ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

激ぶとり

2010年10月31日 23時30分39秒 | 雑記
取材で奥秩父の信州道をたどり、十文字小屋を訪れた。台風をはさんで二泊三日。今日、下山して温泉で体重計に乗ってびっくり。なんと75キロの大台に達していた。75キロに達したのは15年ぶり、二回目。

登りの時、なんか体が重いので、体調での崩したのかと思ったら、ただ単に体重が増えていただけのようである。極地取材に向け、体の脂肪を増やした方が良いのかなと思い、夜中にラーメンを食べたり、料理を脂っこくしたりしていたが、予想以上のハイペースで増えてしまっていた。このままでは旅行前に80キロを超えてしまい、歩けなくなる可能性がある。

どうしよう。

夜中、服部さんを特集した、TBS「情熱大陸」を見る。映像で見ると、やはり伝わるものがある。昔一緒に夏のサバイバルを同行したことがあるが、実際に一緒に行くよりテレビで見た方がドキドキしたのはなぜだろう。聖沢での滑落事故は、本人は大したことなさそうにおっしゃっていたが、頭が血まみれになるなど、やっぱりつらそうだった。最後は涙してたし……。死ななくて何よりです。

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天空の一本道

2010年10月26日 11時50分07秒 | 雑記
NHKハイビジョンで「天空の一本道 チベット開山大運搬」(再放送)を見る。チベットのツアンポー峡谷中流部の村ジャラサに住むロパ族の村人たちが、険しい山道を越え、荷駄隊で荷物を運ぶ模様を描いたドキュメンタリー。彼らは4600メートルの峠を越え、ポミというチベット東部の比較的大きな町まで行き、そこから大量のコメなどの物資を運搬する。彼らにとっては貴重な現金収入だ。山道は非常に危険で、命を落とすものが後を絶たないという。

ジャラサは私も昨年訪れた。ツアンポー峡谷の核心部を越えた後、私もまたポミに向かったが、その途中でジャラサに一泊したのだ。番組では私の泊った村の役場なども映し出されており、思わず懐かしさに心打たれた。あと、あのツアンポー峡谷のうっとうしいジャングル。夏の間は特に雨がしとしとずっと降っており、ヒルなどもうようよしていてうっとうしいことこの上ない。

番組を見るとジャラサ‐ポミ間の道は非常に険しそう。このルートは冬の間は雪で通れないので、私はもっと下流のヤオリンパという車道のある村まで行き、そこからもう少し低い峠を越えてポミに向かった。番組の中で、中国政府はツアンポー峡谷の村々を車道で結ぶ計画だと説明していてが、ちょうど私がヤオリンパを訪れた時、ジャラサまで続く車道を建設している最中だった。

素朴な村人たちが懐かしい。車道が通ったら、彼らの昔ながらの生活も失われるのだろう。

番組はNHKオンデマンドで配信中です。興味のある人はご覧になってください。

http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2010021042SC000/
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ピルグリメージ・メソッド

2010年10月24日 18時05分08秒 | 雑記
北極に行って死にたくないので、最近、週末は下半身のトレーニングにあてている(変な意味ではない。足腰のという意味である)。荻田君によると、北極では100キロ以上の重さのソリをひいて、1日20キロ平均の距離をスキーで歩くという。それがどれだけつらいのか、まったく想像がつかないので、とりあえず今日は重い荷物を持って長い距離を歩くことにした。

チャリンコで皇居に向かい、ザックを水で満タンにし、朝9時半ごろから55キロくらいの荷物を背負って、てくてく歩き始めた。東京市民ランナーが無数に横を走る抜けるなか、ぶよぶよの荷物を背負い、ブタみたいにぜいぜい言いながら歩くさまは、さぞかし不気味だったに違いない。途中で昼飯を食べる、昼寝するなどし、なんとか本日の目標である20キロの距離を歩いた。

山ではそんなに長い距離を歩かないので、実に疲れた。足腰が疲れたのもあるが、重さが集中する腰や肩のあたりが痛い。それに加え、15キロを過ぎたあたりから足の豆がきつかった。私は足の形が変なのか、山でもすぐ靴ずれするほうである。下手したら、今日、サードマンが見られるかなと思ったが、さすがにそれはなかった。よしんば見ていたとしても、まわりにはテンスマンかイレブンスマンくらいのランナーであふれていたので、サードマンごときでは気づかなかったに違いない。

訓練としては非常に効果的だ。山に行くよりも、極地への訓練としては、ただ歩く方が向いているのではないだろうか。とりあえず体を鍛えたい多くの人に推奨しておこう。ただ、こうした身体鍛練法は、従来より「ボッカ」と呼びならわされ、日本の多くの冒険家・登山家により肉体強化および精神修養の手段として採用されてきたものの、そんな泥臭い名前では、シトラスミントの香り漂う最近のトレンドには合わない。ということで、これからは「ピルグリメージ・メソッド」と呼ぶことにしたい。「巡礼者的手法」とでもいった意味で、まさに苦行のようなこの身体鍛練法にはぴったりのネーミングだが、そんなことはどうでもいい。横文字であることが重要なのだ。これなら若い女性の方々も受け入れやすいし、ターザンの縦見出しになって、コンビニで売られていても違和感はない。


「こないだ、ピルグリメージ・メソッド試してみたけど、インナーマッスルがしっかりと引き締まるから、基礎代謝率が高まってシェイプアップ効果抜群だよ」
「ほんと、あたしもやってみる」
「じゃあ、日曜朝八時に和気清麻呂像前に集合ね」

そんな会話が丸の内のOLの間で飛び交うことも、そう遠くはないだろう。
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アイス・ブリンク

2010年10月21日 14時00分08秒 | 書籍
Ice Blink: The Tragic Fate of Sir John Franklin's Lost Polar Expedition
クリエーター情報なし
Wiley


北極のフランクリン隊関連の資料として、クックマン「アイス・ブリンク」という本を読む。アマゾンにレビューがたくさん書かれていたので、一応、購入。それにしても私はアマゾンに毒されている。

フランクリンの探検隊は壊血病対策として缶詰食料を大量に持ち込んだ。だが、缶詰工場が衛生面で非常に問題があり、探検中にボツリヌス菌が発生。それが隊を全滅に導いたというストーリーである。なかなか感心させられる指摘であったが、推測と事実がごっちゃになっていて、どこまで話を信用していいのかよく分からない。この隊の軌跡はほとんど分かっていないのだが、筆者は自分の想像を地の文で事実のように書いている。ノンフィクションというより、小説といったほうがいい。おまけにめちゃくちゃ読みにくい英語だった。

本日、チャールズ・フランシス・ホールの「第二次北極探検記:1864-69」など分厚い英書4冊が届く。ホールのこの本はフランクリン隊に関するエスキモーの証言がふんだんに盛り込まれており、資料としては一番価値がたかい(らしいことを最近知った)。首をながくして待っていた本である。

ただ問題は、645ページもあることだ。大学の時に一度も開かずに終わった経済学の教科書なみに厚い。いつになったら読み終わるのだろう。



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山岳ヘリ救助有料化と自由の問題

2010年10月20日 19時40分08秒 | 雑記
登山者にヘリ救助の費用負担を求める動きが広がっているらしい。今年、秩父山中で遭難救助中の防災ヘリが墜落した埼玉県では、県議会で条例案を提出する動きがあった。現在、山の遭難者が県警や県の防災ヘリで救助された場合、救助にかかった費用は原則、公費で負担されている。だが登山ブームの広がりから、疲れて歩けなくなっただけでヘリコプターを呼ぶようなお粗末な遭難が増加し、有料化するべきだとの議論が盛んになってきた。今回の動きは、そうしたお粗末な遭難に歯止めをかけようという動きだ。しかし、どの登山がOKで、どの登山がお粗末だと行政が価値判断することは、危険だと思う。

原則的には、日本政府および地方自治体は、世界中のどこであっても、命の危険にさらされている日本国民がいたら、税金を投入してその生命を守らなければならない。それがたとえイラクでイスラム原理主義団体に拉致された日本人旅行者であっても、秩父の荒川水系ブドウ沢で遭難した女性であっても同じである。わたしたちは日本国の政府、地方自治体に税金を払い、国民に定められた義務を果たす善良な市民である(もちろん、そうではない人も時々いる)。政府・自治体には善良な国民の生命、財産を守る義務がある。

またわたしたち個人には表現や行為の自由が、公共の福祉に反しない限り、認められている。その個人の自由に対して、行政が、良い悪いの価値判断をすることはできないし、してはならないはずである。言うまでもなく、登山もしかり。しっかりとした計画や装備で山を登るのも自由だし、ハイヒールとジーパンで山に登るのも自由、フルチンで森をさまようのも自由である(ただしこれは公然わいせつ罪にひっかかり、公共の福祉に反する可能性がある)。その結果、死んだり、死にそうになったりするのも自由だ。それは他のアウトドアスポーツ、例えばヨットやラフティングでも同じだし、ボクシングやサッカーなどのスポーツ行為、さらには絵画や音楽、言論といった表現活動の自由とも根底は一緒である。

わたしが救助ヘリの有料化で問題だと思うのは、そうした個人の自由に対する価値判断に、行政が介入する可能性があるという点だ。今回、見送られたが、埼玉県議会に提出される予定だった条例案では、県はすべての遭難者に費用負担を請求するわけではない、としていたという。つまり、お粗末な登山で遭難したケースにだけ負担を求めるということだったようだ。しかし、お粗末かお粗末でないかを、どうやって判断するつもりだったのだろう。そこがすごく疑問である。

わたしの見解では、もしハイヒールとフリルのついたスカートで茶髪の若い女性が山に登ったとしても、本人にとってそれが意味のある行為であるのなら、それはお粗末な登山とはいえない。たとえそれがエベレストであってもである。そのリスクを理解しないで、単なる無知でやったのならお粗末かもしれないが、その微妙な価値判断を行政側にゆだねるのは危険である。もしサバイバル登山家服部文祥さんが、まともな装備も持たず秩父山中で滑落し、救助を要請したとしても、お粗末な登山とは言い難いはずだ。本人に主義があってやっているのだから。しかし埼玉県はまともな装備も持たないお粗末な登山と判断し、服部さんに費用負担を求めるかもしれない。

要するに、どの行為はいい、どの行為はダメと、行政は個人の表現や行為に対して価値判断することはできない。中身で差をつけてはならない。だから、すべての遭難者は公費で救助されなければならない。この原則は重要だ。救助ヘリ有料化の動きには、民主主義社会の根幹をなす個人の自由への侵害という、厄介な問題が含まれている。だからマスコミは安易にこの動きに同調してはいけないはずなのだが、残念ながら、あまり大きく報道されなかった。

とはいえ、気軽にヘリ救助を要請する一部登山者の意識の低さに問題があるのもたしかである。登山者側が自発的にレスキュー基金やNPOなどを設立し、費用を自主的に持ち寄って救助組織を運営するのが一番分かりやすい。





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グーグル革命の衝撃

2010年10月18日 11時43分15秒 | 書籍
グーグル革命の衝撃 (新潮文庫)
NHKスペシャル取材班
新潮社


部屋の未読本コーナーに積んであった一冊「グーグル革命の衝撃」(NHKスペシャル取材班)を昨晩、一気読み。

グーグルが日本に上陸してから、ずっと私はグーグルのユーザーであったが、グーグルが決める検索順位のランクづけが社会に大きな影響を与えている現状には不気味なものを感じていた。若干、情報の古い本であるが、グーグル=現代の情報革命がどこに向かって進んでいるのか、もやもやとしていたことがよく分かる。

グーグルのビジネスモデルは個人の検索動向を把握することで、それぞれの個人の指向にあった、「的確」な広告を検索結果に連動させ、大きな広告収入の手に入れるというものだ。行きつく先はどうなるかというと、ジョージ・オーウェルが「1984年」で描いたような不気味な管理社会。オーウェルは当時、台頭していた共産主義が進行した結果としてビッグブラザーによる監獄社会を描いたが、すべての個人の消費動向を把握しようとするグーグルの目指す理想社会も、同じような結果をもたらすと同書は指摘する。

そういう意味では、最近の中国政府VSグーグルのバトルも、言論の自由を認めない伝統的、強権的な中国の共産主義的管理社会と、それとは正反対の資本主義社会から飛び出した、一見自由であるが、密かに個人の管理を進行させるグーグル的情報社会の激突とみれば、興味深い。いずれにしても私たちの未来は、国家か企業かに監視された窮屈な社会しかないらしい。

この本では、インターネットで安易に情報が入手できるようになったことの弊害もきちんと指摘されている。何かについて知りたいと思った時、インターネットがなかった時代は図書館に行き、資料を調べ、人に会って話を聞き、現地に行き現場を見るといった一連のプロセスが必要だった。そうすることによって、事前の予想とは異なる現状、今まで興味はなかったが調べてみると面白かったことなど、様々な寄り道が生じて、人間の知識に厚みが出た。しかしインターネットによる検索はピンポイントで知りたい情報が手に入ってしまう。合理的で便利だが、知りたいことしか知らない人間が増える。その結果、余計な知識や厚みのない薄っぺらな人間ばかりができあがる。グーグルにより検索機能がますます便利になるにつれ、社会や人間から面白みが失われていく、というわけだ。

困ったことに、みんなそれに気づいているのだが、便利だからグーグルを使ってしまう。かくいう私も相変わらずヘビーユーザーで、時々、検索ボックスに自分の名前を打ちこんで、日本社会における角幡唯介のポジションを確かめてみてしまったりする。アマゾンにもどっぷりはまっており、あれを買え、これを買えと、毎日うるさくメールが来る。

そういえばこの本も、アマゾンで買った。万歳!

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甲斐駒ボッカ及びいいにおいの若者

2010年10月17日 17時02分25秒 | 雑記
探検部後輩Sから「瑞垣にクライミングに行きませんか」と誘われたので、金曜夜に中央本線穴山駅に向かった。

とはいえ現在、私は完全に北極モード。幅5センチほどの岩の割れ目に手を突っ込んで、ずりずり体をずりあげるクラッククライミングの技術は、北極ではなんの役にも立たないのでモチベーションがわかない。そこへ、合流したSが、都合のいいことにヘルメットを忘れたというので、強引に標高差2200メートルの甲斐駒ケ岳黒戸尾根ボッカ訓練に計画を変更してしまった。ビニール袋に水を詰め込み、ザックを重くして、土曜日に頂上まで登って来た。


山頂でボッカした水を放水する。大きくなれよ。

ところで登山中、最近はやりの若いトレイルランナーとたくさんすれ違った。いつでもスポーツドリンクを飲めるよう、ホースの伸びた小さなザックを背負い、流行りのカラフルな短パン、Tシャツに身を包んだ、雑誌から飛び出してきたようなさわやかな若者である。犬の散歩をしている日曜朝八時の若奥様のような笑顔で、こんにちはと挨拶をするような連中だ。

登り始めてから数時間、重い荷物を背負って汗をダラダラ流しながら最初のトレイルランナー風男の子とすれ違った時、私とSは奇妙な感覚に襲われた。

いいにおいがしたのである。

「おい、なんか今のやつ、いいにおいがしなかったか?」
「そうっすね」

Sにも確かめたが、Sもまた、いいにおいを嗅ぎ取ったと証言した。その後、私たちはいいにおいのする若者たちとたくさんすれ違った。いったいこの国では何が起きているのだろう。日本の文化の根っこのあたりで、さも今大変な地殻変動が起きているかのごとく、私とSは下山中、いいにおいを発散しながら山を登る男の子たちについて論じ合った。今までずいぶんたくさん山に登ってきたが、いいにおいのする男とすれ違ったのは、今回が初めてだ。

これが、男子、というやつなのだろうか。香水だか芳香剤だか防臭剤だかデオドラントだか知らないが、はっきり言って気持ちが悪い。沢に現れたら、いよいよ本物だろう。

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サードマン

2010年10月14日 12時10分41秒 | 書籍
奇跡の生還へ導く人―極限状況の「サードマン現象」
ジョン ガイガー
新潮社


ジョン・ガイガー「奇跡の生還へ導く人 極限状況の『サードマン現象』」を読む。ヒマラヤや極地や大海原に挑んだ探検家や冒険家の中には極限状況に直面した時、自分とは別の人間がそばにいて、助けてくれる「サードマン現象」という不思議な体験をする人がいるという。南極のエンデュアランス号漂流で有名なシャクルトンは、最後にサウス・ジョージア島を横断する時に、仲間の三人以外の四人目の存在を感じていたし、史上最強の登山家ラインホルト・メスナーはナンガパルバットで弟のギュンターを失った後、同じような体験をしたという。極地のように環境が外界と隔絶されており、風景も動作も単調で、刺激のうすい日々が長期間続くと、サードマン現象を体験しやすいという。

興味深かったのは、探検家や冒険家によるこうした体験と、宗教の始まりの間には、なんらかの共通点がありそうだという指摘である。山野井泰史さんも言っているように、極限的な冒険は精神的な要素が強い行為である。現在だと、こうした現象を体験しても脳認知学や神経学、心理学による解釈で説明を試みるだろう。しかしもし、初期のキリスト教の修道士やチベット仏教の隠者が山岳や洞穴で瞑想中にサードマン現象を体験したら、そこに神や天使の姿を見るはずだ。つまり現代の探検家や冒険家が体験している状況は、世界の真理を見つけるために荒野に向かった昔の修道士や行者の体験に近い、ということである。

かくいうわたしも、チベットのツアンポー峡谷を長期間、ひとりで探検している最中、あれは心身ともに衰弱しきった22日目のことだっただろうか、険しい岩壁をロープで下り、せまい岩場のテラスで一息ついた時、右奥のほうに白いぼんやりとした人間の形をした「存在」を、たしかに……感じなかった。正直言って、この本を読んで残念だったのは、自分がサードマンを見られなかったことである。確かな存在感があり、安らぎを感じさせてくれ、生きのびるためにはどちらにむかったらいいか、何をしたら教えてくれる、それがサードマン。まったく信じがたい話であるが、どんな感じがするのか非常に興味がある。一度でいいから体験してみたい。

ちなみに著者のジョン・ガイガーは、最近読んだ極地ものの英書、「Frozen in Time」の共著者でもある。なんだか、世の中せまいな、と思ってしまった。
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北西航路の資料などなど

2010年10月10日 11時52分59秒 | 雑記
二週間ほどかけてウッドマン「フランクリンの謎を解く」という英書を読む。19世紀中頃、北極の北西航路探検に出かけ、129人が行方不明となった極地探検史上最大の謎、フランクリン隊のミステリーを、イヌイットの当時の目撃証言や間接情報を再構成して解き明かすという内容だ。

英書であるというだけではなく、ジグソーパズルのように様々な証言、証拠が複雑に入り組んでいるので、理解するのが大変なことこのうえない。しかし同時にエキサイティングなことこのうえない本でもあった。簡単に説明すると、フランクリン隊の消息を説明するこれまで学説は、彼らの記録が書かれたたった一枚の紙切れに引きずられ、それに矛盾するという理由でイヌイットたちの目撃証言は無視されてきた。しかしウッドマンはイヌイットの証言をつなぎ合わせれば、それまでお互いに一致しなかった物的証拠もつながることを証明し、フランクリン隊の行方を示す新たなストーリーを作りあげた。生き残った最後の数人がどこを目指したのか。最後のシーンは感動的ですらあった。

それにしても毎日のようにアマゾンから資料が届くので恐ろしい。
フランクリン「北極海沿岸への旅」
ギルダー「シュワトゥカ・リサーチ」
シュワトゥカ「フランクリンを探して」
ラスムッセン「北極アメリカ横断」
マクリントック「フォックス号の航海」
バック「北極圏内陸探検記」
といった未読の英書が現在、目の前に山積みされていて、おまけにその倍以上の本がこれから届く。好きでやっていることなので、しょうがないが、さすがにうんざりする。

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武蔵野アブラ学会2

2010年10月07日 01時55分42秒 | 雑記


実弟が始めた謎の油そば屋「武蔵野アブラ学会」に二度目の潜入を果たす。玄関脇には具志堅用高を彷彿とさせる、というか完全に真似としか思えない、不思議なアフロのおっさんの絵が「愛情たっぷり 油そば」という言葉とともに描かれている。誰だろう、こいつ……。


お前は誰だー!

今回はやや空腹気味なので、思い切って大盛り、肉増しを注文。七、八分で出てきたが、牛の飼料なみのボリュームである。味はやや濃いめ、麺が太くて実際のボリュームも半端ではない。隣の人は野菜増しを注文していたが、油そばなんだか、油炒めなんだか、分からない状態になっていた。さすが学生向けの店である。



前回、紹介した時、店の場所をやや間違っていた。正確には、早稲田大学中央図書館の入口があるグランド坂通りと新目白通りの交差点を高田馬場方面に行った次の交差点である。とはいえ二つの交差点の距離は15メートルくらいしか離れていないので、すぐ分かるはずだ。

それにしても変な店名である。アラブ学会と間違われないか心配だ。イスラム団体ではなく、油そば屋なので、安心して入店してください。
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