藤井高尚の後を継いで吉備津神社の宮司になったのが、藤井高雅(〈たかつね〉と読みます)です。
この高雅は、文政2年に備中国賀陽郡宮内村(吉備津)に生まれています。父は堀家徳政、母は喜智子です。この母はあの緒方洪庵の姉だった人です。父徳雅は、高雅が5歳の時に夭折し。それ以後は、高雅は祖父の広政の薫陶を受けながら、母の聡明さによって育まれていったのです。
この母、喜智子の歌が「吉備国歌集」に見えます。
見る草も やや萌え出つ あすかゐに
いさ水かはん はるの若駒
このような賢母の子らに与えた感化は大きかったようです。
この母の還暦の祝いに高雅は歌ています。
日にそへて 野べの若松 わかすすき
わかくなりゆく 春のいろかな
子をおぼす 老のみここころ やすかれと
そへてぞいのる 身をも千代にと
この高雅は、文政2年に備中国賀陽郡宮内村(吉備津)に生まれています。父は堀家徳政、母は喜智子です。この母はあの緒方洪庵の姉だった人です。父徳雅は、高雅が5歳の時に夭折し。それ以後は、高雅は祖父の広政の薫陶を受けながら、母の聡明さによって育まれていったのです。
この母、喜智子の歌が「吉備国歌集」に見えます。
見る草も やや萌え出つ あすかゐに
いさ水かはん はるの若駒
このような賢母の子らに与えた感化は大きかったようです。
この母の還暦の祝いに高雅は歌ています。
日にそへて 野べの若松 わかすすき
わかくなりゆく 春のいろかな
子をおぼす 老のみここころ やすかれと
そへてぞいのる 身をも千代にと