私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

身の丈1丈の猪と吉備の中山

2011-03-10 17:33:20 | Weblog

 1月30日に、江漢は、足守侯から鹿3匹、その肉を貰っています。翌日、備前屋の料理人に、その肉の料理を依頼します。すると、その料理人は、その肉の料理をする事について甚だ迷惑そうにして、料理を嫌います。その理由は「吉備津の宮の氏子にて獣を嫌う」としか書いていません。
 
 どうして吉備津宮の氏子が獣を嫌うかという理由について、吉備津では昔語りとして、次のように言い伝えられてきています。

 吉備津彦命は、温羅を退治に、大和の国から、はるばると、この吉備の国にやってきます。そして、最初に、温羅退治の最前線の基地「仮の御所」を、吉備の中山の麓に造営されたのだそうです。その最初の晩、夜もしんしんと更けます。吉備津彦命も、明日からの温羅退治の準備もあったのでしょうか、夜遅くまで、一人で、仮御所でその作戦を練っていたのだそうです。すると、そこへ身丈一丈、そうです背丈が3mもある様な巨大な猪が吉備津彦命めがけて突進してきました。あわや、その猪の牙で吉備津彦命は一刺し突き殺され、一命を終わられるるのかと見えたのです。そこは百戦錬磨の命です。ひらりと体を交わし、空中に数m飛び上がり、落ちざまに腰におつけになっておられた剣を一抜きして、飛びかかってきた猪の首を、見事、斬り落とされたのだそうです。どうとばかりに猪はその場に倒れ、生き耐えるてしまいます。
 命は、早速、部下の一人に、此の猪を仮御所近くの山に埋めさせます。
 命は
 「やれやれ一息ついた。これで一安心だ」
 と思われて、其の夜はぐっすりとお眠りになったということです。

 これで一件落着と行かないのが物語なのです。その猪と江漢が泊って足守侯から頂いた鹿肉の料理を頼んだ料理人が その料理するのを渋ったという事と大いに関係があるもです。その関係は、また、明日にでも。


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