ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

対談本収録終了

2013年12月31日 10時13分57秒 | 雑記
客観的かつ冷静に分析して、おそろしくかわしい私の赤ん坊についてもう少し書き加えたいところだが、それはさておき、年末にかけておこなってきた高野さんとの対談本の収録が、ようやく昨日終了した。

今年は『アグルーカ』が高野さんの『ソマリランド』と講談社ノンフィクション賞を同時受賞した。その受賞記念として対談本をだしませんかと講談社から声をかけられたのだ。

対談はあまり得意ではないので、いつも自分の考えていることがうまく話せなくて落ち込んだが、先日あがってきた原稿を読むと、うまくまとまっており、予想以上に面白い出来になっている。

ちなみに原稿をまとめてくれたのは、これまた探検部の大先輩で、山と溪谷社のクライミング誌『ROCK & SNOW』の元編集長で、今はフリー編集者の森山憲一さん。森山さんは、高野さん率いるムベンベ隊に一年生で参加し、何を考えているかよくわからないと書かれていた、あの森山さんだ。

私とはまったく大学ではかぶっていないが、探検部に入ったばかりの頃に一度、森山さんふくめたOB連中と伊豆の城山でクライミングをしに行ったことがあり、その後も、なぜか剱の内蔵助谷でばったり出会ったり、穂高の涸沢に向かう途中でばったり出会ったりと、やたらと山の中でばったり出会うことの多い人だった。

昨日、その森山さんから言われた一言が印象的だった。

森山さんによると、城山で初めて出会った時、私はゴリラのようだったという。全然言葉をしゃべらず、ウッホ、ウッホという挙動(学術的にいえばロコモーションという)で練り歩くばかりで、人間のようには見えなかったのだ。少なくともホモサピエンスには。それが私の本を読んでその考えは一変した。こんなに知的な作業のできる人間だったんだ。というか言葉を知っていたんだ……と。

しかし今回、何度も対談の収録で顔をあわせた結果、その印象はまた変わったらしい。

「角幡は最初会った時は本当にゴリラにしか見えなかったんだけど、結局、そっちのほうが正しかったということがよくわかった」

なんということだ。あんなに一生懸命、自分の言葉で考えを伝えた結果、人間からゴリラに逆戻りしてしまったのだ。そういうふうに読めてしまう本なのだろうか(そういえば私の姉の娘が小さい頃、ゴリラが大好きで、将来はゴリラになりたいと言っていた時期があったが、その頃好きだったのが、ゴリラと私と小島よしおだった。結局、そういうことなのだろうか……)。

ちなみに対談本の発売は来年四月ごろの予定で、タイトルはまだ決まっていない。


私の赤ん坊

2013年12月29日 21時19分24秒 | 雑記
昨日、今日と病院で赤ん坊をまじまじと観察していたが、客観的かつ冷静に分析して次のようなことがいえそうである。

まず、恐ろしい美人である。産まれた直後の時点ではっきりとした二重瞼の兆しがみられたが、産後の三日目の今日の時点でしっかりとした二重瞼になっており、目もいくぶんリトルグレイ風であるが、ぱっちりとしており、将来のアイドル顔は確約されたようなものである。まつ毛も一昨日よりも昨日、昨日よりも今日と、気のせいか一日一ミクロンずつ長くなっているようで、一生つけまつげのお世話になることはないだろう。

かつ鼻は赤ちゃん特有のつぶれた感じはみられるものの、それでいてどこかすっと鼻先が通った感じがあり、目と目の間の鼻骨もしっかりと盛り上がっていることが確認されていることから、日本人離れした顔立ちになる気配がみられる。

また小顔である。手足はながく、早くも六頭身か七頭身ぐらいありそうで、大人になった時に何頭身になるのか、まったく想像がつかない。頭のかたちは後頭部が出っ張っており、全体的にラグビーボール状、またはピッコロ大魔王的であるが、新生児は頭のかたちが安定していないので、そのうち普通児と同じ許容範囲に収まるであろうことから、これは心配していない。

見目、容貌のレベルの高さは明らかに群を抜いており、同じ病室内の他の5人の母親に同情を覚えてしまうほどだ。同じ人間なのに、これほどの差が生まれてしまい、申し訳ありません。残念ながら人間というのは平等ではないようです、と。

一方、性格は気難しいところがあるらしく、いつも眉間にしわを寄せてしかめっ面をしている。とはいえ、これなども効果的なアクセントとして顔の愛くるしさを引き立てているわけで、眉間のしわの本来の役割としては逆効果といえそうだ。外界の変化に対して敏感であり、目の前で何かが動くと興味深げに眉間にしわを寄せてじっと見つめるところなどは旺盛な好奇心をうかがわせる。

そしておそらく頭がいいにちがいない。眉間にしわを寄せることなども、ひょっとしたら生まれた直後ではあるけれど、ウィトゲンシュタインみたいに難しいことを考えている可能性もある。人生の不条理について悩んでいるのかもしれない。

時々、声優アイドルのような透き通ったかわいらしい声をあげることがある。これで甘ったるい声を出したらバカな男を騙すことなど造作もないことであることから、将来どれほどの男を手玉に取るのか、親としては今から少し心配な部分もある。また、しばしば声を上げるので、早くも言葉を話すのではないかと、他人からみると親バカだと思われてもおかしくないことをふと考えてしまうが、でもこちらの言葉を理解しているのは確実なようだ。

末恐ろしい子供である。今のところ将来は女優にさせようと思っている。

うんちはチョコソフト、鼻汁はグァバジュースのようである。

解説二つに、分娩終了のお知らせ

2013年12月29日 11時16分50秒 | お知らせ
百年前の山を旅する (新潮文庫)
服部文祥
新潮社


冬山の掟 〈新装版〉 (文春文庫 に 1-42)
新田次郎
文藝春秋


今年一年は書評、文庫の解説、読書エッセイと本に関する仕事が多かった。肩書は「ノンフィクション作家・探検家」なのに、今の私の一番の収入源は書評だ。そういえば昔、探検部の友達が「将来は書評家になりたい」といっているのを聞き、書評だけでメシ食っている人がいるのか! と当時は驚いたものだが、どういうわけか今は自分がその立場だ。といっても登山、冒険関係が多いのだが。

ちょっと遅れたけど、解説を書いた文庫本が二冊出たので、お知らせします。一冊は服部さんの『百年前の山を旅する』(新潮文庫)。考察と文章の切れはさすがです。私が一番好きなのは、上田哲農の白馬岳主稜のエッセイ。どんなに極限を体験しても、まだもう少し行けたんじゃないか、自分はやり切ってないんじゃないか、という気持ちを登山家はいだく、というような文章があった。登山家や冒険家の心情をものすごくうまくとらえていて、感銘をうけました。

もう一冊は新田次郎『冬山の掟』で、主に遭難を扱った短編集。ストイックな服部さんのエッセイとちがい、こちらはも俗欲や男女関係に足を引っ張られて山に遭難する人たちを主に描いています。山と下界という新田さんの山岳文学のエッセンスが象徴的につまっている作品かもしれません。

もう一つお知らせ。先日、妻の出産が無事終了しました。私に似て、いつも眉間にしわを寄せた玉のようなかわいい女の子です。この子が世界のあらゆる子供と客観的かつ冷静に比較して、ぬきんでてかわいいことをここで詳細に書くつもりは毛頭ありませんが、ご心配してくださった方々にこの場を借りてお礼申し上げます。

それはともなく、私は探検家なので机の上ではなく荒野で活動しなければならない。グリーンランドに行くぞおと思ったら、『奇跡の生還に導く人』の文庫解説の依頼がきた。

それにしても、これだけ私に仕事が来るということは、登山・冒険業界の人材が払底していることの証だ。たぶんこれまでは石川君がこの役目を一身に引き受けていたのだろう。私自身の生活のためにも、業界の人材不足がこのまま引き続き、来年もジョン・クラカワーのような人間が日本に現れないことを願うばかりである。

三叉峰ルンゼ

2013年12月15日 10時06分04秒 | クライミング
妻の出産を10日後に控えた昨日、悪い癖が出て、奈目太郎氏と八ヶ岳の三叉峰ルンゼに行ってしまった。

前日の編集者との忘年会もそこそこに切り上げ、奈目氏と合流予定時間だった朝8時より一時間も早く美濃戸口に到着。しかし、その努力も意味がなかった。なぜなら奈目氏のほうが前日、飲みすぎて寝坊し、予定より30分遅れて到着した挙句、二日酔いでヘロヘロだったからだ。

ルートは悪くはなかった。最初の滝は埋まっていたが、つぎの10m滝はⅣ+ぐらいで、氷が固いことをのぞけば快適。あとはロープを出す必要がない程度のナメ滝がすばらく続き、そのうち石尊稜の上部岩壁取りつきについた。

しかしこの時点で午後2時。出発がおそかったので、かなりのスピードでのぼってはきたが、そのせいもあってか二日酔いの奈目氏はかなり体調がわるそう。途中でウゲエッという声が何度か聞こえた気がしたが、それは私の気のせいだったのだろうか。そんなこともあり上までいくのは断念し、石尊稜から下山し、車についたころにはもう暗かった。

ちなみに三叉峰ルンゼはそのまま石尊につなげることもできるし、左側の無名峰のリッジに移ることもできそうなので、シーズンはじめに登るには楽しくていいルートだ。裏同心ルンゼに行くよりは、よほどおすすめである。

この前の赤沢岳西尾根の時の話も含めて、冬山のことを幻冬舎のweb連載で書くつもり。何しろ、一応、山に行くのは趣味ではなく仕事だと妻に強弁しているので、原稿料の発生する媒体で書かないと山に行けなくなってしまうという事情がある。こんなところで書いている場合ではないのだ。幻冬舎の連載は一応、読書エッセイという体裁なので、『死のクレバス』とでも絡めるか。

ちなみに連載最新号では、植村直己『北極圏一万二千キロ』について書いてます。
http://www.gentosha.jp/category/tankenkanohibibonbon?per_page=20

橇作り

2013年12月10日 23時13分37秒 | 雑記
あまりにも当たり前のことで今まで書かなかったが、今冬も北極圏に行く予定だ。

オール読物の連載を読んでいたという希少な人は別だが、多くの人は私が今何をメーンテーマにしているか知らないと思うので、一応あきらかにしておくと、今私は冬の太陽の昇らない極夜の北極探検をテーマに活動している。しかもGPSをつかわず、天測で旅をするというものだ。

今年は11月からグリーンランドに行く計画で、妻の妊娠が発覚してからも、それは変わらなかったが、いろいろと思うところがあり、出産に立ち会ってから出発することした。出産予定は今月下旬だが、困ったことにいつ生まれるかわからないので、出産後に航空チケットを手配することにしている。

もちろん、いつでも出発できるように、準備は着々と整えている。今日は沼田の清野さんの会社の作業場で、職人さんに手伝ってもらいながら、橇づくりをしてきた。

今まで極地用の橇はカナダの極地探検家リチャード・ウェーバー氏のところのプラスチックの橇を購入していたが、プラスチック製の橇は軽くていいのだが、壊れると修理ができないのが難点。しかも私の場合、衛星電話も持っていかないので、壊れたら、その場でほぼ死亡の可能性が高い。それはやはりちょっとこわいので、壊れても自分で修理できる、今年はイヌイット式の木製橇を試すことにしたのだ。

設計図は極地探検家山崎哲秀さんにお借りした。それをもとに、二週間ぐらい前にはだいたい本体はできていたが、今日は軽量化のための、本体の肉抜きと、ランナーの取り付けをおこなってきた(写真)。材料は檜。選定は特殊家具製造が本業の清野さんにお願いし、重さと強度の点から選んでもらった。合板材は軽くてつよいが、極低温で長期間使用した場合、接着部分から壊れないかちょっと不安だそうで、やはり木材のほうが安心だという。

ランナーも清野さんのアイデアで、50ミクロンのテフロンを塗りつけたステンレス材を採用。何かの極地探検記にランナーは摩擦係数が低いテフロンが有効との記述があり、自分が極地に行く時はそれをつかおうと頭にインプットしていたのだそうだ。どこにそんなことが書いてあるのか、調べなければ。

テフロンランナーははじめてお目にかかったが、つるつるで、これは引きやすそうで、素晴らしい。世界広しといえども、テフロンを触って「引きやすそうだ」と喜ぶのも私だけだろう。今日は一日かけて、檜材を工具で削りまくっていただけに、今もまだ檜のニオイが抜けない。

極夜の北極探検には、アグルーカの時には使わなかった道具がたくさん登場する。そろそろ、(株)タマヤ計測システムさまのご協力により、今回最大の秘密兵器である、戦前の日本軍が使っていた(けど、その後長らく製造されていなかった)気泡六分儀「角幡スペシャル2014」が完成予定なので、そしたらまた報告します。

赤沢岳西尾根

2013年12月03日 21時11分11秒 | クライミング
高校の同窓会があったにも関わらず、それをドタキャンし、土日を挟んで四日間、セクシー登山部の奈目太郎氏と北アルプス赤沢岳西尾根を登って来た。

妻が12月下旬に子供を出産するので、その前にぜひとも雪山に登っておきたかった私は、当初は立山の雄山東尾根に登ろうと考えていた。この時期にまともな雪稜になるのは立山ぐらいしか考えられない。しかし奈目氏は11月29日から12月2日までしか休みを取れないという。12月に入ると立山黒部アルペンルートの営業が終了してしまうため、第一志望の雄山東尾根は無理である。それでしょうがなく我々は後立山の赤沢岳西尾根を登ことにした。後立ならアルペンルートに下山しなくても頂上を越えて扇沢に下山すれば車に戻れるからだ。

だが、予想されたこととはいえ、やはりこの時期の後立の黒部側ルートはきつかった。季節的にまだ藪の上に一メートルぐらい新雪が積もっているような状態なので、雪はまだ全然締まっていない。冬山好きには分かると思うが、これが一番きついラッセルだ。雪が閉まっていないので、一歩踏み出すたびにズボッと踏み抜き、何度も落とし穴にはまるみたいに足が藪の中に抜けてしまう。おまけに赤沢岳西尾根は取り付きからしばらく岩がちに急傾斜が続き、その上に雪がうっすら積もっているだけ。雪だと思ってアイゼンを踏み込もうと思っても、岩にガリガリと引っかかってしまうばかりで足が決まらない。当然、バイルも決まらないので、いやらしい登りを強いられる。

事前の計画では私も奈目氏も二泊三日でサラッと下りてくるつもりだったが、四日間フルに行動し、予備日も使って何とか計画内の日程で下山することができた。

三日目は赤沢岳頂上に泊り、四日目は屏風尾根を下山するつもりで出発したが、ハマった山行の時は何もかもうまくいかないもので、天気が良くなく、風とガスがひどくて視界が全然ない。屏風尾根付近を何度も言ったり来たりし、ロープで確保してもらい雪庇を切り崩して尾根を探したが、結局どこが尾根の分岐なのか全然分からず、再び赤沢岳に登り返して反対側の新越尾根から下山した。最後のほうはもうヘロヘロである。

しかし収穫はなかったわけではなく、赤沢岳大スバリ側の積雪期の尾根ルートの状況はよくわかった。三月に来たらよだれモノの雪稜ルートがたくさんあるし、スバリ岳中尾根も正面から見たらかなりかっこいいルートである。来年あたり是非登りたい。また西尾根Ⅲ峰北西壁もものすごいスケールの壁だった。現在日本屈指のアルパインクライマ―である奈目氏をして、ちょっと冬は登れるところが想像できないというほどの壁である。

結論としては、積雪期の黒部を登るのに、立山黒部アルペンルートを使うなどというせこいことは考えるな、ということだろうか。あとは奥さんが臨月を迎えたときぐらいは、家で大人しくしていろ、ということか。