私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

司馬江漢の西遊日記に戻ります。

2011-03-23 13:49:52 | Weblog

 11日に発生した東北関東一帯を直撃した地震が、風評などというありもしない事を、さも真実げに伝へ、地震と関係のない地方の人々の間にも不安を振りまくように、それこそ大揺れに揺れて日本列島を震撼させました。そんなかって日本人が経験したことがないような未曽有な大惨事をもたらした震災から、今日はもう13日目です。その復興の槌音が、ほんのかすかですが、ぼつぼつと、闇の中から聞こえだしたのではにかと思われます。

 「たちあがれ日本」ではないのですが、「立ち上がれ災害に逢われた東北地方の人たちよ、とにかく頑張ってください」と、無言なる激励を今でもしています。

 この「ぼつぼつ」という言葉に引っ張られて、私のブログも、又、ぼつぼつと続きを書いていこうと思いますのでよろしく。

 前回は、江漢の「西遊日記」1月29日の記事までを書いたのですが、今日からは、それ以降の日記に目を通したいと思います。

  

  この30日に、江漢はようやく念願がかなって、足守藩主木下虎彪侯にお逢いになっております。
   
 「天気よし。御殿へ出る。お逢ひあり。前日お猟あり、鹿3匹、其肉を下さる」

 此の日記から推察できるのは、藩主から「よう来たな江漢。随分と待たせたて済まなかった。長崎はどうだったかね」と、かなんとか声かけがあったと思われます。そして、その日はお城で十分な饗応があったのでしょうか、まだ、何も問題が起きたようには、此の日記には見えません。その江漢が御城から自分の宿舎、足守の備前屋に下がる時にでしょうか、昨日の猟で仕留めた鹿の肉を、、藩主からわざわざ頂いたのです。

 これだけだったら何という事はない、唯の日常茶飯事なことですが、江漢が宿している備前屋の料理人が、たまたま、宮内出身の吉備津神社の氏子だったのです。それゆえに、誠に珍なる事が起こります。三十日の翌日二月の朔の事です。

 ここでちょっと触れておきますが、私の全然気がついていなかったのですが、旧暦では、其々の月は二十九日か三十日であったのです。新暦のように三十一日まであるような月はなかったのだそうです。