私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

やっちもねえ話じゃがなあ???

2010-12-22 10:50:44 | Weblog

 またまた、例のメール氏からです。本当に「ひつけえなー」と思いますが。

 「おめえが、またまたけえておる 吉備と肥後のことじゃけえどなあ やっちもねえ話じゃがなあ。そげえなこた考えられんど。まあ、せえでも 安芸ぐれえまでは かんげえられんこたあ ねえけえどなあ、どうして そげんな ええかげんなことばあ けえたんなら」

 そこで、この話、またも横道へ

 どうして「肥後」までを、吉備の勢力下にあったのではと、書いたかと言いますと、それは、藤井 駿先生のお書きになった「吉備津神社」(岡山文庫52)にあります。
 それによりますと、大和から吉備の国を平定にやって来た(例の温羅退治の話)吉備津彦命の子孫は三井根子命の他にはいなかったという事です。その命も葦北国造になって肥後の国に行かれたのだそうです。だから当然、その後の吉備と肥後の両国は密接な関係があったのではないかと推測したのです。なお、これも推測の域を出ないのですが、その劣化が近年クローズアップされている千足古墳の壁画ですが、この壁画と類似したものが熊本の古墳にも見られます。吉備と肥後の緊密性を物語る有力な証拠ではないでしょうか。

 まあ、どうでもいいような話ではあるのですが、この千足古墳を含む造り山古墳が5世紀初めの日本での最大の古墳であるという事実だけは確実な歴史的証拠である事には間違いないことですが。この辺りに歴史を探るロマンがある様に思われます。どうでしょう。


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