私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

おせん 24

2008-05-07 12:55:32 | Weblog
 「外は大分暮れてまいりました。が、ここは宮内の街より少々離れてておりまして、そんなには騒がしい事はございませんが、それでも街道筋でも名が知れている色街です。幾分かはいつもこの時刻になりますと賑々しい音曲は聞こえてはきます」
 と、ご主人が言われます。開け放されている障子の外は知らぬ間に真っ暗闇に変わっています。
 「お園さん。大いなる辱を言わはったな。それが辱になるのかならないのか、私にも正直なところ、わかりしまへんのや。おなごはんだけ、どうして辱になるのか、男は辱にならないのかわかりしまへんのや。おなごはんの方が、どうもみても豪いのがわいの周りにも沢山いやはりまっせ。・・・兎に角、もう150年も前の話などす。・・・貝原とかなんとかいう筑紫辺りのお人が書かれた古い古い本に出ていると言われておるのやさかい、いまごろ、幽霊みたいなそんなものに、惑わされんでもええのとちがう。第一あんたさんみたいな別嬪さんが一人で暮らしておるというだけでも、いけまへん。・・・なあ、お園さん、この平蔵も満更悪い人ではおまへん。とうか、平蔵を一人前の男にしてやってくれはらへんか」
 大旦那様は、平蔵が、もう、お園さんを嫁にするのを承知でもしてているようにどんどん話されます。
 考えてみれば、あの長い回廊で、毬が転がり落ち、女の子と一緒にどこかえ消えて行ったという、吉備地方に伝わる昔話を聞いたときから、なんとなく、この人と一緒になりたいなあと考えていたことは確かなことです。だからこそ、お店で、大旦那様から「平蔵。お嫁を」といわれた時、とっさに平蔵の口を突いて、お園さんの名前が出てきたのは事実です。同じ一緒になるのだったらお園さんという気持ちに、その時、既に、出来上がっていたのではないかと思うのです。
 大旦那様のお顔をじっと見ながら、はきはきと対応されるお園さんを頼もしくさへ思われ、一層強く一緒になれたらいいのになあと思うのです。大いなる辱なんてそんなことは、大旦那さんの言われるように、どうでもいいように思われます。大旦那さまと御寮ンさんとのご夫婦をお店で見ている平蔵にとっては、余計に、そんな風に強く思えるのです。
 「ちょっとお待ちになってください。大坂の大旦那様の言われるように、例え、それが150年もの前の筑紫辺りの話であっても、私の心は、つい、昨日聞いたばかりのように真新しいものなのです。ここに居る母には悪いのですが、私の本当の母はもう死んでいません。ずっと、おばあさまが育ててくれたといってもいいのです。そのおばあ様から、いつも聞かせてもらったことなのです。おばあさまに聞いたことは、それがすべて、この世の中で一番大切な誤りのないことだと信じて今まで生きてきました。・・・・・大いなる辱というのは、「オンナハ、タダ、ヤハラカニシタガイテ、テイシンニ、ナサケフカク、シズカナルコトヲヨシトスル」という言葉とともに、これが女の道じゃと強く教えてくれました。・・・・もう。誰がなんといっても、私がお嫁に行く事がありません。それが私を育ててくれた、おばあさまに対しての私の感謝の印でもあるのです」
 「なるほど、たいしたおばばさまじゃのう・・・・・」
 と、さすが大旦那様も、何か、例の長く太い眉毛を眉間に寄せて、とっさにそれ以上の言葉が出ないようでもあり、むうと口を尖らせたまま思案顔をなさったまましばらく絶句なさいました。
 これで、お園さんへの淡い自分だけの一人の思いは終わったなと、平蔵は、わびしいようでもあり、悲しいようでもあり、せつないようでもあり、なんといったらいいのかわからないような思いが胸を突きます。何か一言でも、ここで自分の気持ちを言っておかなかったら、重大な後悔が残るのではないかと、なぜだか分らないのですが、その時、突然に、どこにそんな勇気があったのだろうと、後になって、よくぞそんなことが言えたなと、気恥ずかしささへ感じるような言葉が、不思議なことなのですが、口をついて自然に出てきたのです。

 


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