私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 48

2008-06-11 10:55:37 | Weblog
 「梅ヶ宿をご馳走します」と言った医師政之輔の言葉でしたが、それから五日めに、思わぬ方から声が掛かり、梅ヶ宿を、今年初めて口にすることが出来ました。それはお慶の父親の徳平からでした。お慶の病気平癒を兼ねて天神様にお参りして、その後、「ぶそん」で、ご馳走をするということです。勿論、医師の政之輔も呼ばれていました。
 「本当に、この度は、みなさんには、お慶がえろうお世話になりました。先生には特別にお世話かけました。ありがとうございました」
 徳平の言うお礼の言葉と同時に、出来立ての「梅ヶ宿」が出てきます。早速、里恵は手を出します。「おいしゅうおまっすやろ」と、度々来て知っていたのでしょう、しきりにお餅の由来だのをさも得意げにみんなに話して聞かせ、一人で座を賑しておりました。やがて、里恵とお慶とおせん3人は、近づいてきた桂木の馬場でのお琴の催しについて、徳平や政之輔そっちのけで、話が弾みます。男二人は、ただ、無言で、かしましい娘たちの、取りとめのない、お琴話を眺めるように聞いています。
 「先生、悪うおすな、娘たちが勝手におしゃべりしておす。ちょっと座を替えまひょ」
 小声で耳打ちすると、立ち上がります。
 「おとはん、どこ行くねん」と、お慶は聞きますが「3人でどうぞ、わてらはあちでしょうしょう・・」
 と、右手を口の方にやります。食い気としゃべり気の娘たちは
 「帰りには呼んで・・」と、一向に頓着なしのおしゃべりです。
 徳兵は、折角、若い青年が若い娘たちのすぐ側におりながら、そっちのけで色気も何にも無い自分たちの琴の話に夢中になるなんてと、少々おかんむりです。
 「困りもんどす。脇に、美男子のふくろう先生という立派なお方がおいでどすのに、自分たちのお琴の話に夢中になるなんて・・・先生、ちょいと一杯、あっちでつきあっておくれやす」
 と、あきれています。

 しばらく、別々の二つの場所で、娘たちは近づいてきた琴の催しの話に夢中となって父親や政之輔のことなど眼中に無いように話しています。一方、男達は、主にお慶の父親が聞き役、政之輔がしゃべり役となって、それこそ世間話をしながら、娘たちのかしまし話の終わるのをひたすら待っていました。
 娘たちの話もどうにかけりが付いたのでしょう、立ち上がる気配が男達の座にも伝わってきました。
 「長い話でおすな。まあ、先生、これからもよろしくお頼み申します。やっと腰が上がったようどすな」

 おせんは履いていた足袋の調子が足にぴったりとなじんでないように思えたので、その場で履き直します。そのため、お慶たち二人よりちょっと後れて座敷を出ます。念のために忘れ物は無いかなと一渡り部屋の中を眺めて、障子を静かに閉め、ちょっと洒落た上がり框に屈みこんで草履に手を掛けた時です。
 「これ読んでください。おせんさんに私のお礼をしますから。時と場所をこれに書いとります。お願いどす」
 と、膝の上に投げ置くようにして、これも、また、ぶっきらぼうに怒ったように政之輔は言うと、さっさと、おせんの返事も何も聞かずに、表に駆け出るように出て行きます。
 「なんでっしゃろ、変なお人・・・・」
 と、驚いているおせんでしたが、その場に、その紙切れを、捨てることも出来ず、懐にねじ込むようにして表に急ぎます。
 一人になって後から考えたのですが、どうして、あの場に政之輔が何時どのようにして来ていたのか分りません。本当にあっという間の出来事のようでした。


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1 コメント

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Unknown (rau)
2008-06-12 03:40:20
お餅は、いろんな食べ方が
あっていいですね。

結構好きです。
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