私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

ちょっと旅してまいりました

2009-03-17 17:24:00 | Weblog
 15,16日と南信州に、仲間と一緒に旅としゃれてみました。
 3月半ばの日差しに包まれて穏やかな道中の景色が、バスの車窓から後へ後へ流れていきます。高速道路をびゅんびゅんと猛スピードで走る車の数はものすごく、どれもこれもきれいに着飾ってある真新しい車ばかりです。昔はよくあった、あのなんとも言えない「おんぼろ車」なんて一台も見かけません。こんなな高速道路の風景を見ていると、テレビニュースでしか知らない日本の「不況」なんて信じられません。不景気だなんて、どこの国の話だろうかとさえ思われます。日本は「金持ちなんだなあ。豊かなんだなあ」としか思えません。
 「豊かなんだなあ」と言う思いは、車窓を流れ行く車だけに限りません、通り過ぎる民家の家々にも、都会のビルディングにも感じられます。この豊かさとはいったい何ででしょうか。民家一つを取り上げて見てもそうです。車と同じです。すべてきれいで素晴らしい家々です。でも、なんだか私にはその車窓から流れ去る素晴らしい家々の風景にもなんだか知らないのですがわびしさ淋しさを感じるのです。
 それは、昔から何百年と引き続いだ、その地域の気候や風土から生まれた独特の特色を描き出していた家の面影が消えてしまってしまったということです。よっぽど交通不便の限界集落みたいな所に行ったとして、今では、めったにそんな懐かしさがにじみ出ているような景色にお目にかかることはできません。「何とか住宅」とかが建てた同じ規格の家が日本中を席捲しています。
 ああ、やっとあの国に来たのだという、昔みたいな、なんか懐かしいようなほのぼのとした感じがする面白みのある風情がなくなってしまっています。
 車と同じです。日本中家が、同じ規格の同一の軒端のない家々になり下がってしまっているのです。「軒端にゆれる」なんてゆったりとしたあの七夕なんてお祭りが消えてしまった原因にもなっていますが。しかし、たまにですが、築何百年という古いその地方の特色を色濃く残している民家をバスの向こうに目にすることもあります。そんなん風景に出会えると、私は、旅をする喜びみたいなものが湧き上がるように思われます。
 今頃を「旅する」と言うことは何でしょう。ただ同じものを目にするだけの、ただ場所を移動させるだけのむなしい一人の気晴らしにすぎないことでしょうか。
 そんな事を思いながら、それでも10人の仲間と行く旅は、まあ結構おもしろいものでした。目的地についてから歩く道端等に何となく顔ををのぞかせている雪割り草などを目にすると「旅っていいもんだ」と言う気にもさせてくれます。
 これが旅でしょうか。
 
 と、なんだかんだで、今回も、飲むお酒と一緒に旅を結構楽しんできました。

 大勢の人がバスや電車や飛行機の旅を楽しんでいます。
 果たして、旅とは何でしょうかね。どう思われます?