私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  細谷川後編

2009-02-20 13:40:26 | Weblog
 吉備津神社のお屋根替えが済んで半年がたちました。燦然たる千木が早春の空に聳えています。
 そんな真新しいお屋根を背景にして「吉備の中山を歩こう会」が、来る3月1日に催されることに決まりました。

 吉備津神社を出発して、細谷川を登って、吉備津彦命の御陵を通り、一宮の吉備津彦神社から、再び、吉備津神社に至る、吉備の中山を一巡りするコースです。

 途中のそれぞれの場所で案内人を配して場所説明の計画を立てています。そんなこんなで、私もそのうちの一人に指名されたものですから、この吉備の中山の曰くについて調べてみました。
 まず、細谷川です。よく調べてみますと、我が国最初の歌集「万葉集」の中に「細谷川」という文字が見えると言います。
   
  大君の 御笠の山の 帯にせる 細谷川の 音のさやけさ
 
 この歌がもともとあって、それが平安の世になってから、吉備の国の細谷川に取り入れられたのだそうです。「帯にせる」以下はまったく同じです。盗作だと言われてもしょうのないような歌です。著作権の完全なる侵害です。
 将に本歌取りそのものです。万葉の細谷川はその流れが細くなるようにいつか忘れ去られて、平安の世になると、吉備の細谷川の方が勢いよく都に流れだすのです。
 そうなりますと、どうしても、この細谷川は、一体どこを流れているのかということにも関心が向くようになります。全国的には、吉備の国の歌だから吉備の国にあるのだというぐらいに軽く受け止められていましたが。どっこいそれでは納得しない輩がどうしても出てくるものです。特に地元にです。
 その結果、ああでもない、こうでもないと、いろいろな説が飛び交います。福田海の側を流れているのがそれだと言う人もいますが、今では吉備津神社の南側を流れ落ちる谷川のほとりに、野之口隆正という人が建てた石碑があります、それがあまりにも立派なため、ほとんどここを訪れる人は、
 「ああ、これがあの細谷川か」
 と大いに関心を示して眺めているのだそうです。
 どっちが本当か。そんなことはどうでもいいように思えます。兎に角、吉備の中山を帯のように取り巻いて流れ下っている谷川だということは確かです。
 どうでもいいようなことにどうしてそんない目くじらを立てて主張するのでしょうかね。
 「細谷川の音のさやけさ」に、平安の人が、そのまだ聞かぬ瀬韻に限りない寂寥の思いを感じて、歌の世界の中だけに、とっぷりと漬かり込んだのは確かなことだと思います。あるかないかの、ほんのわずかな音ににも「もののあられ」を感じ取った当時の人たちの関心を呼ぶだけの強い魅力がこの細谷という語韻から感じられたのだと思います。どこを流れているなんてその場所なんかてんで問題にもしてないのに、地元の少しばかり関心を持つ人たちが郷土自慢の種にしたくて「ここだ」「あそこだ」と、ただ、騒いでいるだけではないでしょうか。

 尚、この歌の中にある「吉備の中山」は、高さこそ150~160mくらいしかない低い山ですが、日本の名山の一つであることには間違いないと思います(谷文兆の日本名山図会による)。
 「山は高きを持って尊しとせず。気を持って尊しとする」ではないでしょうか?
 何回も書いたのですが、板倉、殊に、旧山陽道にある吉備津神社参道口辺りからこのお山を眺めると、頼山陽が言ったと言われる「鯉」そのものの形ように見えます。これも、全国の名山と呼ぶにふさわしい山であったからこそ、「吉備の中山」という名前があるにもかかわらず、敢えて、山陽先生ともあろうお方が、特に、その名山ぶりを目出て「鯉山」とお付けになったのではないかと思われます。
 この名山「吉備の中山」は、四季それぞれの時を通して、その独特の彩(いろ)や匂いまでもが湧き立つように感じられる不思議な魅力あるお山です。
 「あのお山は、吉備の国の神南備(かんなび)のお山だ。だからいつも、何か訳の分からない怪しげな霊気が辺りに漂っていて、それに当たると人は悪いことができなくなるのだ。だからこのへんの人はみんな善人なのでだ」、と、昔から地域の古老が言っていました。
 
 

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