私の町 吉備津

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備前吉備津神社の神池は太古の港か???

2012-03-02 19:38:50 | Weblog
 吉備線の一宮駅を下りて踏切を渡ると、目の前に大きな備前焼の立派な狛犬が出迎えてくれます、其の傍を通り参道を西に進むと左右にやや大きな神池があります、其の池には島があり、右側の島が鶴島で、もう一方が亀島です。この二つの島にも、吉備津彦神社の末社がそれぞれお祭りされてあります。住吉神と宗像神です。この二神様は、何れも海に関係がある神様で、航海の守護神なのです。それがどうしてこの吉備津彦神社の前の池の島の中にお祭りされているのでしょうかね。其の事について考えてみました。

 この地域一帯は太古の日本といっても、奈良平安頃迄は、「吉備の穴海」と呼ばれていた所で、海人部の活躍していたところなのです。仁徳天皇の時代のあの黒媛の父親も海人部直だったとされています。また、平安時代に、この一帯の海を支配していたのがあの平家物語に出てくる「難波経遠(なんばつねとう)」一族だったと思われます。江戸の始めぐらいまでは、現在の吉備津彦神社辺りまで、海が入り込んでいてたのではと考えられています。
 
 なお、此のお宮さん近くには「吉備津」もそうですが「楢津」「平津」「津島」等という地名が今でも残っています。ということは、此のお宮さんが出来た頃には、この辺り一体に沢山の大小の港があり、そこを中心とした大きな勢力を持った穴海の支配者(その代表的人物が難波経遠や妹尾兼康など)がいて、その人達の手で、海の航行の安全を祈願する神様を一つじゃなくて、序での事に住吉・宗像のふたつの神様を並べて、吉備津彦神社の辺りに造ったのではないかと考えても、決して、不思議ではないと思われるのですが。それが現在にまで伝わって来たのではないでしょうか???どうでしょうかね。

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