ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

世界的作家・村上春樹

2009年06月30日 23時05分45秒 | 旅行
 カトマンズにやってきた。明後日にはインドに向かう。今回、この町にやってきたのはただ単にインドへの中継のためだが、それでもここ数日間はカトマンズに来たくてしょうがなかった。カトマンズの古本屋には日本語の本がたくさんあるからだ。今回の旅行では本を1冊しかもってこなかったので、最近、活字が読みたくてしょうがなくなってきていたのだ。

 本といえば、外国を旅行していると、他の国の旅行者から村上春樹のことを聞かれることがやたらと多い。昨年、雪男捜索に向かう途中に一緒になったイスラエルのカップルは、二人とも村上春樹のファンらしく、「ノルウェイの森」についての感想を一通り述べた後、僕にも何か意見を求めてきた。村上春樹について論じる以前の問題として、彼らの早口でヘブライ語なまりのイングリッシュが僕にはほとんど理解できなかったので、とりあえず「イエス、イエス」と曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。

 今回の旅行でも、一緒のドミトリーに泊まっていた天津の大学職員だという中国人の男性が村上春樹の小説の愛読者だと言っていた。彼は中国の翻訳者の著作だという「村上春樹とはなんぞや」みたいな本を僕に見せて、「村上春樹は本当に中国の女の子に人気があるんだ」と話していた(彼は、だからたぶん、村上春樹の本を読んでいるのだろう)。

 後日、同じドミトリーで一緒になった、ドイツ人の夫を持ちアメリカに住む成都出身だという中国人の女性も、知っている日本人の名前として、黒澤明、宇多田ヒカルとともに真っ先にあげたのが村上春樹だった。彼女はその後、三島由紀夫、川端康成、大江健三郎などの名前を次々と挙げ、挙句の果てに源氏物語まで出てきたときには、僕は思わずゲップが出そうになった。彼女は「村上春樹も悪くないけど、三島由紀夫のほうが好き」らしく、カバンの中から取り出した「金閣寺」と「潮騒」の中国語訳本を僕の目の前に突きつけ、「私は金閣寺のほうがいい作品だと思うけど、あなたはどう思う?」と訊いてきた。「その通りだと思う」と答えておいたが、もちろん両方とも細かい内容など覚えていない(大体、僕は読んだ本の内容をほとんどすべて忘れてしまうので、そもそも本を読む意味がない)。
 
 弱ったのは彼女になんの仕事をしているのか訊かれた時だ。適当にはぐらかしていたが、あまりしつこく訊いてくるので、「ライターをしている」と言うと、思ったとおり突然、「何を書いているの? 小説? どんな内容のものなの?」と目をきらきらと輝かせ出した。彼女の頭の中には、「日本人の物書き=村上春樹のような小説家」という誤ったイメージが刷り込まれているらしい。僕はもじもじとすることしかできなかったが、向こうがあまりにも興味津々の様子なので、しょうがなく「雪男のことを書いています」と答えると、大爆笑していた。

 とりあえず外国を旅行する人は、恥を書きたくなかったら村上春樹くらいは読んでおいたほうがいいらしいです。

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愛すべきドライバーK

2009年06月26日 13時36分05秒 | 旅行
 旅に出るとはめをはずしたくなるのはどこの国の人も同じであるようだ。

 先日、この国の東のほうに行ったとき、Kという男の車をチャーターし、助手のDと3人で向かった。目的地までは1日で行けるということだったが、夜中につくのも嫌だったので途中の比較的大きな町で1泊した。Kは31歳、お笑い芸人の千原ジュニアそっくりで、左の頬に大きな傷跡があった。僕らはこの町の安宿に、4人部屋を一部屋借りて一緒に泊まることにし、KとDは部屋で一服するとすぐに「遊びに行ってくる」と言ってどこかに消えた。

 日が暮れたころ、酩酊状態のKと全然酔っ払っていないDが戻ってきた。僕の顔を見るなりKは「ごめん、女の子、連れてきちゃった」と照れ笑いを浮かべた。彼がそう言うやいなや、後ろからむっちりとした若い女性がひとり、キャーキャー大騒ぎで部屋に入ってきた。Kはどうやら客である僕の目の前でこの女性と一戦交えるつもりらしい。「ビールをひとりで20本も飲んだんだ」というと、Kはなぜか僕に頬ずりして、女の子といちゃいちゃしだした。

 助手のDはいつものことさと言わんばかりにベッドの中ですでに目を瞑っていた。僕は寝たふりをしながら、耳をそばだてながら彼らの成り行きを注意深く見守った。やさしく言葉をかけるK。しかし、女の子は大声を出して、そんな彼の誘いを拒絶する。そうしてやり取りが2人の間で延々と続けられた。

 その気がなければこの子だって、Kと一緒にこの部屋までのこのこついてくるわけがないし、それに僕はこの子をその手の商売の女性だと思っていた。だから、こうしたやり取りはこの国の男女がことを構える前に、お互いのムードを高めるために必ず行う儀式のようなものだとばかり思っていた。なんという、わずらわしいやり取りが必要なんだろうか。そうした感動にも近い驚きを僕は感じていたが、どうやら全然違ったらしい。次第に女の子の拒絶の声が大きくなり、真剣味が増してきたと思ったら、どたばたと文句を言って帰ってしまった。最初から本当に嫌がっていたようだ。

 部屋の電気をつけると、パンツ一丁のKが気まずそうにたたずんでいた。ビール20本分の酔いはすっかり醒めてしまったらしく、その色黒の顔からは確かにさっきより赤みのようなものが消えていた。「電気を消してくれ」とKはつぶやいた。そんなだらしのない彼の顔を見ていると、バカな男だなと思ったが、悪いやつじゃないなとも思った(さっきの女の子にいったい何をしたのかはよく分からないが・・・)。

 今日、近くに用事があったので、Kに会うため運転手たちの溜まり場に顔を出した。彼は不在で、携帯に電話をかけても出なかった。どこかに仕事にでかけているか、また遊びにでかけているのかもしれない。まあ、いい、また、そのうち会うだろう。

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巡礼は中止

2009年06月25日 23時36分57秒 | 旅行
 山には行かず帰ってきた。

 本当はこの国の東のほうにある、ほとんど外国人の行ったことのない聖山に行こうと思っていたのだが、某国との国境近くにあるため当局の目が厳しいらしい。それにまだ雪が多くて巡礼の季節にはまだ早いと地元の人に言われた。この国には冬にもまた来るつもりなので、今回見つかって入国できなくなっちゃったら元も子もないのであきらめた。また行く機会があるだろう。冬の旅行の偵察は十分にできたので、その意味では満足している。

それにしても、以前は片道4日かかった行程が、いまや道路がしっかりと整備されているから1日で帰ってこられちゃった。速すぎないか? 日本の高速道路とほとんど変わらない。道沿いの集落もなんだか外見はきれいになったけど、同じ形の建物が道沿いにびっしり並んでいて風情がなくなった。あと走行中の車からタイヤや部品が落っこちて、3時間待ちとかそんなトラブルもなかったなあ。それに犬がいなくなった。暇そうに町中をぶらぶらしていて、不用意に近づこうもんならウーウーと唸っていたあの犬たちは、みんな処分されてしまったのでしょうか。代わりといってはなんだが、マウンテンバイクで横断する旅行者の姿がやたら目立った。この国は現在、自転車旅行ブームのようです。

 さーって、これからどうっすかなあ。
コメント (2)
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日の当たる国より

2009年06月19日 17時23分02秒 | 旅行
 10日ほど前からでしょうか、とても日差しの強い国に来ています。

 10年ほど前にも一度、夏の時期にこの国に来たことがありましたが、その時は雨ばかり降っていた印象が強くて、摂氏15度を超えるとぞうり履きになる習性のある僕にとっては足回りが泥だらけになった不快な記憶しか残っていません。6月はまだ雨の季節には早いのか、今回は雨の一粒も降らず、大気はマッチでも擦れば燃え移ってしまいそうなほどカラカラに乾燥しているので、空気を吸えば鼻腔が痛いし、せっかくのもち肌がガサガサに皮膚がめくれてしまっておまけにズキズキと痛いので、たまらず薬局で400円ほどするモイスチャーミルクを買いました。

 それにしても外国に来るといつも思うのですが、どうして、こう、意欲とかやる気とか向上心とか精力といった前向きなベクトルの感情がなえて、暗いホテルの部屋で沈殿してしまいがちになるのでしょうか? それに比べてほかの外国人旅行者の精力的な動きといったら、僕に言わせれば鼻につくくらいなものです。彼らは昨日の夜やってきたかと思えば今日の朝にはいないし、やれ、何人だ、どっから来たんだ、何歳だ、子供はいるかと矢継ぎ早に質問を浴びせかけてくるし、大声で笑いながら肩をたたきあうし、便所でしゃがみながら大きな声で携帯電話をかけています。どうして彼らはこんなに元気なのでしょう? どうして隣のフランス人風の女性はこんなに早くキーボードをたたけるのでしょう? それに比べて、どうして僕はこんなに眠いのでしょうか?

 ひょっとしたら、それは、大して金も持ってきていないのに時間ばかり余っているという旅行スタイルに原因があるのかもしれません。なるべく金を使うまいという貧困なる台所事情が精神をも貧困にさせているに違いないのです。そういえば昔、北京のドミトリーで旅の達人ともいえるじいさんと部屋を共有したことがありました。じいさんは宿についたその日から、僕の連れの女性に、やれ毛皮のコートを買ってやるだの、高級北京ダックを食わせてやるだの、威勢のいいことこの上ありません。そのじいさんは頭をつるつるにそり上げており、本職もなんとか宗の僧侶で、何年か前にばあさんが死んだのをいいことに諸国を漫遊し、出会った女性を金の力で口説きまくるのを楽しみにしているという正真正銘の生臭坊主で、本人も自分のことを生臭坊主だと言っていました。しかし、その天衣無縫な遊び方はいっそ爽快で、彼に出会ってから僕も旅をするならこういう金の使い方をしなければだめだなと思ったものですが、生まれついての貧乏根性はなかなか体から抜けきらず、あれから10年近くたったと思いますが、彼のようなおおきな器量を備えることはできていません。あの坊さん、今頃どうしているのでしょう。今でもくたばらずに外国をふらふらしていてほしいものです。それともすでに地獄へと旅立っていかれたのでしょうか。

 しかし、考えてみると、このように精神が沈滞しているのは、ただ単に体調不良が原因なのかもしれないとも思います。この町に来てから、何日間か聖者由来の洞窟を巡り、3日前に戻ってきたのですが、その日の夜から原因不明の発熱と下痢に襲われ、翌日は完全にベッドの上を離れることができませんでした。体をおかしくしたのも当然かもしれません。徒歩で洞窟めぐりをしていた間の食べ物といえば持参のフライ麺がメーンで、村の食堂に立ち寄ったときもうどんしかありません(なにせこの国の人たちときたら麺と粉ばかり食べています)から、栄養が偏っていたのでしょう。そこで昨日、ようやく歩けるようになったので、さて精力でもつけるかと、この国特産の高原牛のステーキを食べに出たのですが、出てきた肉といったら、そのでかい図体から想像もできないほどペラペラの肉片が2枚、皿の上にのっかっているだけで、ペラペラなくせに中身はほんのりと赤みがかっているそのミディアムレアぶりに、逆に食欲を減退させられました。それにソースも四川料理の辛味ソースとネパールの豆スープを混ぜた妙な味を4で割ったような薄いもので、僕の舌にはなじみませんでした。しかし、霊験あらかたなこの牛の肉ですから、やはり効用はあったのか、一応熱は下がり、こうしてブログにだらだらとくだらない文章をつづる気になったわけです。

 ということで元気になったので、明日から山のほうにでかけます。1週間で帰ってくるか、1ヶ月かかるかわかりません。

    ☆  ☆

 ネットでニュースを見てびっくり。ノアの三沢光晴が元平成維新軍の斉藤彰俊にバックドロップを食らってなくなってしまった。

 プロレス技も巧妙化、複雑化、派手化を極めてきたが、重さと速度がストレートに延髄をうちつけるバックドロップのような古典的な技こそ危険なのかもしれない。ネット情報だと馳浩も意識不明になったことがあるとか。以下は友人の見立て。

《三沢死にましたね。死因は頚髄離断とか。今まで鶴田やウイリアムスのバックドロップを受けまくり、ハンセンや小橋のラリアットをあれだけ受けまくってきたので、首の骨がずれて中の神経が切れかかってたままだったんでしょうね》

 合掌

 

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しばらく休止

2009年06月03日 02時01分47秒 | 雑記
 今日からちょっと外国に旅行に行ってきます。帰ってくるのは8月頭を予定していますが、もうちょっと早くなるかもしれませんし、もうちょっと遅くなるかもしれません。2カ月ほどこのブログは休止します。
コメント (1)
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