私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

岩石聳たる処。もしかして豪渓?

2011-03-30 20:59:04 | Weblog

 この西遊日記で、江漢は、「三日天気となる。暖色を催す」と、書き現わしています。「暖色を催す」気候に連れられてか、用人黒宮氏の奥座敷でもある、柏井という所にある温泉場に出向いています。この柏井というのは、前にも書いたのですが、現在の粟井温泉の事だろうと思われます。ここでも、江漢は「粟」と「柏」を間違えているようです。
 この温泉、「黒宮発起して温泉場とす。未だ浴する人なし」と、書いており、その当時、あまり利用する人がいなかったように受け取れます。しかし、前の年の9月に尋ねた時には、「画図西遊旅譚」によると、「浴する者多し」と書いていますので、ここら辺りにもいい加減さが伺われます。
 
 まあ、此の「日記」も「旅譚」も、江漢が、この旅を終えて何年か後に書いたものだそうですので、幾分は覚え間違いがあったことは否めませんが。でも、江漢は、此の足守の湯治湯に、二度までも入っているのですから、江漢自身は、随分と、気に入った場所ではなかったのかと思われます。その後、ここから五、六町離れた場所にある中山という「岩石聳たる処なり」も見学しています。
 これ又、不思議なのですが、この温泉湯治場から五、六町離れた所に「岩石聳えたる所」等ありません。まして、「中山」という地名も現在の足守にはありません。多分、現在の龍泉寺だろうと推測さますが、距離的にそんなんに五、六町の近い所ではありません。
 また、そんなことはないとは思うのですが、此の粟井温泉場から、足を少々延ばし、天下の奇岩の聳えるあの豪渓も行くことはできますが、やはり一日の行程としては少々無理があるように思われます。だから、これも江漢の記憶間違いではないかと思います。もし、あの豪渓にまで足を伸ばしているとするなら、当然、彼は何らかの絵を書き残しているのではと想像します。それぐらいこの豪渓は画家の創作意欲をそそる場所ですから、行ってはいないと思います。

 しかし、この中山も、やはり「画図西遊旅譚」にも書き現わされていますから、前の柏井と同じように2度目の訪問になります。画家としてその腕を揮って、「岩石聳えたる処」について、何か絵でも描き残してくれていたなら、その場所が特定できたのですが、この日記にも、残念ですが、それらしい風景は見当たりません。