ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

今回の旅のなが~い報告

2018年06月04日 04時27分40秒 | 探検・冒険
 シオラパルクの隣、カナックで天候不順でフライトが延期となり、毎年恒例の帰国前の足止めを食らっている。天候不順といっても他国なら全然飛べる気象なのだが、エアグリーンランドは独占企業で乗客は他に選択肢がないため、少し曇ったり風が吹いたりしただけで平気で延期する。今日は日曜。明日飛べばいいのに、なぜか水曜まで飛ばないという。ということで時間があまってしょうがないので、今回の旅の報告でもすることにする。

 ここ数年、極夜探検と並行して国内で漂泊登山や地図無し登山といった活動を続けてきたが、この一連の行動のなかで浮かび上がってきたのが土地あるいは地図と時間というテーマだった。極夜では闇の見えない世界を手探りで旅をしたが、その際に行動の判断の手助けになったのが過去に蓄積した土地や地形に関する知識だった。土地についての知識があったからこそ自分が今どこにいて、次にどこに行き何をすればいいのか判断することができた。また闇の世界は視覚が制限されることで未来に対しての確かな予測ができなくなる。つまり明日、明後日に自分がどこにいるのかわからなくなっているかもしれないという生存不安を常にかかえているため、将来に対する確かな存在基盤をもつことができない。現在という一点で時間が断ち切られており、未来が予測できないという状況に陥っているわけだ。

 地図無し登山でも同じような感覚を味わった。闇夜と同様、地図がないと現在位置が同定することができないため、山頂まであと何日かかるのか、そもそもどんな山頂が待ち受けているのかするわからない。山という自然の本源が露わとなり、将来に対する巨大な不安となって襲い掛かってくるのだ。

 これ以上書くと、次の作品の核心に触れてしまうことになるのでブログではこれぐらいにしておくが、こうした土地、地図、時間というテーマをもっと深く掘り下げれば、生きることの手応えはどこから得られるのかという実存の秘密、冒険の意味に迫れるんじゃないかという予感があったので、今回はそれをもっと深く掘り下げる旅にすることにしていた。具体的にどうしたかというと、食料をある程度制限して途中で狩りをすることを前提に出発したのである。

 とはいえ、去年の極夜探検とはちがって今年はもう太陽が昇っている時期で明るい。4月に入ればもうすぐに白夜になるので、はっきり言って緊張感は薄かった。極夜と白夜では旅の難度が全然ちがって、極夜が本格的な厳冬期剱岳登山だとすれば、白夜は夏の剱岳ハイキングである。わずか一カ月の間にそれぐらい難度は変わる。去年の極夜探検が予想以上に過酷なものとなったので、今年は兎でも獲りながら明るい白夜の氷原をのんびり旅しようと思っていた。狩りを前提にするといっても氷床を越えてツンドラ地帯に入れば兎がいくらでも獲れる。キツイことはまったくする気はなく、兎の肉をがんがん食べて太って帰るぐらいのつもりだった。

 ところが、今年のグリーンランド北部は積雪量が尋常ではなかった。3月にシオラパルクに到着した時点で連日雪がしんしんと降っており、30~40センチの雪が積もっている。3月は雪が降っても大体、大風で飛ばされるのでこれほど新雪が積もっていることはあまりない。なんか雪が多いなぁ、いやな予感がするなぁと思いつつも、でもまあ白夜だし大丈夫だろうと深く考えないまま出発したが、氷床を越えてツンドラ地帯に入ってからとんでもないことになった。ひどい積雪が橇が埋まってまともに引くことができない。橇のランナー材の高さは20センチほどだが、完全に埋まって横げたで雪をかき分けたブルドーザー状態である。途中から荷物を全部載せて引くことができなり、たまたま北部の乱氷対策として用意していたプラスチックの軽い予備橇に荷物を分散し、この予備橇でまずはラッセルして20分ほど進んで、木橇を取りに戻るという尺取虫方式を延々ととらざるをえなかった。尺取虫方式はシオラパルクの先の氷河登りではいつものことだが、その先の海やツンドラでやったのは初めてだ。当然のことながらラッセルして戻ってまた運ぶわけだから通常の三倍の距離を歩かなければならず、全然進まない。うんざりして荷物を全部載せると、しかし橇はびくともしない。ツンドラ地帯は100キロほどだったが、恐るべきことにこのわずかな距離の突破に16日間もの日数を要した。


横げたまで橇は沈みブルドーザー状態。荷物の量はこれで半分

 ただ、獲物という点ではかなりの収穫があった。雪が多いせいか兎のほうはさっぱり姿を見かけなかったが、途中で二度、麝香牛の一団と遭遇。出発前は麝香牛を獲るつもりはなかったのだが、兎が獲れない以上、背に腹は代えられず、というか麝香牛の姿を見た瞬間についつい欣喜雀躍してしまい、それぞれ一頭ずつありがたく頂戴した。これで出発前には40日分しかなかった私と犬の食料は二カ月以上となり、旅に許された時間が一気に延長され、これまで訪れたことない北の地域に進出することができることとなった。

 だが、海に下りてからも雪の多い状態は続いた。海氷は15~30センチの軟雪に覆われ、ずぶずぶと足が沈んで体力がむしり取られていく。ツンドラで見込みより大幅に時間がかかったこともあり、焦っていた私は必死に北を目指して歩き、さらに肉体が消耗していった。麝香牛の肉が手に入ったといってもぎりぎり二カ月強の食料しかなく、40日目を過ぎたあたりから急速に疲労と空腹に苦しむようになり、一日の割り当てよりも多くの肉を消費しはじめた。とてもではないが食わなきゃやってられないのだ。



アゴヒゲアザラシの巨大な穴

 イヌアフィシュアクから海氷を150キロほど北に進んで、ワシントンランドという大地にたどり着いた。地図を見る限りワシントンランドは沿岸ルートと内陸谷ルートが考えられたが、何かで胃袋を満たしたかった私は迷わず兎がとれる可能性の高い内陸谷ルートを選択した。このワシントンランドはそれまでの無風地帯とは異なり、冬は北風が荒れ狂う地のようで、北極というより砂埃舞う中央アジアの沙漠地帯のような景観が広がっている。景観だけではなく実際に砂埃が飛散しており、融雪で水を作ると鍋の底が砂だらけになるという、そんな地である。この谷には中流部と源頭部の二か所で滝のあるゴルジュが立ちはだかり、大きく迂回しなければならず、一筋縄ではいかなかったが、強風地帯なので雪面が固く、ひさしぶりに軽快に橇が引けるようにはなった。しかし期待していた兎の姿は皆無で、麝香牛もまったく見ない。狼のいなければ馴鹿もおらず、時々、狐の足跡が交錯するぐらいだ。ここで兎肉をある程度調達できればさらに旅の時間は延長され、北進の続行が可能となるので、出発前はカナダに渡ることも夢想していたのだが、現実はまったく獲物の姿を見ないままカナダとの海峡に到達、残りの食料と肉体の衰弱ぶりを考えるとそれ以上の北進は断念せざるをえなかった。


タリム盆地のように荒涼としたワシントンランド内陸部の谷


 断念というか、もうこれ以上北に行ったら冗談抜きで死ぬかもしれんからあり得んな、という感じである。何しろ今回はGPSはもとより衛星電話も携帯しておらず、テクノロジー的に脱システムしており、完全に守られていない状況での旅だった。妻子がどうなっているのかもわからない。娘が交通事故に遭っていないか毎日とても心配で、娘が死んだ夢に苛まされるなどしたのだが、客観的に見れば、娘よりお前のほうが心配だろという状況である。

 獲物のとれない内陸部など面白くもなんともないので、帰りは海豹や白熊と遭遇する可能性のある沿岸ルートをたどった。もうこのときになると麝香牛だろうが白熊だろうがアフリカ象だろうがブチハイエナだろうが、人間以外の動物が現れたら即刻射殺して食うつもりだった。途中の定着氷でついに兎を一匹見かけて獲ることができたが、獲物はそれだけである。しかもグリーンランド=カナダ間の海峡は北極海の多年氷が流れ込む北極有数の乱氷帯。とりわけ岬の周辺は巨大な氷がテトラポットのように積み重なり壁となっており、わずかな弱点を見つけては鉄棒で突き崩し、道をつくって突破することを繰り返す。全力で踏ん張って氷の凹凸を超えるので、当然さらに肉体は消耗していった。そして乱氷を超えてふたたび始まる軟雪地獄……。


ぎっしりつまった乱氷帯

 イヌアフィシュアクにもどったのは出発から二カ月近く経ったときだったが、この頃が肉体的には一番きつかった。私も犬も身体に脂肪はまったく残っておらず、身体が筋肉を食いだしている。血糖値が低いのか、歩いていると貧血少女みたいにふらふらして倒れそうになり、このままの状態が続けば餓死するんだろうなということが、極めてスムーズかつリアルに理解できる状態となっていた。毛皮靴底の補修用にもってきた海豹の皮を食べてみるとスルメみたいでとても美味しい。しかしこんなもん食ってたらフランクリンと同じだから、もう少し先だな、などと思ったりする。去年と同じで犬がいるので、最後は犬を食えばいいと分かっているが、あまりに衰弱しているため理屈じゃなくて本能的に餓死の不安が頭から離れないのだ。ここまでの飢餓感をおぼえたのはツアンポー以来だった。


400メートルの垂直の壁。ワシントンランドの屏風岩ことCape Constitution。誰か登りませんか~


 局面が変わったのは、アウンナットの小屋を越えたときだった。定着氷の上にいた狐がわれわれの姿を見て逃げていく。犬は狐に気づいた途端、目の色を変えて橇を引いたまま追いかけだしたが、逃げた狐を獲るのは不可能である。あ~狐食いたかったなぁと思って歩いていくと、その狐のいたところに、何と狼に襲われた麝香牛の死体が転がっているではないか。内臓は食い破られ、後脚の肉はなくなっていたが、前足から背肉にかけてはまるまる残っており、しかも雪の状態からこの二日以内に殺されたものであることが推察され、状態も悪くない。かなり新鮮だ。臭いをかぐと、腐臭はしないものの、この麝香牛は老体だったのか、死を間近に控えた老人みたいに、麝香牛特有のアンモニア臭さを強烈に発しており、思わず吐き気を催したが、十分に犬の餌にはなる。というか犬は歓喜のあまりすでに糞まみれの腸の断片を食いまくり、腹腔に顔を突っ込んで狂ったように顎を動かしている。この死肉を得ることで、私は犬に与える予定だった前半に獲った麝香牛の肉を食うことができるようになり、残りの行程は十分に食えるようになった。

 アウンナットからはイータという地にむかった。ここはアッパリアス(ウミスズメ)や兎、麝香牛、北極岩魚、鴨、狐、狼等々、獲物の豊かなまさに酒池肉林、西方浄土、極北の地に花咲く幻のシャンバラの現実態とも呼べる地で、私は出発前から、最後は食料がなくなるだろうからイータを経由してアッパリアスでも獲って、その肉を食いながら村に戻ろうと考えていた。そのためにアッパリアス捕獲用のたも網を持ち歩いていた。今年は例年に比べてアッパリアスが飛来する時期が遅かったのか、イータに到着したときにはアッパリアスの姿はなかったが、代わりに兎が無数にいたので、十羽ほど捕獲して、干し肉を作ってそれを行動食にし、朝、昼、晩と兎肉を食べながら5月30日に村に帰還した。

 村に戻ったのは75日目。40日の食料で90日間の旅をするのが目標だったので、二週間ほど足りなかったが、今回は疲れ切ってしまい、これが限界だった。正直、この最悪のコンディションでよくここまでやったと思う。距離はちゃんと測ってないが、極夜探検の倍の850キロか900キロほどだろうか。しかしグリーンランド北部の旅の価値を距離で表しても意味はない。カナダ北部や南極なんかとちがい、ここは地形の変化が激しく、アップダウンが連続する上、岩だらけの河原歩きやゴルジュの迂回、激しい乱氷、結氷の不安定な岬など悪場が連続するからだ。今回のルートも往路に氷床を越えて、ワシントンランドの谷を登って、イータに向かう途中にまた氷床に登り、最後にイータからまた氷床に登っているので、述べにして3300メートルほど上り下りしていることになる。うおお、そんな登ってたんか! 今、初めて知った。76キロの体重が村に戻ると62キロになっていたが、そりゃ14キロ痩せるわな。

 この旅にどんな意味をもたせ、そこから何を導き出し、今後にどのようにつなげていくかという旅の核心に触れるところについては、しっかりと作品に中で描いていきたいのでここでは書かない。今回の旅の最大の果実は、餓死の不安を感じるほど極限に近づいたとか、そんなところにあるわけではない。はっきり言ってそのこと自体は私にとってはどうでもいいことだ。どうでもいいことだからブログに書いた。それより大きかったのは旅の途中で、これまでの極夜探検に変わる旅の大きな道筋がはっきりと見渡せたことだ。

 どのような旅をすれば土地と時間というテーマを深化させられるか、そこから何がわかってきそうか。この視点で今後も活動を続けるなら一年や二年では終わらない。たぶん50歳ぐらいまでは腰を据えて取り掛からなければならない解読困難なテーマであるはずだ。しかし、私が考えているようなやり方で旅をしている人間は現代では誰のいないし、もし本当に実現できれば誰もなしえなかった方法で深淵な事実に到達できるんじゃないか。そんなことを思うと私は興奮してきて、よ~し、俺は時代を突き抜けた人間になるぞ~、などと寝袋のなかで固く決意などするほどだったのだ。そのときの気分は「ジョジョ、俺は人間をやめるぞ!」と宣言して石仮面をつけたディオに近いものがあったと思う。
 
 おー、気づくと原稿用紙13枚分にもなっている。こんなの書く力があるんなら、「小説幻冬」の連載に穴開けなくて済んだなぁ。

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極夜探検の映像

2017年12月16日 12時53分45秒 | 探検・冒険
極夜探検の映像。
出発地点の村シオラパルクまで同行した亀川ディレクターから送られきました。
単行本『極夜行』は2月9日発売です。

極夜の探検

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極夜の探検終了

2017年02月26日 10時05分56秒 | 探検・冒険
長らくブログを放置していたが、じつは昨年11月からグリーンランド・シオラパルクにわたり、この4年間準備をすすめてきた極夜の探検を実行していた。それが終わり、数日前に無事、人間界に帰還した。

村では何もする気が起きず、ただ飯を食ってゴロゴロしているだけの毎日だ。ブログの記事も書かなきゃ…と思いつつ面倒くさくて手をつける気がしないので、ひとまず関係者に送った報告文を転載してお茶を濁させていただきます。

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皆さま

新年、あけましておめでとうございます。角幡です。
この4年間準備をすすめてきた極夜の探検が終了し、昨日、シオラパルクの村に戻ってきました。皆さんには心配をおかけしました。


計画では北極海を目指してカナダに渡り、4月に帰村する予定でしたが、中間地点に設置していたデポがすべて野生動物に食い荒されており、残念ながら予定より一カ月ほど早い帰村となりました。

ただ、計画した通りにはいきませんでしたが、80日間の暗黒界の放浪はとんでもなく得難い経験になったと思います。最初の氷河での猛烈なブリザード、荒れ狂う海水を浴びてベーリング海のカニ漁船の船員みたいに氷漬けになった夜、地吹雪でテントが埋没する恐怖と闘いながらの必死の7時間ぶっ通しの除雪作業、冬至の新月期間という究極の暗黒空間における視界ゼロの無茶なナビゲーション、その末に発見した小屋への正解ルート、そしてデポが完全に破壊されたときの絶望。

極夜世界。そこには絶望しかありませんでした。その後、なんとか旅を維持するため月明かりを頼りに大型動物の狩りに挑みましたが、しかし、昔のイヌイットでも困難を極めた暗闇のなかで狩猟に私なんかの半端者がうまくいくわけもなく、最後は犬を食べることを前提に村への撤退を決意しました。その後の思わぬ展開、そして厳冬期のブリザード荒れ狂う地獄のような氷床越え。ウサギ、キツネなどを食いつなぎ、気がつくと2か月分しかない食料で80日間も極夜界を放浪していました。あまりの無茶苦茶な展開の末に見た地吹雪のなかの太陽は巨大な火の玉となってギラギラと燃えており、思わず感極まりました。最後はマジで結構やばかったです。やっぱり、ああいうところに一人で出かけてはいけませんね。

今回の極夜の計画は2015年のデポ設置の段階からやることなすことうまくいかず、まったく計画通りにいきませんでした。ほとんど呪われた企画だったといっていいと思います。しかし、デポが破壊されていたことで、ある意味、計画以上に極夜を深いところまで探検できたとも思います。ツアンポー以来のすごい旅だったなというのが率直な実感です。やっぱり旅は計画通りいかないほうが面白い。その意味での物語性は最高でした。今はさっさと日本に帰って家族と一緒に野沢温泉にでも行きたいなと思ってます。

今のところ帰国は3月初旬を予定しておりますが、せっかく4月末まで仕事をキャンセルしているので、執筆再開は4月になってからにしようかと思ってます。まあ3月一杯は家族とスキーをしたり、本を読んだりしてゴロゴロするつもりです。

極夜の間は、もう二度と極地にはこないぞと思っていましたが、今は次の探検の企画で頭がいっぱいです。

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とりあえずこんな感じの旅でした。。。

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極夜探検の延期について

2015年10月16日 22時11分27秒 | 探検・冒険
長らくブログの更新できず、申し訳ありませんでした。ビーパルの連載でも書きましたが、シオラパルクの家が無電状態で、その後、電気は通ったのですが、ネットは使えないままで、知り合いの家で結構高額な料金を支払って回線を借りてたまにメールを見る程度だったので、ブログまで手が回りませんでした。

さて、唐突ですが、今、私はコペンハーゲンにいます。じつはこの十一月出発で準備していた極夜の探検ですが、来年冬に延期せざるをえない状況となりました。

理由は、これ以上長期にわたる在留資格が取れなかったことです。長期滞在については出発前からこの計画の成否にかかわる悩ましい問題で、6月から断続的にグリーンランド警察当局とささやかな手紙のやり取りをつづけてきました。その詳細についてここで明らかにすることはできませんが、7月の段階でいったん、この問題はクリアできたと思っていたのですが、じつはダメだったようです。

三月下旬にシオラパルクに着て、四月から五月に橇を引いてイヌアフィシュアクに一カ月分のデポを作り、村に戻ってアッパリアスを600羽近く取って保存食を作り、さらに六月から八月には山口君の協力を得て三カ月分のデポを運んで、村に帰ってきて橇と毛皮服の製作を進め、ようやくすべての準備が整え、あとは太陽が沈んで出発を待つばかり……という段階に至って帰国せざるをえないこととなり、無念極まりありません。

大島育雄さんはじめ、シオラパルクの村人たちも橇作り、毛皮服作りで親身になって協力してくれていただけに、残念でなりません。本当に悔しいの一言です。

準備した装備、食糧は村と無人小屋に配置したままなので、来年は自分の身体だけ現地に運べばすぐに旅に出発できる状態にあるのですが、しかしやはり一年間通して家族と離れて探検をつづけることに、今度の旅の大きな意義を見出していただけに、その構造が崩壊することが自分としては最も悔しいところです。


せっかく新しい橇も完成したのですが、使用は一年後ということになってしまいました。

ただ、帰国が決まったときはかなり落ち込みましたが、その後精神的には持ち直し、今ではトレーニングと夏に失敗したカナダデポの再設営をかねて、四月頃にカナダのエルズミアにでも行こうかななどと妄想できるようになりました。しかし、そのことを妻に伝えると電話口の向こうで声が凍りついたので、どうなるかはまだ分かりませんが……。

そもそもモチベーションがフル充電されて出発準備OKの状態で梯子を外されるかたちになったうえ、シオラパルクにいると村人が毎日、ボートで猟に出かけてアザラシ狩りをしているので、見ているこっちも身体がウズウズしてきて、今は一年間、何もしないで待っているというのは難しい状態なのです。


浮き氷の上で小型のヒゲアザラシを解体する村人


浜でイッカクを解体する村人……ではなくて、私。

毎日、こんなことをしていると、自分のなかにわずかに残っていた野生が呼び起こされるのか、早く荒野に出たくてたまらなくなってしまいます。地図のない世界という極夜探検のつぎの新しい旅の計画案が私のなかで芽生え始めており、一年間待つ間にそっちを先にやっちゃおうかなーなんてことも、時折、考えてしまいます。

バカは死んでも治らないのでしょうか。








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村に戻りました

2015年09月14日 08時46分18秒 | 探検・冒険
二度目のカヤックによるデポ旅行を終えて、8月31日に無事、村に戻りました。じつは村を出る直前にいろいろあり、家を引っ越さなければならない状況となり、現在、電気もネットも通じていない家で不自由な生活を強いられています。ブログ更新が遅れたのも、そのためです。ビーパル誌の「エベレストには登らない」という連載で、そのへんの事情は詳しく書く予定なので、興味のある方は読んでみてください。

ちなみに予定通りとはいきませんでしたが、デポ設置には成功し、なんとか11月中旬に極夜探検に出発できる見込みとなりました。

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二度目のカヤック・デポ旅行に出発

2015年07月23日 00時42分52秒 | 探検・冒険
現地時間7月22日夕方から、二度目のカヤックによるデポ設置旅行に出発します。
35日~40日間の予定で、村に戻るのは8月末か、もしかしたら9月に入るかもしれません。
その間、連絡は取れません。仕事関係でメール等いただいても、返事はその後になります。

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カヤック旅からひとまず帰還

2015年07月13日 10時24分02秒 | 探検・冒険
カナダをめざしたカヤックでの航海から、8日にひとまず帰還した。村に戻ってブログを更新する気も起きず、この4,5日は家でのんびり過ごしていた。いやはや、北西グリーンランドの海は想像以上にワイルドで、荒々しかった。わずか18日間の航海だったが、ここ数年では経験のないほどの波瀾万丈な旅、トラブルの続出。この先、何が起きるか分からないという意味ではツアンポー峡谷以来の内容だったかもしれない。

旅の報告はナショジオのウェブサイトで書かなくてはならないうえ、来年以降の話になりますが、オール読物の連載で作品化することになっているので、このブログでは詳細を書くことはできませんが、簡単に紹介すると、四日目にセイウチが襲来、山口君の船が牙で穴をあけられ、数百メートルにわたって追い掛け回された。その後、カナダ渡航であるアノイトーに到着したものの、タイドラインを見誤るという初歩的なミスを犯し、ドッグフード20キロを海に流出(今回の遠征ではドッグフード運に見放されており、デポのために橇やカヤックで運んだドッグフードをこれで40キロも失ったことになる)させてしまい、デポ品の一部を失ったため、今回のカナダ渡航は断念した。さらに帰りの航海でも船が流出し、氷の海を泳いで船を捕りに行くなどという失態も演じてしまう。

このときは、まさか自分もナンセンのように氷の海を泳ぐことになるとは思いもしなかった。もちろんドライスーツは着ていたが、慌てて準備したので、社会の窓のチャックを閉め忘れてしまったのである。そのためドライスーツ内に冷水が入りこんできてウェットスーツと化し、泳いでいる間に下半身の感覚がなくなってきてしまったのだった。

そして最大のトラブルは村に戻ってきたあとに、大家から示されたインターネット代金の請求書。腰を抜かすほどの金額に達しており、セイウチ襲来以上に顔が青くなった。家族とスカイプをやりすぎたのだろうか。あるいは、アッパリアスを捌く間にTBSラジオのポッドキャストを聞きすぎたのが原因だろうか。あるいは……。

カナダに渡れなかったのは残念だが、とりあえずアノイトーに流出したドッグフード以外はデポできたので、計画に失敗したわけではない。もともと今回は成功の可能性はあまりたかくはないと考えており、7月下旬に出発する二度目の航海が勝負だと思っていた。セイウチの生態、干満差、浮き氷や定着氷の状況、途中で捕れそうな獲物など、今回の旅で現場の海の状況がきわまて生々しいかたちで把握できたので、次はもっとスムーズに旅することができる、と期待している。


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カナダへ出発します

2015年06月21日 10時36分55秒 | 探検・冒険
20日(現地時間)は予定通り昼頃にヘリが到着し、山口君と合流。その日のうちにカヤックを組み立て、デポ用の荷物のパッキングも終了したため、21日にカナダ・ピム島に向けてカヤックで二度目のデポ設置旅行に出発することにした。

往復約300キロの航海で最大で20日間を見込んでいるため、場合によっては7月11日頃まで村に戻らないかもしれません。

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三桁達成

2015年06月15日 05時20分39秒 | 探検・冒険
相変わらず連日のようにアッパリアス捕りをつづけている。先日の記事では65羽捕獲というところまで書いたが、その後も捕獲数は上昇の一途をたどり、65羽の翌日は76羽、翌々日は80羽と続伸した。次の日は原稿書きのために休養したが、昨日は晴れたので昼過ぎからアチキャットという猟場に行き、5時間ほど猟をして、身体が冷えてきたのそろそろ帰るかと思い、何羽捕れたか数えてみたところ、なんと120羽にも達していた。ついに三桁の大台を突破。なんだか感慨深いものがある。

十数羽しか捕れなかった最初の頃、大島さんからすぐに百羽、二百羽と捕れるようになるよと言われて、そんなの絶対無理だろうと思ったが、本当にすぐに捕れるようになった。とはいえ大島さんは過去に一日900羽も捕ったことがあるというし、先日も四百羽捕ったと言っていたので、全然レベルがちがうのだが……。しかし900羽となると、1分に1羽捕ったとしても、単純計算で15時間連続で捕りつづけなければならないことになり、どう考えても人間技とは思えないのだが……。一度に3羽ぐらい網のなかに入れてしまうのだろうか。不思議だ。

ちなみに写真はイラングアという若者がアッパリアスを捕った瞬間。このように大きな虫取り網みたいな道具で捕る。写真では大量のアッパリアスが飛び回っているが、常にこんなに飛んでいるわけではなく、基本的には単体で網の射程圏内に入ってきた個体にタイミングをあわせて捕る感じである。

もう累計で400羽以上に達したので、測ってはいないが干し肉もだいぶたまってきたはずだ。アッパリアスにくわえ、村人から買ったりもらったりしたヒゲアザラシやイッカクの肉もあって、それらも合計で40キロほど干し肉にしている。もちろん干し肉にすると重さは、感覚的に4分の1から5分の1ほどに減ってしまうが、それでも多分15キロ以上はたまっているだろう。計画では24キロの肉類を用意することになっているので、まだ少し足りないが、カヤックでの旅の途中で恐らくホッキョクイワナが大量に捕れるはずなので、それをデポすればたぶん間に合うだろう。


アッパリアスを干しているところ。ちょっと天気が悪いけど。

そろそろアッパリアス捕りも潮時だろうか。というか、あと四日でカヤックのパートナーの山口君が来る。本格的に出発の準備をしなければ。



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アッパリアスな日々

2015年06月09日 09時31分00秒 | 探検・冒険
ここ数日、日々のアッパリアス具合が上昇している。前回の記事で最高は15羽だと書いたが、その後、コツがわかってきて急速に取り方がうまくなり、数日前に39羽取ったのを皮切りに昨日は42羽、今日はなんと65羽も捕獲に成功した。コツがわかると捕ること自体が面白くなってきた。

捕ったアッパリアスは捕って遊ぶのが目的なので、その場に捨ててしまう、というのはウソで、もちろん家で夕食のおかずにして、残りは極夜探検の食料にするため干し肉にしている。今月下旬から山口君とカヤックでカナダに冬の本場のデポを作りに行くが、アッパリアスの干し肉も大量に持ち込む予定だ。

アッパリアスは小さな水鳥で、夕食にするときは、捌かずそのまま鍋に入れて塩ゆでにして、ゆで上がってから羽を毟って内臓まで食べる。最初はたべるところも少なくて面倒くさかったけど、最近はどういうわけかやたらおいしくなってきて、猟場から帰ってくるときは塩ゆで肉が楽しみで仕方がない。夕食のおかずは5、6羽といったところで、残りはむね肉を身体からちぎって、糸に通して外の吊るせば4,5日で干し肉になる。一羽当たり胸肉の干し肉は20gぐらいしかないが、まあ、300羽分ほど作れば六キロになるので、このペースだとそこそこの量になりそうだ。

鳥を捌きながら、毎日、TBSラジオのポッドキャストを聞いているのだが、安保法制の国会審議のニュースを聞くたびに安倍政権の横暴に腹を立てている。

先週の憲法審査会で憲法学者が自民推薦も含めて、三人とも法案は違憲と述べたが、それを受けての中谷防衛大臣の答弁はほとんど狂気としか思えない。憲法学者という専門家が違憲だと判断しているのに、政府は自分たちが合憲だと判断したから合憲だと、ほとんど意味をなさない答弁をしていた。

私が危惧しているのは、この法案が通れば戦争になるとか平和じゃなくなるとか、そういうことの前に、このような本来政府権力を縛る憲法すら恣意的に解釈して、どこまでも己(と米国の)の都合のいいようにふるまう政府がこれ以上、権力を強めると、そのうちわれわれ国民の自由や権利を踏みにじる挙動に出ることは明らかであるように思われることだ。

安倍晋三というのはつくづく卑怯な男だと思う。選挙のときは安保関連の話にはまったく触れず、争点をアベノミクスでワンイシューみたいなことを言って、大勝したら、われわれはすでに国民の審判を得たと言っているし、こんどの法案の説明でも自衛隊員にリスクはないなどと詭弁を弄して、また国民をだまして法案を強引に通そうとしている。首相の前に人間の性質として非常に問題があるでしょ、この人。

それにしても今度の件にかんしても新聞の報道は弱いなあ。昨日、ラジオで田原総一郎も言っていたが、こんな問題、連日一面でガンガン報道していいぐらいの話である。読売、産経はもはや報道機関としての役割を放棄し、単なる安倍晋三応援団と化しているので何も期待できないが、ネットで見る限り朝日、毎日も扱いは不十分にかんじる。菅官房長官が、法案を合憲であると考えている憲法学者もいるって、またいい加減なことを言っていたんだから、政治部の記者を総動員して日本中の全憲法学者にインタビューして、その真偽を確かめるぐらいのキャンペーンを展開すべきだと思うのだが。それぐらいの話だろうと思う、これは。

まったくAKBの総選挙を大々的に報道している場合じゃないよ。大島優子ちゃんだってもう卒業したんだから。

アッパリアスの話を書こうと思ったのに、全然、違うことを書いてしまったじゃないか。あと、ダニの話も書こうと思ったのに、これは書けなかった。



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デポ設置旅行から帰村

2015年05月10日 13時46分56秒 | 探検・冒険
一回目のデポ設置旅行を無事終了し、七日に村に戻った。橇が壊れて一時はどうなることかと思ったが、予定していたよりも多くの物資を、より遠くへ運ぶことができて満足である。

今回は村から115キロほど先にあるアウンナトックの小屋に一カ月分の食糧、燃料を運ぶ予定だった。しかし、途中の氷床上で狩りから戻る大島さんとばったり出会い、アウンナトックより東にあるイヌアフィシュアクの昔の小屋がまだ使えそうだったとの情報を教えてもらい、予定を変更してイヌアフィシュアクまで行ってきた。イヌアフィシュアクは去年の旅でも立ち寄ったが、そのときは小屋の位置が分からず、立ち去ってきたのだ。アウナトックよりも55キロほど奥地にあるので、ここにデポすれば次のカヤックでのデポ設置旅行がかなり楽になる。

それにしても、これまで冬にばかり行動していたので白夜の旅の快適さには驚くばかりだった。沈まぬ太陽にテントは照らされ、なかはぽかぽか。一応、外はまだ氷点下20度ぐらいあるのだが、昼間などテントのなかは暑いぐらいで(今回は白夜で24時間明るいので夜に行動して昼に寝ていた。夜に行動したほうが雪が締まっており、涼しいので行動が楽なため)、シュラフに入らずに寝ることも多かったぐらいだ。

よく荻田くんが、北極の旅の比べると南極の旅は夏の白夜に行動できるので楽勝と言っていたが、それもよくわかった。極地を楽しむなら白夜に限る。

ウヤミリックの橇引き能力も去年に比べると格段に向上しており、感覚的には80キロ分ぐらいは引いていたのではないかと思う。イヌアフィシュアクからの帰りは完全に犬に橇引きをまかせて、私は完全空身、橇と自分をロープでつなぐことさえせずに帰ってきた。このぶんだと残り二十日ぐらいになったら犬が橇を引いてくれるかもしれない。そうすると一日30キロは楽勝なので、単純に二十日で六百キロ進める計算になり、夢のようだ。まあ、極夜の旅はそんな簡単に行くものではないが、犬の逞しさは嬉しい誤算だった。

というわけで、予定より遠くのイヌアフィシュアクまで行ったうえに、予定より一週間近く早く帰ってくることができた。休息日なしの20日間連続行動だったが、疲れもないし、毎日非常に快適で、のんびりと白夜の北極を楽しむことができた。ウサギもいっぱいいたし。

文春文庫から『探検家の憂鬱』が発売されました(単行本『探検家、36歳の憂鬱』を改題し、エッセイ一本、あとがき一本にブログの記事を追加したものです)。インパクト抜群のカバー。荻田君と行ったアグルーカの旅のときにヘルペスが悪化して唇が化膿しまくったときの写真です。このときは本当に憂鬱だった。そんな探検家ならではの憂鬱をつづったエッセイ集です。

探検家の憂鬱 (文春文庫)
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文藝春秋


ボンボンとあわせて読むと面白さ倍増です。

探検家の日々本本
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シオラパルクにて&お知らせ二件

2015年04月17日 05時07分27秒 | 探検・冒険


今年も3月22日に日本を出て、25日にシオラパルクに到着した。ブログでの報告がこんなに遅くなってのは、インターネットの回線が全然つながらなかったためだ。シオラパルクでは民家を一カ月二万円ほどの家賃で借りて暮らしており、そこにモデムを取り寄せてネット回線をつなぐのだが、そのモデムがなかなか届かなかったのである。仕事関係など、どうしても連絡をとらなければならないときは大家さんであるヌカッピアングアの家で借りるか、今年もシオラパルクに滞在している山崎さんに借りるかしていたが、こっちのネットは容量が制限されているので、ブログのアップなどという緊急性の低い用件でその容量を食ってしまうのも申し訳ないので、今まで控えていた。

モデムが届かないまま、11日にいったん村を出て、冬の極夜探検のための荷物をデポするため、アウンナトックの小屋に向かった。ところが氷河をのぼりきって四日目、これから氷床を越えるぞ、という段階で、なんと橇が壊れてしまった。今年の木橇は厚さを2・5センチとかなり薄くし、しかも肉抜きして軽量化をはかった。去年の感じだととても壊れそうな気配はなかったので、大胆に軽量化したのだが、ちょっと大胆にやりすぎたらしい。160キロもの荷物を載せて、固い、洗濯板のように激しく波打ったサスツルギの雪面をトラバースしているときに、肉抜きした部分があっけなく板が折れてしまったのだ。

正直言って橇が壊れるとは思っていなかったので、呆然とした。橇が壊れたら進めないので、仕方がなく釘と針金で応急処置し、必要なものだけ橇に乗せて氷河を駆けおり、その日のうちに村に戻った。村には去年つかった橇がのこっていたので、昨日、今日とランナーを張り替えて、改修をすすめていると、ようやくモデムが届いたのである。

ちなみに、去年、一緒に40日間、旅をしたウヤミリックとはカナックの町で再会した。去年よりは橇も引くようになっているし、非常に扱いやすい犬に成長していた。おそらく今年は去年のような愛憎劇を繰り広げる心配はないだろう。ちなみにウヤミリックとの再会の話は、ナショナルジオグラフィックのウェブサイトで簡単に報告しています。


角幡ウヤミリック 2歳


お知らせがあります。

小説新潮で連載が始まります。一昨年から取材をすすめていた沖縄の宮古佐良浜のマグロ漁師さんのルポです。タイトルは『ある鮪漁師の漂流』。北極出発直前まで執筆に忙殺されており、600枚ほど書き上げましたが、完成にはいたりませんでした。したがって、9、10月にこのシオラパルクで執筆を再開して、なんとか連載分は完成させて、4、5カ月にもなる極夜探検本番に出発すると、そういう予定でいます。

もうひとつ、文藝春秋のほうから出ていた『探検家、36歳の憂鬱』が『探検家の憂鬱』とタイトルを若干変更して、5月上旬に文庫本として販売されます。単行本の内容に加えて、文庫版ボーナストラックとして、私が今まで書いた原稿のなかで最も恥ずかしい「極地探検家の下半身事情」(「エロスの記憶」収録)と文庫版あとがき、あとブログの記事がプラスされています。

文庫本のカバーが先日送られてきましたが、かなりインパクトのある表紙になっています。

なお、また明日、アウンナトックの小屋に再出発します。村に戻るのは5月中旬の予定です。

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極夜探検計画書作成

2015年01月22日 00時19分45秒 | 探検・冒険
12月から小説新潮で連載予定の漂流ルポの執筆にかかりきりだったが、ちょっと切りのいいところまで来たので、今日から極夜探検の計画にとりかかった。

極夜探検は太陽の昇らない暗闇の地球を探検するのが目的で、来年冬に四カ月ほどかけてグリーンランドからカナダに向かうというものである。遠大な計画なので三月下旬から一人でシオラパルク入りし、春に橇でデポ設置旅行、さらに夏にカヤックでデポ設置旅行をおこない、冬に本番という予定だ。ちなみにデポとは、食料と燃料の貯蔵のこと。期間が長大なので、事前に荷物を配置しておかないと、とてもではないが不可能な計画だ。

そのデポの配置量を決めるためにも、本番の行動計画をまず作る必要がある。何月何日にどの場所にいて、その場所をいつ出発して、次に何月何日にこの場所に到着し……というものをかなり詳細に決めないと、事前のデポを配置できない。そしてそのすべての大もととなる行動計画は何に基づいて作成するかというと、実は月の動きである。なぜなら、極夜は太陽が昇らず真っ暗なので、月がないと何も見えないのだ。

今のところデポの配置場所は数カ所の候補地があり、そのデポ地に着くときは必ず月の出ている日を選ばなくてはならない。月が出ない日に着いても、デポが見つからない。そして、最大の難関であるグリーンランドーカナダ間の海峡を渡るときも、当然月の出ている期間である必要があり、さらに海氷が安定している小潮のときが望ましい。氷の衛星画像を見る限り、海峡の結氷状態は非常に悪く、来年も同じような状態だと海峡横断は非常にシビアなものになるだろう。大潮だと潮汐差が大きくて、海を渡っている最中に氷が割れてしまうかもしれないのである。

当然、潮も月の引力で動くもの。したがって計画のすべてのもととなるのは月の動きである。とういうことで、今日はまず北緯80度付近の2015年11月から2016年2月にかけての月の動きを調べ、月齢と潮も一緒にチェックした。ちなみに月の動きは国立天文台のプラネタリウムソフト「MITAKA」を使用した。

月の動きを調べてみると、海峡が渡れるタイミングは1月17日から20日前後。次は2月13日から17日まで待たないといけない。今年の結氷状態を見る限り1月のほうは厳しそう。となると海峡横断は2月中旬しかない。この時期に海峡をわたることを前提に、前後の行動計画を月の動きに従って立てると、なんと恐ろしいことにシオラパルク出発が11月25日で、カナダ最北の村グリスフィヨルド到着が4月23日。行動期間5カ月にも及ぶことが判明した。

といっても行動距離は約1285キロで、移動距離そのものは大した距離ではない。消耗を避けるために一日の行動距離を少なくし、月が出るのを待つための停滞日がかなりあるので、結果的に期間だけが長くなってしまったのである。

自分でも呆然としたが、しかし計画に着手するとなんだかんだと興奮してくる。興奮したあまり、ついつい久しぶりにブログなど更新してしまいました。

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帰村

2014年03月25日 19時33分52秒 | 探検・冒険
長い橇旅行を終えて、22日に帰村した。色々理由があるが、今回は肉体的にかなりハードな旅となった。出発前はそろそろ太陽が昇るし、極夜といえども、もう一日中明るいので気楽な気分で出かけたが、やはりそこは北極。楽な旅などありはしない。

旅の詳しい話は今回も文藝春秋社の文芸誌「オール読物」誌上で執筆させていただく予定なので、とりあえずブログでは簡単な報告にとどめます。まず、シオラパルクからフィヨルド奥にある氷河をのぼり内陸氷床へ。この氷河が大変で氷床まで六日もかかった。その後、氷床を北東に向かって150キロほど進み、イングルフィールドランドへ下降。そこから海に出て海氷を歩き、アウンナトックという小屋から再びイングルフィールドランド陸地を越えて氷床からシオラパルクへ帰還、というルートである。

たぶん何のことやらわからないと思うけど、要するに氷点下35度から40度の氷と雪の中を(詳しい距離は測っていないけど)400、500キロ、犬と一緒に歩いてきたということである。

村に帰ってきたら、シオラパルクの人は私が全然帰ってこないので、もう死んでしまったと思っていたらしく、みんなから「生きててよかったなあ」と祝福された。そんなに心配されていたなんて、こっちは全然想像していなかった。

今回はあくまで偵察行で、本番は来年以降。グリーンランドと西隣のカナダ・エルズミア島を舞台に壮大な極夜の旅を展開することで、そのためにこの地域の雪や氷の状態、小屋の位置、白熊がどれぐらいいるかを調べたり、装備や犬と一緒に旅ができるのかなどということをテストしたりするのが目的だった。やっぱり実際に行ってみなければわからないもので、グリーンランドとこれまで通っていたカナダ北部の雪氷の状態や風の状態はぜんぜんちがって、それで大変な苦労をあじわった。

どんな苦労だったかというのは、ぜひ「オール」誌上で。

ちなみに犬は頑張ってくれた。最初はぜんぜん呼吸があわず言うことを聞かないので、犬の存在が物凄くストレスになったが、途中からはこっちの意図を理解して行動するようになったので、かわいくてかわいくて仕方がなくなった。今では犬なしの一人で北極を歩くことなど、ちょっと考えられない。

それにしても疲れて今は何もする気がしない。ずっと本を読んで、ごろごろしている。村にはあと一週間ほど滞在し、帰国は4月9日の予定。


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シオラパルク

2014年02月02日 21時49分56秒 | 探検・冒険
あまりの多忙でブログを更新していなかったが、現在、私はグリーンランド埼北、じゃなくて最北の村、シオラパルクにいる。愛娘との別れを惜しみ、デンマークの首都コペンハーゲンに入ったのは1月9日。町の中心部に立ち並ぶ、アップルの新商品みたいな洒落た大人のおもちゃが立ち並ぶセックスショップに度肝をぬかれつつ暇な日々を過ごしていたが、その後、グリーンランドの入り、16日にシオラパルク入りしてからは、作業に忙殺されっぱなしだった。

何が忙しかったのかというと、一番は毛皮服の縫製である。


毛皮服制作中

シオラパルクには〝エスキモーになった日本人″として有名な日大山岳部OBの大島育雄さんが居住しているが、大島さんのご厚意で北極兎の毛皮22枚を格安で購入。型紙を作り、毛皮を切り取り、縫い合わせて、足りない部分をつぎはぎして、ということを続けていたら、あっという間に一週間がたっていた。

村では馬場さんという京都から犬橇を習いに来た、ちょっと変わったおじさんと一緒に家を一軒かりて共同生活をしているが、その家にはテーブルや椅子がないので、縫製はずっと座り作業である。だから腰が痛い。ちなみに家にはテーブルや椅子どころかシャワーもトイレもない。トイレはバケツの中にビニールをツッコミ、糞尿が一杯になったら外に放り出してゴミ捨て場に持っていくという、水洗とも汲み取りともちがう、この土地ならではの方式だ。

ちなみに毛皮服を作ったのは、冬の極地では太陽が出ないので羽毛服だと乾かず、汗は水分が服の中で凍ってどんどん重くなってしまうからである。しかも羽毛服は濡れたら保温性が格段に落ちるので、要するに冬の北極では使い物にならなくなるのだ。

服の縫製の他には犬の調教も行っている。シオラパルク周辺にはシロクマはほとんどいないが、これから向かうグリーンランドとカナダ・エルズミア島国境間の海峡(スミス海峡~ケーン海盆)周辺は熊が多く、番犬として犬が必要になってくる。犬は地元イヌイットから購入したウィルミルック(雄1歳)。大人しく、内向的で、臆病なところはあるが、見た目は割合威風堂々としており、人懐っこく、従順で、素晴らしい犬である。犬はまだ若く橇をひいた経験がなかったので、毎日、村のまわりを2時間ほど訓練しなければならなかったわけだ。


橇をひくウィルミリック

他にも、射撃の練習、天測の練習、橇の改良、犬のハーネスの、ライフルケースなどなど小物類の各種制作、イヌイットの子供たちとの心温まる交流、原稿書き、ゲラチェックに忙殺されて、ついぞブログ更新はできなかった。

先日は登高予定の氷河の偵察に向かったが、氷河どころか村を離れて一日で海氷が消えており、撤退を余儀なくされた。この氷河は昔、植村直己が北極圏1万2千キロの旅で使ったクレメンツ・マーカム氷河だが、彼の時代と今は全然ちがって、氷が本当に張っていないので。そのせいで、こっちのイヌイットもまだしばらくは狩りに出れないし、気温もびっくりするほど寒くない。だいたい氷点下15度から、せいぜい24度ぐらいで、話をきくと北海道の実家の方が寒かったという日があったぐらいである。

ちなみに今年、シオラパルクには日本人がたくさんいて、今は大島さん、自分、馬場さんに、極地探検家の山崎哲秀さんも滞在中。大島さんは当然だが、山崎さんも本当にこの地域のことをよく知っている。というか、半分イヌイットである。さらに二月中旬に研究者二人と朝日の記者一人が来る予定で、シオラパルクは完全に日本人村という感じになりそうだ。

それにしてもイヌイット語を話せない私は大島さん、山崎さんに本当にお世話になりっぱなしだ。大島さんは私の計画を楽しんでくれていて、毛皮服の他にも、スキーのシール用のアザラシ皮やくれたり、アザラシ皮の手袋を作ってくれたりしていただいている。もちろん、氷河の登高ルートや海峡周辺の地理的概要についてもたっぷり教えてもらった。

あと5日ほど村に滞在して、ケーン海盆方面に向かうことにしており、そしたら一カ月から40日ほどの一人旅になる。いや、ウィルミリックがいるので今回は二人旅か。そしたらまたブログは更新できませんので、あしからず。

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