藤井高尚には一人の息子「高豊」がいました、高豊は幼少より才学に秀で、ことに歌に関しては、父高尚より巧みであったという。
この高豊は父の後を継ぎ吉備津宮の宮司を務めたのですが、35歳の時、突然病死してしまいます。高尚のこの高豊に対する期待が大きかったばかりに、彼の夭死は痛恨の出来事であったのです。
高尚のこんな歌が残っています。
2月12日高豊が去年うせし日なりければまた祭するついでに
・思うこと かたらひ人の ひとり子の
なくてもへけり あわれひととせ
父高尚以上の歌人と称された高豊の歌を上げておきます。
・花なくて 鳥も声せぬ かくれがに
さびしさそへて 春雨ぞ降る
この高豊の娘に松野がいます。その母美弥もまた歌を善くしています。
・松杉の 奥にかくれて 一本は
あらしもしらぬ 山桜かな
二人の歌は吉備国歌集に載っています。その彼女も、また、42歳の若さで昇天しております。
その後、高尚はこの娘「松野」に大いに期待をかけて育てています。
この高豊は父の後を継ぎ吉備津宮の宮司を務めたのですが、35歳の時、突然病死してしまいます。高尚のこの高豊に対する期待が大きかったばかりに、彼の夭死は痛恨の出来事であったのです。
高尚のこんな歌が残っています。
2月12日高豊が去年うせし日なりければまた祭するついでに
・思うこと かたらひ人の ひとり子の
なくてもへけり あわれひととせ
父高尚以上の歌人と称された高豊の歌を上げておきます。
・花なくて 鳥も声せぬ かくれがに
さびしさそへて 春雨ぞ降る
この高豊の娘に松野がいます。その母美弥もまた歌を善くしています。
・松杉の 奥にかくれて 一本は
あらしもしらぬ 山桜かな
二人の歌は吉備国歌集に載っています。その彼女も、また、42歳の若さで昇天しております。
その後、高尚はこの娘「松野」に大いに期待をかけて育てています。