ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

日高山脈地図無し登山

2017年08月31日 06時26分03秒 | クライミング
今年夏の最大の企画だった日高山脈地図無し登山を8月13日から23日におこなった。11日間の山旅はそれなりにきつかった。肉体的に、というより精神的に。

私は昔から地図無しで山に登ったらどんな世界が開けるのか興味があった。地図はメディアの代表的なものであり、われわれは地図を見て空間を想像し、その事前情報をもとに山に登る。しかし、地図を持つことによって、山の概要は事前に把握され、それが山そのものがもつ迫力を失わせているのではないかという疑問があった。地図がなければ山は、情報に置かされていない、そこにある山そのものとして、たぶん私の前に姿を現す。その無垢な、侵されていない山を見たとき、私はどう感じるのだろう、という感じだ。

たぶん地図をもたないと、目の前に開ける風景に驚き、感動したりするだろう。そして特徴的な地形の場所に名前をつけたりするはずだ。土地に名前をつけると、その土地には聖性が宿り、ホーリープレイスに変わる、たぶん。地図をもたずに山に登ることで、私はアニミズム発生の原初の記憶を追体験できるのではないかという期待があった。そのためにうってつけの場所は日高しかない。なぜなら日高は山が奥深く、原始的環境をのこしている(と思われるうえ)、私は日高山脈についての概念をまったくもっておらず、山の名前すらまったく知らないからだ。完全に事前情報なしである。

この計画を実現するのにかなり苦労させられた。なにしろ事前に情報を得て、概念が頭のなかに入ってしまうとすべては無駄になる。地図を見るときも日高周辺には目がいかないように注意し、登山記録が視界に入るのも意識的に避けてきた。

しかし、実際にやってみたら、そこまではいかなかったなぁ。正直、今は徒労感というか、企画倒れ感が強い。想像していたような驚きや発見より、次々と現れる発電ダムや林道にかなりうんざりした。途中でピラミッド状の山が三つならぶ河原に出たときは、おお、すごい、ここはまるで王家の谷だと感動したが、登山中は雨ばかりで天気が悪く、また谷自体が険しくて、先の見えないずぶ濡れ藪漕ぎを散々させられて疲れてしまったということもあったと思う。

いやー皆さん、山はね、地図を持ったほうがいいですよ。

それでも八日後に主稜線に出て、こういうかっこいい山に登れた。まだ地図を見てないので、私のなかでこの山はまだメンカウラー岳という、私だけの名前で呼ばれている。



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