私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備津彦神社 3

2012-02-23 20:05:00 | Weblog
 ちょっと、吉備津出身の歴史的人物である「藤井高尚」について、色々調べていましたので、暫らく休憩していましたが、それも本日終了しましたので、又、今日から続きを書いていきます。

 さて、吉備の中山にある備前備中の両一宮についてですが、その間の距離は1kmぐらいもないような所に位置しています。このような例は全国的に見ても、大層珍しい事だとされています。ほとんどが、各一宮間の距離は、数十km以上は離れた位置に建っていると言われています。例えば、この吉備の国の一宮についてでもですが、備後にある一宮は、現在の広島県福山市の新市町宮内にありますが、その距離にすれば5~60km以上は離れている位置に座します。また、美作にある一宮「中山神社」とさへ30kmは離れています。

 今 この備前の一宮である「吉備津彦神社」を取り上げ、お話しているのですが、此のお宮さんを語る時、どうしても忘れてはならない人物の一人として忘れたならない人物がいます。その由来は十分には説明されるまでには至ってないのですが、今、NHKの大河ドラマで放映されている「平清盛」の中で出てくるのなかどうかは知りませんが、「平家物語」の中では、その前半部分ででは、決して忘れることが出来ない重要な歴史的人物として登場する「難波経遠」と云う武将がいるのです。彼は、当時の瀬戸内海、「吉備の穴海」と言われた海上地域の支配権を掌握していた海賊的な武将でした。其の根拠地が、どうも、今の尾上辺りにあったのではないかと言われていますが、此の経遠と関係があるお宮さんが備前一宮でもあるのです。

 是も蛇足ですが、今、清盛ブームとやらで、福原だ、やれ屋島だ、厳島だとかのとその観光地がとりだたされているようですが、此の岡山の吉備の中山も、決して、それと関連付けても、決して、見劣りはしない、いや、それにも増して未だに知られざる清盛の観光スポットとして脚光を浴びていいような知られざる平家と関連ある重要な土地でもあるのです。

 これも、この大河ドラマの中では取り上げるかどうかは分かりませんが、その一つの転機になるあの鹿ヶ谷の事件と関わって、この吉備の中山に幽閉され無残にも暗殺された藤原成親の哀話とも大層関係があるお宮さんでもあるのです。

 そんなお宮さんが備前一宮なのです。それについて聊か以後触れてみたいと思います。

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