極地関係の資料を探していた時、ヒュウ・イームズ「完全なる敗北」(文化放送)という本を日本の古本屋のサイトで見つけ、何の本かよく分からず購入した。読んでみると、この本、1908年に北極点に初到達したと主張し、認められず、ペテン師として社会から葬り去られたアメリカの探検家フレデリック・クックの伝記だった。
北極点の探検史を簡単に説明すると、一応、アメリカの探検家ロバート・ピアリーが1909年4月6日に初到達したとされている。しかしピアリーが帰国する途中、同じく北極点を目指していたクックがピアリーの一年前に到達したと発表したことから、どっちが先だったのか大論争に発展した。ピアリー北極クラブというエスタブリッシュメントからなる後援組織をもち、ナショナルジオグラフィック、ニューヨークタイムズというマスコミも押さえていたピアリーに対し、クックはほとんど個人による裸一貫の探検だった。結局、クックはピアリー陣営から記録は偽造であるとする攻撃を受け、論争に敗北。1906年のマッキンリー初登頂も虚偽だとされ、その後は石油会社を経営したが、ありもしない情報で金を集めたと刑務所にぶち込まれ、不運な人生を歩んだ。
クックの北極点への旅は、北グリーンランドからカナダ極北部のアクセルハイベルグ島を経由し、二人のイヌイットとともに北極海を犬ぞりでのぼるという、約7000キロにも及ぶ壮大なものだった。その間、村はひとつもない。彼の観測記録はいろいろな事情で失われてしまい、それもありこの記録は認められなかった。
クックが本当に極点まで行ったのかは永遠に不明だが、かなり近づいていたことはあり得ると個人的には思う。実はピアリーの極点到達も達成当初から怪しいと思われていたが、彼は持ち前の政治力と押しの強さで初到達の栄誉を勝ち取った。しかし近年になっても、ピアリーの北極点到達はなかったとする論調はアメリカで依然つよく、とりわけワシントンポストは彼の記録に疑問を投げかける記事をしつこく掲載している。
要するにクックもピアリーも、極点到達に関しては同じレベルの根拠しか持ち合わせていなかったということだ。クックはペテン師という烙印が押されてしまったため、歴史的にも評価されていないが、探検家としての実力は超一流だったという。そのことは、クックと一緒に南極を探検したことのある大探検家のアムンゼンが「ユア号漂流記」の中で、彼の実力を持ちあげていることからも分かる。「完全なる敗北」によると、アムンゼンは晩年、刑務所の収監されたクックと面会し、その後の記者会見で「クックは天才であり、アメリカ市民の尊敬に値する。彼は北極点を発見しなかったかもしれないが、それはピアリーにしても同じことであり、クックの主張にはピアリーのそれと変わらない説得力がある」と述べたという。
ピアリーとクックの北極点初到達論争は、非常に面白い物語を今にいたるまで提供している。アメリカでは多くの本が出版されているが、日本ではこの「完全なる敗北」という本しか翻訳されていないようだ(もちろん、今は絶版。読みたい人は古本で)。面白い本ではあるのだが、筆者がクックに肩入れしすぎていて、やや客観性にかけている。資料の出典がないことも、本の信用性を低めている一因だ。近年、アメリカで相次いで出版されているピアリー対クック関係本を、どこかの出版社が翻訳してくれないだろうか。
北極点の探検史を簡単に説明すると、一応、アメリカの探検家ロバート・ピアリーが1909年4月6日に初到達したとされている。しかしピアリーが帰国する途中、同じく北極点を目指していたクックがピアリーの一年前に到達したと発表したことから、どっちが先だったのか大論争に発展した。ピアリー北極クラブというエスタブリッシュメントからなる後援組織をもち、ナショナルジオグラフィック、ニューヨークタイムズというマスコミも押さえていたピアリーに対し、クックはほとんど個人による裸一貫の探検だった。結局、クックはピアリー陣営から記録は偽造であるとする攻撃を受け、論争に敗北。1906年のマッキンリー初登頂も虚偽だとされ、その後は石油会社を経営したが、ありもしない情報で金を集めたと刑務所にぶち込まれ、不運な人生を歩んだ。
クックの北極点への旅は、北グリーンランドからカナダ極北部のアクセルハイベルグ島を経由し、二人のイヌイットとともに北極海を犬ぞりでのぼるという、約7000キロにも及ぶ壮大なものだった。その間、村はひとつもない。彼の観測記録はいろいろな事情で失われてしまい、それもありこの記録は認められなかった。
クックが本当に極点まで行ったのかは永遠に不明だが、かなり近づいていたことはあり得ると個人的には思う。実はピアリーの極点到達も達成当初から怪しいと思われていたが、彼は持ち前の政治力と押しの強さで初到達の栄誉を勝ち取った。しかし近年になっても、ピアリーの北極点到達はなかったとする論調はアメリカで依然つよく、とりわけワシントンポストは彼の記録に疑問を投げかける記事をしつこく掲載している。
要するにクックもピアリーも、極点到達に関しては同じレベルの根拠しか持ち合わせていなかったということだ。クックはペテン師という烙印が押されてしまったため、歴史的にも評価されていないが、探検家としての実力は超一流だったという。そのことは、クックと一緒に南極を探検したことのある大探検家のアムンゼンが「ユア号漂流記」の中で、彼の実力を持ちあげていることからも分かる。「完全なる敗北」によると、アムンゼンは晩年、刑務所の収監されたクックと面会し、その後の記者会見で「クックは天才であり、アメリカ市民の尊敬に値する。彼は北極点を発見しなかったかもしれないが、それはピアリーにしても同じことであり、クックの主張にはピアリーのそれと変わらない説得力がある」と述べたという。
ピアリーとクックの北極点初到達論争は、非常に面白い物語を今にいたるまで提供している。アメリカでは多くの本が出版されているが、日本ではこの「完全なる敗北」という本しか翻訳されていないようだ(もちろん、今は絶版。読みたい人は古本で)。面白い本ではあるのだが、筆者がクックに肩入れしすぎていて、やや客観性にかけている。資料の出典がないことも、本の信用性を低めている一因だ。近年、アメリカで相次いで出版されているピアリー対クック関係本を、どこかの出版社が翻訳してくれないだろうか。