私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

太陽を測り40度の所にあり

2011-11-07 10:54:41 | Weblog
 ビスカイノの一行は地震被害の大きい越喜来を後にして、北へ針路をとり、北緯40度の所に達します。現在の地図で確かめたのですが、40度と言えば、釜石を過ぎ宮古よりさらに北にありますから、この時のビスカイノが連れていた航海士が測量したものは現在ほど精巧なものではなく、随分といい加減なものだったのでしょうかね。

 まあ兎に角、彼等が測量した所は「根白」という所だったのです。(39度少し北寄り)
 「根白は高地に在り海水之に達せざりき」と書かれています。今回の津波でも、1611年の慶長地震同様その被害は少なかったと報じられています。

 ビスカイノは会ったこの土地の人達は猪皮の靴を履き「領主に対して甚だ従順ならざる土人」であったのですが、彼等に、この先どのような領主がいてそこまではどのくらい距離があるか尋ねたのだそうです、すると彼等は、次のように言ったと云うのです。

 「更に進むと二国あり。第一は南部殿、又一は松前殿の所領なり。土地甚だ広大にして三十日以内に国の終端に達すること能はず。又両国を過ぐれば西に転ずと言えり。彼等は磁針の四方即ち北南東西を知り之を使用する」

 と。
 
 なお、当時、日本人なら誰でも知っていると思える「東西南北」の知識があると、大変、驚いたように書いています。日本では既に縄文の時代からそのような知識は持っていたのですが、ヨーロッパでは、アジアの人達の知識を其程度の知識しかないと文化的に低く見ていたのでしょうか。更に、この報告書で、日本人の、特に東北地方の人達の事を「土人」と呼んでいたのにも驚かされます。日本人を「土人」とは、随分と侮辱的な見方しかしてなかったのかなとも思ったりもしいます。

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