私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

月夜見尊に殺された保食神

2012-02-07 14:28:58 | Weblog
 この保食神について、更に、調べてみると日本書紀と古事記にはその書いている内容に違いがあります。

 もう一度、吉備津彦神社の南側にある牛馬神社
            
 の写真を載せます。

 この保食神は天照大神の御命令によって葦原中国に来を月夜見尊を饗応するためにその口から色々な食べ物を出します。それを見て、私が食べる物口から吐き出して並べるなんて、誠にけしからぬ不埒な輩だと言って切り殺してしまいます。すると、その保食神の頂の辺りから牛馬が、それから続いて、額から粟、眉からは蚕、眼から稗、腹から稲、陰からは麦及び大豆や小豆等が出てきたのだそプです。

 しかし、このお話古事記では、頭からは蚕、目から稲、耳から粟、鼻から麦、尻から大豆が出てきたと記されております。

 まあ、この日本書紀にある話の中から、ただ、牛馬だけを取ってきて、粟、米、麦、大豆などは全く無視して、誰の発案でしょうか、知りもしないでいい加減な知識で、この牛馬神社を作ったのでしょう。かえって保食神が迷惑をしているのではないでしょうかね。
 でも、この一宮や真金など吉備の中山を取り巻いている村々には、の至る所に、田んぼの脇とか道端なと、牛神様の小さな石碑が建っいます。ということは、この辺りの農民がいかに牛馬を大切にしていたかは分かります。その人達の為にも何かこじ付けでもいいから、この牛馬をお祭している本家みたいな神社があってもいいと云う人々のたっての願いから作られたのかもしれません。そう考えると、この神社を建てた人は相当の智恵者だと言わなければなりませんね。

 こんな下らない事を考えながら、此のお宮さんの隅から隅までを廻りました。

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