私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  107 平賀元義⑥

2009-02-21 09:55:32 | Weblog
 また、かの元義について物語ります。
 よく、その歌を見ていますと「我妹子」という字を配した歌を沢山残しています。その歌を詠むと、どうも彼は、その行く先々到る所で我妹子、即ち、思い人を勝手に作り、歌に詠んでいます。が、それらのほとんどは、あへない恋の片思いであったようです。でも、時々は、まんがよくと言いましょうか、犬も歩けばのたとえの通り彼女ができたといわれています。その一人に下原(現在の総社市下原)の女(ひと)がいます。この女には元義も当座は真剣に愛していたのではと思われます。そんな思いの歌がたくさん残されています。でも、一方、この女の他にも、どうも児島郡の何処かに、撫川(岡山市庭瀬)に、二万に、山手にもという話も伝わっています。相当の女好きではなかったかと思われます。これらのうち、女性の方がどれだけ真剣であったか、どれほどの係わりがあったのかは分かりませんが、それぞれのところで「我妹子」と元義が読んだ恋人がいたようです。
 これらの女性は、果たして、どんな女性であったかということは伝えられてはいません。
 あなたはどんな人だったと思われますか。想像してみるのも、また、楽しいことではないでしょうか?
 わたしは、これらの「我妹子」、そうです。彼の彼女は、あまり美人ではなく、それも誰もがお相手にならないような相当な年増ではなかったのかと思っています。どこの誰ともわからないような、髪の形からでもわかるような風変りな奇人に誰が情なんかをかけれましょうや。元義が相当な美男子ならいざ知らずですが?

 そんな「我妹子(わぎもこ)」の歌をたくさん歌っています(40歳前後の時です)。

 ・埋火は 消えはてにけり 旅にして 身にそへ寝べき 妹もあらなくに
 ・夕やみの 道は暗けど 我妹子に 早やも見せまく ほしきこの文
 ・我妹子に 別れて行けば 眉引(まよびき)の 横山の上に 月ぞ残れる
 ・こころなく 啼く鳥かも 我妹子に 別れのをしき 春の暁

 こんな歌をたくさん読んだところから「我妹子先生」と呼ばれていたようです。

 この先生、至る所で恋にもだえ、恋に焦がれれば焦がれるほど、愛の神からは見放され、最後は、野垂れ死にのように生を終えています。

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