私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

寛政2年の岡山での白魚の値段

2011-03-05 18:37:51 | Weblog

 岡山に着いた26日の昼食に江漢は白魚を食べたのだそうです。その時の値段が書かれています。「一升3匁」。どうもこれもよく分かりません。「匁(もんめ」と云うのは。確か重さの単位のはずです。
 では 一体、この「匁(もんめ)」と云うのはなにでしょうか。辞書によりますと、江戸期に使われていた重量を表す単位なのだそうです。すると、この「一升」と「3匁」と云うのには、聊か合点がゆきません。
 「升」は量です。「匁」は重量です。この量と重量からものの値いが生まれる事は確かですが、 でも、その重量が、即、値段になる事ってあるのでしょうか。本来は、その物の重さを示していた「匁」と云う単位も、簡単に庶民の生活の中では、他の単位を示す数字として汎用され、そかも流用することがいとも簡単にできていたのです。それだけ其の当時の人々の生活には、おおらかなゆとりがあったと云う事だと思います。

  「匁」と云う重さは、丁度、その時代に使われていた一文銭、そうです。「寛永通宝」の重さと全く同じ重さの1.375gだったのです。そんなんことから、いつの間にかに、庶民の生活の中で、「匁」と云う、本来は重さしか現わさせなかった単位が、、そのままお金の価値にまで転用されたのです。それらは、現代の社会では、決して、考えられない思考だったと思われます。

 江漢が記した「3匁}と云うたった二言の言葉の中にも、現代のわれわれから見ると、たかが2字ですが、この言葉の中から、江戸の天明と云う時をいっぱいに思い出させる事が出来ます。その時代へ思いを存分に馳せることが出来ます。寛永通宝が、たった、3枚程度のものでも、1升枡一杯の量ぐらいの白魚があったのです。だから、「白魚平皿に盛る」ことが出来たのだろうと思われます。現代の感覚で言うと、90円程度で、そんなに贅沢が出来たのだろうかと感じられます