この江漢の日記には、前日、宮内から足守の旧知の黒宮氏の家に泊ったことになっているのですが、それはその日の時間や旅程等から考えると到底無理なように思われますが。その日記に従うと、誠に不思議なのですがそうなっています。
二十九日、足守での第一日です。黒宮氏の家から、足守の旅館「備前屋」に移っています。「小座敷炬燵あり」としか記していません。
足守に、当時、備前屋という宿屋があったのでしょうか、そこに移っています。その頃にはもう足守侯も江戸より御帰省為されて居たようで、御逢いになったのだそうです。三十日に、江漢はその足守侯と逢っています、そして、その殿から、昨日狩りした時の得物である鹿三匹の肉を頂いています。
当時の足守藩の藩主は木下利彪(とらかげ)でした。この人がどのような藩政をしたのはよく分からないのですが、文化的な感性豊かな人で、足守の文化的な発展に寄与したと言い伝えられています。この人の招きで江漢もわざわざ二度までも足守に足をはかんだのではないでしょうか。あいに、くそんな歴史を示す材料がないので何ともいいかねるのですが。
此の藩主利彪からだと思いますが頂いた三匹の鹿がとても面白い騒動を起こすのです。
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