私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「小雪物語」 舞う小雪

2007-04-05 23:58:39 | Weblog
 「高雅さまは本当に何もかも一途なお人でした。この人だけは、瘠我慢をするということは、これまで一度もなかったようなご一生のように、人様からは見られていたようですが、どうでしたでしょうね。やっぱりあちらこちらと多くのお人とやり取りされていると、どうしても自分だけで勝手に生きているわけにはいかず、じっと瘠我慢をして居る場面が多くなっていたのではと思います・・・」
 と、膝にある備前のお茶碗をゆっくりとご自分の手の中でかき回されながら、
 「あの晩のことです。ご自分のご計画か何かは知らないのですが、何時もの高雅様とは随分と違う、随所に心せわしくお立ち振舞いなされたいたようにお見受けいたしました。琵琶湖の水運事業のご計画も、あまりはかばかしく進んでないようでした、資金面でのご苦労が大変なようにお見受けしました。失礼とは思いましたが、以前お聞きした、『富は屋を潤す』という方谷さまの言葉を拝借いたしまして『心広くして体胖なり』と独り言のように言ってみました。
 高雅様は合いも変わらず無口のまま、お酒をさもうまそうにおのみになっていらっしゃいました。
 ここにおります小雪の京舞でも見て、お心を和ませてくださいと、お頼み申し上げました。高雅さまは、にこりとされて、ただ『見せていただきます』とおっしゃられて、前にあったお酒を大口に一気に飲み干されました。俄に遽しく歌舞の用意をしたお座敷に音曲の姐さんも呼ばれ、小雪の「羽衣」という京の舞を見ていただきました。小雪の舞は、母親譲りの名手だ、京一だと、私は勝手に思っております。つつうんてんという三味の音とともに、この小雪の舞い踊りが始まります。高雅様は、それはそれは一心にじっと身動き一ツせずの例えの通り、小雪の体の重さがあたかも消え去ったかのような、軽くて、しかも、そのありようが花から花へと飛び回る胡蝶にも似て、宙を果てもなくさ迷い歩いているかのような舞をじっとご覧になられていました。どのくらい時が経ったでしょうか、忘れ去られたような時が、舞の終わりとともに、現実に引き戻されました。
 『心広くして体胖なり』か、微笑が高雅さまの唇元に戻ってまいられました。『心広くとは、人が生きていく上で一番難しいことかも知れませんね』とおしゃられました。・・・・・・。それが私のお聞きした高雅さまの最後の言葉でした。
 今宵は、季節も時間も場所も違っていますが、あの時の高雅さまが、踊る小雪を見ながらお考えになっておいでたであろうそのお心の内を、大奥様、いや高雅さまのお母様に是非見ていただいて、高雅さまの鎮魂にいたしとうございます。小雪に、まだ何にも話してはないが、きっと承諾してくれると思います。それで、大奥様のあの瘠我慢は、決して消えはしないとは思いますが、・・・是非ご覧願えればと思います。出来ることなら、輔雅さん夫婦にも、また、紀一郎さまにもと思っていたのですが、生憎と不在だという事で残念ですが致し方ありません。・・・・・小雪いいだろう、承知してくださいな」
 突然の林さまのこのお言葉に、いささか小雪は驚いていましたが、あの夜の高雅様、新之介様二人の鎮魂になるのでしたら、この一年近く、舞いからは、どこかへ置き忘れたかのように完全に離れているものの、まだそれを演じきるだけの勇気は小雪自身の体の中に残っているように思われるのでした。
 「音曲も何もない中で、いや、高雅さまが愛して止まなかったあの福山に沈んでいた春の夕陽の残照を背に、お山の七化けを背景に、それを音曲代わりにして一舞舞っていただきたいのじゃ。お須香さんにお願いがあります。今にも咲き出そうとしている桜の木の本にある石灯籠とその廊下とこの高雅さまの軸の前の三かっ所だけに明かりをつけていただけませんか」
 林さまはすーと光だけをあたりに散らばきながら山の端に沈んでいった日影をいとしむように、その福山に目をおやりながら、相も変わらずゆっくりとしたことばで話しかけておたれます。
 「林さま、今、あてには扇もなんにもあらしまへん。衣装も、普段着のこんなお粗末なものですさかい、舞になるかどうかも分りまへんどす。でも、そんなもん、どうでもようおす。音曲もいりはらしまへん。あのお山に落ちていった大きゅう大きゅうおなりにならはりましたお日さんに負けんようにと踊らせていただきます。それから大奥様、高雅さま、いや、大藤のだんなさんとはあんまりお話しことはなかったのどすが、うちの、いや、わたしの踊り見はって、大藤のだんなさんに『ありがとう』って言うていただきました。わての踊りで『ありがとう』て言っておくれたお方は、この大藤さまのだんなはんだけどす。そのだんな様のために、あの日見ていただいたわての踊りを、京ではない、だんなはんがお育ちのこの地で、小雪は、舞わさせてもらいます。あの日、わての舞が終わった時、ふっと小息をお洩らしになられ、うっすら目にお涙をお浮かべならはりました、だんな様のお姿を目の中に一杯に描きなが舞わさしてもらいます」
 林さまの注文なされた光も入りました。母の形見のこの小紋の羽織をひょいと肩にかけてきただけでもよかった。きっと母も応援してくれるだろうと思いながら、喜智様の前に丁寧に舞いのあいさつを深々として、これから舞う羽衣について語りかけるのでした。
 「ご存知でございましょう。あの美保の松原の天女の物語です。お能の舞いを、京の舞いにつくり変えたそうどす。全部は長ごうございます。羽衣を返していただいて舞いながら天上に帰り行く時の舞いをごらん頂きます。では」
 三味も太鼓も音曲はありません。小雪は小さく己が口で間に合わせます。
 「春霞たなびきにけり久方の月の桂の花や咲く、げに花かづら色めくは春のしるしかや・・・・・」
 舞い進むにつれ、お喜智さまやお須香さんまでもが、小雪の影でしょうか、いや、小雪自身でしょうか、音もなく浮き立ち、舞い飛びしながら、消えたり、また、顕れたりしながら、次第次第に途方もなく深い闇の中をさまよっているのではないかとさえ思われるような舞い姿に引き込まれるのでした。そこにある総てのものが、形も色もない、いることさえもぼうとして得体のない虚しさみたいなものに包み込まれていくような気がします。小雪の舞の中に知らず知らずに引き込まれて行きました。
 外は紫と青の光が交差しながら次第に深々とした紫紺に変化していきます。石燈籠のかすかな光がその薄夕闇中に漂っています。廊下と部屋にある百目蝋燭でしょうか、舞う小雪の簸えす薄紫の小紋の羽織を流れる雲のように浮き立たせては流れていきます。
 空はまだ夕陽の残照に明るく打ちたなびいています。その残照が余計に小雪の動きを淡く幻のように映し出しています。
 お須香さんも、また、瞬き一つせず、小雪の動きに合わせる様に、よっくりと顔を右に左にと動かしながらじっと見つめています。どこか幽玄の世界にでも連れ込まれたように廊下にある蝋燭の光の側にかしこまっています。
 林さまは、例によって朴訥然として、移り行く福山辺りでしょうかじっと目をしたままです。
 「富士の高嶺かすかになりて天つ御空の霞にまぎれて失せにけり・・・・・・」

 周りの山々は紫紺から七化けの最後の止めを突き刺すように漆黒のお山へと変わっていきました。その闇の中に、小雪もすっとあるかなきかのように消えていきました。
 ややあって、
 「ありがとうございました」
 と、京訛りをしずかに響かせて、終わました。


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