古事記を読んでみますと大変面白い事に気がつきます。
この黒日売の仁徳天皇との別れ際に歌った歌にしてもそうです。なにか人物の心の底までを写し取ったかのような書き振りです。
この別れの時に黒日売はもう一首歌を読んでいます。
「大和へ帰って行かれる人は誰の夫でしょうか。大后磐媛から隠れるようにして私のいる吉備にまで逢いに来てくださった人が大和へ帰って行かれる。あの人は誰の夫でしょうか」
と、去りゆく天皇に対して声高らかに歌っています。
「下よ延(は)へつつ」とありますが、下よの「用(よ)」とは「由(ゆ)」と同じで、「~より」になり、「下の方から忍び隠れるようにして」と言う意味だと、本居宣長は言っています。
それぐらい恋しくて、恋しくてならなかった黒日売を訪ねて、いざ、その元を去る時。仁徳は黒日売の為に、土地を安堵してあげるとか、何かしてあげたはずですが、古事記には何も記してはいません。
ちなみに、仁徳の前の天皇、応神はその思い人「兄媛」を訪ねて、(吉備にある)葉田の足守に行幸していますが、その帰る時に、兄媛のために織部(はとりべ)(阿曾辺りの土地)を賜っています。
しかし、仁徳は何も黒日売一族に対して、土地を与えるなどと言った特別なことはしていません。
吉備海部直(きびのあまのあたひ)という吉備地方の海上権を掌握していた黒日売一族には、いまさら土地に対する執着がなかったのかもしれませんが、なにも仁徳から特別な報償品はもらっていません。吉備の地は、応神の時に、兄媛一族にやってしまっていたものですから、残っている土地がなかったのかもしれませんが。
いろいろなことが想像されますが、その辺りのことを、一切、古事記では触れていません。
一方、この黒日売に関する歴史は日本書紀には出ていません。また、林羅山の本朝通鑑にも、水戸光圀の大日本史にも、出ていません。黒と言う一字も。
古事記だけに記載されている歴史的事柄なのです。本居宣長も、この話はどうも嘘っぽい匂いがするように、その「古事記伝」には書いています。
でも、古事記が日本歴史の中に燦然と輝いている以上、そこに書かれている事柄もやはり日本の歴史の一部なのです、真実であるかどうかは別にして。
だから面白いのです。
この黒日売の仁徳天皇との別れ際に歌った歌にしてもそうです。なにか人物の心の底までを写し取ったかのような書き振りです。
この別れの時に黒日売はもう一首歌を読んでいます。
「大和へ帰って行かれる人は誰の夫でしょうか。大后磐媛から隠れるようにして私のいる吉備にまで逢いに来てくださった人が大和へ帰って行かれる。あの人は誰の夫でしょうか」
と、去りゆく天皇に対して声高らかに歌っています。
「下よ延(は)へつつ」とありますが、下よの「用(よ)」とは「由(ゆ)」と同じで、「~より」になり、「下の方から忍び隠れるようにして」と言う意味だと、本居宣長は言っています。
それぐらい恋しくて、恋しくてならなかった黒日売を訪ねて、いざ、その元を去る時。仁徳は黒日売の為に、土地を安堵してあげるとか、何かしてあげたはずですが、古事記には何も記してはいません。
ちなみに、仁徳の前の天皇、応神はその思い人「兄媛」を訪ねて、(吉備にある)葉田の足守に行幸していますが、その帰る時に、兄媛のために織部(はとりべ)(阿曾辺りの土地)を賜っています。
しかし、仁徳は何も黒日売一族に対して、土地を与えるなどと言った特別なことはしていません。
吉備海部直(きびのあまのあたひ)という吉備地方の海上権を掌握していた黒日売一族には、いまさら土地に対する執着がなかったのかもしれませんが、なにも仁徳から特別な報償品はもらっていません。吉備の地は、応神の時に、兄媛一族にやってしまっていたものですから、残っている土地がなかったのかもしれませんが。
いろいろなことが想像されますが、その辺りのことを、一切、古事記では触れていません。
一方、この黒日売に関する歴史は日本書紀には出ていません。また、林羅山の本朝通鑑にも、水戸光圀の大日本史にも、出ていません。黒と言う一字も。
古事記だけに記載されている歴史的事柄なのです。本居宣長も、この話はどうも嘘っぽい匂いがするように、その「古事記伝」には書いています。
でも、古事記が日本歴史の中に燦然と輝いている以上、そこに書かれている事柄もやはり日本の歴史の一部なのです、真実であるかどうかは別にして。
だから面白いのです。
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