その翌日になります。六月九日です。どうしてかは分からないのですが、ビスカイノは「昼の九時」と、その時刻を記しています。当時の時計は24時間制ではなく、12時間を使っていたのでしょう。当然、「午前」「午後」と云う言葉も使っていはいなかったのでしょう、「昼の9時」という表現が残されています。
まあ、そんなことはどうでもいいのですが、ビスカイノはこの報告の中に「フネアス船側に来り」と書いています。この「フネアス」という言葉も、亦、言葉そのものだけからだと、何のことかよく分からないのですが、前後の文章から、翻訳した村上直次郎は、随分と迷ったのではないかと思いますが、「フネアス」を「フネハッソウ」、即ち、「舟8艘」と云う意味だという日本語に解いたのだと思います。
流れついた船が一体「何国人なるかさぐらんとせり」。これが近づいてきた日本の舟の目的だったのです。でも、その船に田中勝介などの日本人がいるのを見、そして、その言葉から、此の船の人たちが、特別、害を加えようとしているのではない事を知り安心したのだそうですが、その服装など今までに見たこともなく、船に乗り込んでまでその捜査をする事などは欲しなかったのでしょう。
考えられるのは、最初舟8艘の舟で乗りこんで来たものは下級の者で、意思決定は出来ず、急遽、意思決定が出来る上級武士に登場を願ったのでしょう。一艘の舟が近づいてきます。
それから、どう話が結実したのかは分からないのですが、兎に角、船上のスペイン人と話合ったのでしょう、その新たにこぎ寄せた舟から4人が(多分上級武士でしょう)、結局、此の船に上って来たのだそうです。そして、その4人に対して「司令官は葡萄酒及び砂糖漬を与えたり。此の品は彼等の最も喜ぶ物にして」と、記されております。
始めて賞する珍しい物を食して、ある程度、精神的にも興奮しのではありましょうか、その口にした砂糖のほろあまさと、葡萄酒の芳醇さに酔いしれたのかも知れませんが大層喜んだと書いています。この「喜ぶ物にして」にしてと云う表記には、先進的な自分達の立場を強調して、相手方を随分と卑下した態度の現れれではないかと思われますが???。ヨーロッパにしか近代文明は存在してないと云うヨーロッパ人の超越した自惚れが、ここにも少なからず、現われているように思われますが??????
この辺りの文を読んで、「文章は人の心だ」と、云われる所以が見え隠れしているのではありませんでしょうか。
まあ、そんなことはどうでもいいのですが、ビスカイノはこの報告の中に「フネアス船側に来り」と書いています。この「フネアス」という言葉も、亦、言葉そのものだけからだと、何のことかよく分からないのですが、前後の文章から、翻訳した村上直次郎は、随分と迷ったのではないかと思いますが、「フネアス」を「フネハッソウ」、即ち、「舟8艘」と云う意味だという日本語に解いたのだと思います。
流れついた船が一体「何国人なるかさぐらんとせり」。これが近づいてきた日本の舟の目的だったのです。でも、その船に田中勝介などの日本人がいるのを見、そして、その言葉から、此の船の人たちが、特別、害を加えようとしているのではない事を知り安心したのだそうですが、その服装など今までに見たこともなく、船に乗り込んでまでその捜査をする事などは欲しなかったのでしょう。
考えられるのは、最初舟8艘の舟で乗りこんで来たものは下級の者で、意思決定は出来ず、急遽、意思決定が出来る上級武士に登場を願ったのでしょう。一艘の舟が近づいてきます。
それから、どう話が結実したのかは分からないのですが、兎に角、船上のスペイン人と話合ったのでしょう、その新たにこぎ寄せた舟から4人が(多分上級武士でしょう)、結局、此の船に上って来たのだそうです。そして、その4人に対して「司令官は葡萄酒及び砂糖漬を与えたり。此の品は彼等の最も喜ぶ物にして」と、記されております。
始めて賞する珍しい物を食して、ある程度、精神的にも興奮しのではありましょうか、その口にした砂糖のほろあまさと、葡萄酒の芳醇さに酔いしれたのかも知れませんが大層喜んだと書いています。この「喜ぶ物にして」にしてと云う表記には、先進的な自分達の立場を強調して、相手方を随分と卑下した態度の現れれではないかと思われますが???。ヨーロッパにしか近代文明は存在してないと云うヨーロッパ人の超越した自惚れが、ここにも少なからず、現われているように思われますが??????
この辺りの文を読んで、「文章は人の心だ」と、云われる所以が見え隠れしているのではありませんでしょうか。
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