ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

剱沢大滝 究極の観光旅行

2009年09月23日 23時22分16秒 | クライミング
 台湾などの沢登りで有名な成瀬陽一さんが剱沢大滝を登った感想を「究極の観光旅行」と表現している。うまいことを言うなと思った。彼の言葉を僕なりに説明すると、どんなに危険でハードなルートであろうとすでに登られたルートであれば過去の記録をガイドとして利用できるので、それは異常環境を追体験する一種の観光旅行に過ぎないということになる。

 登山における純粋な意味での冒険は未踏ルートや未踏峰など未知の分野、もしくは何らかの未知の試みにしか存在しないと僕は思っている。成瀬さんの言うように一度システムとしての登頂ルートが確立されてしまえば、再登者はそのシステムからなるべくはみ出さないようにするのが登頂するための一番近道になってしまうからだ。だから僕らが普段ガイドブック片手に上っているクライミングルートというのは、仮にそれが危険であっても純粋な意味での冒険ではない。ただ冒険でなくても山ではある。僕は成瀬さんの言う究極の観光旅行という言葉を確立されたルートとしては最上級の既成ルートという意味で捉えていたので、一度はこの究極の観光旅行を体験してみたいと思っていた。

 そこでこの5連休である。バカンスにはもってこいだ。もっとも年間365連休の僕にとって5連休など屁のツッパリになるかどうかも怪しいもんだが、秋は水量が減るので剱沢大滝にもアプローチしやすい。探検部後輩の○中と、この5連休は剱沢大滝を登ろうと夏から計画をあたためてきた。あたためてきたと言っても本当にあたためていただけで、真剣に過去の記録を読んだのだが2日前、食料を慌ただしく買いだしたのは出発当日の夕方だった。

 19日深夜0時、予定より1時間遅れて○中が集合場所の浦和駅到着。送別会があったとかで酔っ払っている。おまけに「先週、柔道の試合でひざのじん帯延ばしちゃいました」とニコニコ笑っている。こいつ、なめてんのか……。高速をかっとばし長野県大町市の立山黒部アルペンルート扇沢駅に到着したのが午前4時半。20分ほど仮眠して関電トロリーバスで黒部ダムに向かった。黒部ダムから日電歩道を歩き十字峡へ。十字峡から黒部別山北尾根の踏み跡をたどる。この踏み跡を途中で剱沢上流方面にトラバースするらしいが、その分岐がよく分からず登りすぎてしまった。しょうがないので懸垂2ピッチでとなりのルンゼに下り立ち、歩いて剱沢に下る。

 最初の難関はI滝手前の5m滝。僕らが参考にした過去記録によると右側の岩壁を15メートルほど人工を交えてへつるらしい。しかしよく見ると、1・2メートルほどの急流の向こうにあるなだらかな大岩に飛びつけば、面倒くさい人工登攀などしなくても簡単に越えられそうだ。でもジャンプに失敗して水の中に落ちたら嫌だな、どうしようかな、とうじうじ悩んでいると、○中があっというまに飛びついてしまった。なんという身体能力……。じん帯をのばしているとは思えない。

 この滝を越えると両岸が数百メートルの岩壁に囲まれた剱沢大滝の核心部だ。暗くてじめじめしていて陰鬱な雰囲気が漂う。最初に登場するのが落差48メートルのI滝。A滝からI滝まである剱沢大滝の中でも最大の落差を誇るだけに轟音で近くの○中の声すら聞こえない。I滝の登攀は右壁を4ピッチ。最初の1ピッチ目が核心で途中の凹角がⅤ級とグレーディングされているが、その手前の垂直草つき登りの方が実はいやらしかったりする。2ピッチ目以降は傾斜のきついブッシュ登りで、NHKの撮影隊のものと思われるフィックスロープが残置されている。ビバーク地である焚き火テラスに到着した時には日がすっかり暮れていた。


I滝48メートル

 20日、焚き火テラスのすぐ先の灌木から10メートルほど懸垂すると、有名な垂壁のトラバースの取り付きに着く。はるか真下には青い剱沢の奔流がなめらかに光る岩壁の中をを奇妙に曲がりくねりながら流れている。このトラバースは思ったよりえぐかった。もげそうな草つきをつかみ、いつ切れてもおかしくない残置ロープをついつい引っ張ったりしながら突破。他に行くところがなかったんだろうけど、普通はここ行かないよねという感じの微妙なライン取り。真下にごうごうと激流が流れている。こんな垂壁をトラバースしようと思った初登者は、たぶんちょっとどこか切れっちゃってたのだろう。登山をしているといつも昔の人はえらいということを実感させられる。


トラバースをリードする○中。奥に見えるのが緑の台地


左の岩壁の真ん中あたりがトラバースしたライン。どこを横切ったのか、もはや自分でもよく分からない

 トラバースの終了点から前日入山したと思われるパーティーがこの先のD滝右側のもろい岩稜を登っているのが見えた。実は今回の連休、群馬県のパーティーが剱沢大滝に挑戦するという話を何人かの知人から聞いていた。たぶんあれが彼らなのだろう。それにしても彼らが登っているあの岩稜、もろいもろいとは聞いてはいたが、ほとんど垂直に見える上、本当にもろそうだ。彼らが登っている足元から、ごろごろと岩が落っこちているではないか。

 トラバースのあとはななめ懸垂で奔流近くの水際バンドに下降する。ここはまさにI滝とD滝という二大瀑布に挟まれた剱沢大滝のど真ん中だ。日本で最も近寄りがたい場所の一つに違いない。携帯電話はもちろんつながらない。もし、パートナーが怪我をして動けなくなったら、救助を呼ぶためには、今懸垂下降で下りてきた垂直の岩壁を登り返しトラバースをやり直すか、この後に出てくるもっと厄介なもろい岩稜を登るしか方法がないのだ。しかも単独で。つまりわずかなミスが命取りとなる。緊張感はいやがうえにも高まってくる。


水際バンドに下りたった○中

 水際バンドから川にロープで下りて水5リットルを補給。そこから1ピッチで緑の台地に登った。このピッチはⅤ級A1とのことだが、せいぜいⅣ級A1で難しくない。緑の台地からは剱沢大滝最奥のD滝の全貌が望める。落差30メートル、傾斜70度ほどと思われる白い岩壁を扇状に滑り落ちる美しい滝だ。沢が残雪に埋まっている5月にこのD滝を登った記録があるので、今回も登攀の可能性があるなら挑戦しようかとも考えていた。しかし、やはり無雪期は釜が深くとても取り付くことなどできなさそうなので、通常ルートであるD滝右側の険しくてもろい岩稜の登りにかかった。


D滝

 1ピッチ目、リードは〇中。7、8メートル登った時にいきなり足もとの岩が落っこちる。二人で絶叫。2ピッチ目は一度右のルンゼに入り、3ピッチ目に岩稜に戻る。4ピッチ目のロープをフィックスし、この日は3ピッチ目終了点のテラスにビバーク。星空が美しかった。


もろい岩稜2ピッチ目

 21日、いよいよこの日が核心だ。この隔絶された環境での事故は致命的なものとなる。細心の注意を払っての登攀となった。4ピッチ目は昨日フィックスしておいたロープを登り返す。5ピッチ目は傾斜の強い岩稜。途中の垂直クラックの下に70、80センチの大きな浮石があり、それに乗っかりたくないのでアブミを使用した。6ピッチ目が核心だった。リードは毎朝ジャンケンで順番を決めていたが、このピッチにあたったのは○中だった。ゆるい岩稜を登り左の凹角に入る。岩が風化していて、大きな岩もさわると動くほどだ。確保をしていると○中の足もとから便座ほどの大石が岩稜の右側に落下し、谷の中に大音響が響いた。今度は左の谷に向けて広辞苑ほどの茶色い落石。シャレにならない。なんだここは……。このピッチのリードを担当しなくて良かったと思った。登り終えた○中は「正直、途中で心が折れそうになりました」と本音をもらした。おいおい、折れてたらどうなってたんだ?


もろい岩稜の登攀ライン。垂直に見えるが、登ってみてもほとんど垂直に感じる

 無事6ピッチ目を登り終えた後、7ピッチ目はブッシュの中の灌木登り。そこから懸垂4、5ピッチでD滝の落ち口に降り立った。すぐ目の前に、昨日登り始めた岩稜の1ピッチ目が見える。費やした時間24時間、消費カロリー約4千キロカロリー、でも進んだ水平距離はたったの50メートル、剱沢大滝とはそんな世界だった。その後はいくつかの滝を登攀したり高まいたりしながら越え、谷が一気に広がる広河原に到着したのは22日の午後だった。翌日、登山道を下って黒部ダムに戻った。

 確かに剱沢大滝は究極の観光旅行という言葉にふさわしい場所だった。国内の無雪期本ちゃんルートでこれほど長大でハードなルートは他にないのではないか。なにせ大滝の登攀だけで2ビバーク、ほぼ3日間を要する。何より、焚き火テラスの垂壁トラバースから水際バンドまでの最奥で味わう、ここを越えるともう後にはひけないのだというヒリヒリ感がたまらない。天高くそびえる絶壁や谷底にひびく轟音がそうした不安感をいっそうあおってくれる。登山の魅力が自分の胸のうちに抱えた不安や恐怖を乗り越えた時にあるとするならば、剱沢大滝の登攀はその魅力を十分に与えてくれる登山だといえるかもしれない。
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甲斐駒赤石沢奥壁

2009年09月07日 09時38分21秒 | クライミング
 5、6日の休日(といっても僕の休日ではない)、探検部後輩M中と一緒に甲斐駒ケ岳赤石沢奥壁に行って来た。

 目的は左ルンゼの登攀。しかし、八合目に泊った5日の夜に雨が降り、さっそくやる気をそがれる。6日の朝、取り付きに行ってみる。うーん、どこから登るのかよく分からん。右のカンテから人工ってトポには書いてあるが、あの明らかに腐っている残置シュリンゲの、しかも全体的にしっとりと岩に水分が付着しているあのあたりから、アブミのかけかえで登るってことなのだろうか。

 なんだか気乗りがしないまま登攀の準備をしていると、あれ、ハーケンがないじゃん! どうやら車に忘れてしまったらしい。カムはあるけどハーケンなしでこの悪そうなルートを登るのもちょっとやばそうだ(それに加え、もともと岩が濡れていて気乗りがしなかったので、登らなくて済む言い訳ができた。ラッキー)。というわけで、しょうがなく中央稜を登った。

 中央稜はひどいルート。トポを持っていなかったので正しいルートを登っていたのかどうか良く分からないが(でも多分あってる)、ブッシュ登りが中心で、岩のパートは全体の5パーセントくらいしかない。おまけに前日の雨で草が濡れていて、不快さが一層増していた。少なくても夏の「岩登りルート図集」からは削除し、可能性は少ないだろうが将来「薮登りルート図集」が刊行される場合に備えてとっておきべきだろう。

 黒戸尾根を下山中、足をくじいた若者と遭遇し、2人で荷物を運んであげた。重い荷物を背負い、彼のペースにあわせ通常の下山ペースの三倍ほど時間をかけて下りたので、「ゆっくり歩く筋」がしっかりと鍛えられました。