私の町 吉備津

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宇賀神と稲荷神

2012-01-24 12:00:52 | Weblog
    

 写真にあるように、どうしてこの宇賀神社が吉備の国の最初の稲荷神とあるのでしょうか。

 どうも、この宇賀神社が吉備の国の最初の「稲荷」であるとは、これを作った人の認識不足がそうさせたのではないかと思われます。というのは、前にも書きましたが、宇賀神社の御神体は日本書紀にある「倉稲魂命(ウガノミタマ)」で、本来は穀物の神ですが、それが何時しか、インドからはるばる日本に渡って来た「弁財天」と結び付いて「福神」にされたのです。と、いうことは宇賀神と稲荷神とは、聊かも関係がないようなのですが、色々な文献を読みますと、まんざら無関係ではないようにも思えるのです。

 ももの本によりますと、「宇賀之魂神。亦名専女。三狐神」と書いてあり、三狐神を(ミケツガミ)と読ませています。此の(みけつ)というのはいわゆる御食津神(みけつがみ)に通じ、食べ物の神になったのだそうです。その三狐がそのまま狐の神様となり、此の狐神が稲荷神と結び付いて宇賀即ち稲荷と同一視されたのではないかというのです。


 そんな風に考えると、この看板にあるように吉備の最古の稲荷であるというのは、聊か話が違い、元々は宇賀神、即ち、「倉稲魂命」をお祭りした神様があり、それと何時ごろかは分からないのですが、狐のお稲荷さん信仰と結び付いて、「最古の稲荷」等という、誠にそれらしい言い伝えが何処からか伝わってきて、信じられこの案内札のようになったのではないでしょうか。


 なお、このお稲荷さんの信仰が盛んになったのは江戸の頃からだと言われています、それ以前には余り人々の信仰の対象としては考えられてはいなかったようです。



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