凛々しいお姿の遠く向こうに佇むお山を見ながらみ感じました。

 
 






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