ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

完全なる敗北

2010年06月22日 09時10分57秒 | 書籍
極地関係の資料を探していた時、ヒュウ・イームズ「完全なる敗北」(文化放送)という本を日本の古本屋のサイトで見つけ、何の本かよく分からず購入した。読んでみると、この本、1908年に北極点に初到達したと主張し、認められず、ペテン師として社会から葬り去られたアメリカの探検家フレデリック・クックの伝記だった。

北極点の探検史を簡単に説明すると、一応、アメリカの探検家ロバート・ピアリーが1909年4月6日に初到達したとされている。しかしピアリーが帰国する途中、同じく北極点を目指していたクックがピアリーの一年前に到達したと発表したことから、どっちが先だったのか大論争に発展した。ピアリー北極クラブというエスタブリッシュメントからなる後援組織をもち、ナショナルジオグラフィック、ニューヨークタイムズというマスコミも押さえていたピアリーに対し、クックはほとんど個人による裸一貫の探検だった。結局、クックはピアリー陣営から記録は偽造であるとする攻撃を受け、論争に敗北。1906年のマッキンリー初登頂も虚偽だとされ、その後は石油会社を経営したが、ありもしない情報で金を集めたと刑務所にぶち込まれ、不運な人生を歩んだ。

クックの北極点への旅は、北グリーンランドからカナダ極北部のアクセルハイベルグ島を経由し、二人のイヌイットとともに北極海を犬ぞりでのぼるという、約7000キロにも及ぶ壮大なものだった。その間、村はひとつもない。彼の観測記録はいろいろな事情で失われてしまい、それもありこの記録は認められなかった。

クックが本当に極点まで行ったのかは永遠に不明だが、かなり近づいていたことはあり得ると個人的には思う。実はピアリーの極点到達も達成当初から怪しいと思われていたが、彼は持ち前の政治力と押しの強さで初到達の栄誉を勝ち取った。しかし近年になっても、ピアリーの北極点到達はなかったとする論調はアメリカで依然つよく、とりわけワシントンポストは彼の記録に疑問を投げかける記事をしつこく掲載している。

要するにクックもピアリーも、極点到達に関しては同じレベルの根拠しか持ち合わせていなかったということだ。クックはペテン師という烙印が押されてしまったため、歴史的にも評価されていないが、探検家としての実力は超一流だったという。そのことは、クックと一緒に南極を探検したことのある大探検家のアムンゼンが「ユア号漂流記」の中で、彼の実力を持ちあげていることからも分かる。「完全なる敗北」によると、アムンゼンは晩年、刑務所の収監されたクックと面会し、その後の記者会見で「クックは天才であり、アメリカ市民の尊敬に値する。彼は北極点を発見しなかったかもしれないが、それはピアリーにしても同じことであり、クックの主張にはピアリーのそれと変わらない説得力がある」と述べたという。

ピアリーとクックの北極点初到達論争は、非常に面白い物語を今にいたるまで提供している。アメリカでは多くの本が出版されているが、日本ではこの「完全なる敗北」という本しか翻訳されていないようだ(もちろん、今は絶版。読みたい人は古本で)。面白い本ではあるのだが、筆者がクックに肩入れしすぎていて、やや客観性にかけている。資料の出典がないことも、本の信用性を低めている一因だ。近年、アメリカで相次いで出版されているピアリー対クック関係本を、どこかの出版社が翻訳してくれないだろうか。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

哲学者とオオカミ

2010年06月16日 22時03分23秒 | 書籍
朝日新聞の書評で石川直樹が書いていた、マーク・ローランズ「哲学者とオオカミ」(白水社)を読んだ。ペットとして購入したオスのオオカミのブレニンとの生活を軸に、最終的には人間が生きる意味はどこにあるのかを哲学的に考察した本である。

べつにオオカミとの生活ぶりを紹介したわけではなく、ブレニンの行動を通じて気付いたことや知見を、非常に分かりやすい言葉と例で展開している。彼がそれまでの構築してきた哲学が、一匹のオオカミの存在によって覆されていくダイナミズムが面白い。時間という概念との絡みで語られる人間の「生」の意味は、ブレニン=野生の存在なくしては発見できなかった。彼が最後に到達した生きることの意味は、個人的には、なるほどそうだよなと、非常に納得させられ、ラインマーカーをいっぱい引いてしまった。

彼がブレニンと生活していた10年間は独身で、つきあう女性を性のはけ口としか認識しておらず(自分でそう言っている)、人嫌いだと公言し、ごうまんで、孤立した環境で著作に専念する、要するに社会性がやや欠如した人間だったらしい。その間、彼はオオカミを見ながら生きることについていろいろ考え、ある結論に達したわけだが、しかしさらに最後に、さらなる展開が、ささやかだが待っている。

うーん、そうか。結局そうなのか。いやあ、そりゃそうだ。

気になる人は読みましょう。いい本です。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北極潜航

2010年06月05日 20時14分58秒 | 書籍
雑誌に極地関係の記事を書くため、現在、過去の探検記に再び目を通したり、新たに読んだりしている(実にのんびりとした生活である。こんなことやっていていいのだろうか)。ナンセンやアムンゼン、シャクルトンの偉業は言うに及ばずであるが、今回、新たに読んだ本の中で面白かったのが、文藝春秋「現代の冒険5 白い大陸に賭ける人々」におさめられているW・アンダーソンの「北極潜航」。

1958年に米海軍原子力潜水艦ノーチラス号で北極海の氷の下に潜り込み、人類史上初めて、船で北極点に到達した時の艦長の記録である。時代は冷戦真っ只中、航海はもちろんソ連側の目を盗んだ極秘任務だった。6月に一度、太平洋からベーリング海峡を越えてチュクチ海に入るが、巨大な氷山に行く手を阻まれ失敗。7月に再挑戦し、ハワイから北極点を経由し、イギリスに抜けた。

冷戦という難しい時代に任務を帯びた軍人による記録とは思えないほど、文章は全体を通してユーモアに満ちている。横顔がジャン・レノに似たこの潜水艦長は諧謔精神にあふれていたらしく、読者を楽しませてやろうという姿勢が徹底している。

「北極を通過するときといっても、べつに鐘が鳴るわけでもなければ、なにかドスンというような音がするわけでもない。諸計器がどれだけ近くにきたかを知らせてくれるだけである」「北極に船が到達したのは有史以来はじめてのことであり、しかも、こんな多数――百十六人――が一時にあつまったのも史上初のできごとだ」

ほかにも、いささかふざけているとしか思えない文章が散見され、北極探検の記録とは思えない余裕を感じさせる。たぶん、肉体的な疲労や死の恐怖といった悲壮感がつきまとう人力による到達の記録とは違い、「艦内を温度摂氏二二度、湿度五〇パーセントという理想的な状態」に保ち、「乗組員たちは、数日間もこうした環境におかれていると、船に乗る身であることも忘れてしまう」くらい快適な船内環境下で達成された探検だったことが、ユーモアに貫かれたこの記録を可能にしたのだろう。原稿を書きながら、あ、面白い表現思いついた、とほくそ笑んでいる彼の顔が容易に想像できる。

「現代の冒険」シリーズは基本的に抄訳だと思われ、作品としては短い。1959年に光文社から単行本が出ているようなので、気が向いたら買おう。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする