ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

南会津漂泊

2016年08月31日 21時26分44秒 | クライミング
29日に南会津の漂泊登山から下山して東京に戻ってきた。

今年の八月は台風が四発も日本に上陸。五十四年ぶりのことだったらしい。おかげで今回の漂泊登山はすっかり台風に翻弄された。8月16日に出発する予定だったが、まず台風7号がちょうどそのタイミングで襲来してきたので二日延期。18日に東京を出発して只見から入山したが、何日かして白戸川を遡行しているところで台風九号が直撃した。

沢は地形的にも密生する樹木によっても風が殺される。落石、増水、斜面崩壊の危険がないところを選べば、台風直撃といっても雨以外の不安はあまり感じない。だが、その雨がすさまじい。雨そのものに殺されるんじゃないかと少し不安になるぐらいの降りが半日つづいた。その後も天気は不安定な状態がつづき、塩の岐沢を越えたあたりで、今度は非常に強い台風10号が上陸する恐れがあるとの情報をラジオでキャッチ。そのままのペースで最終目的地である会津駒ヶ岳を目指した場合、ちょうどその登路となる御神楽沢でドンピシャで直撃するらしい。一度の山行で二度も台風直撃する人間なんて、聞いたことがない。さすがに二回目はちょっと勘弁だなぁと思い、やむなく漂泊を中止して登山に専念し、それまでに二倍のペースでシャカリキになって沢を上り下りして、暴風圏内に入る直前に会津駒ヶ岳に無理やり登頂して29日に下山してきた。


岩魚七匹、コメ二合完食


巨大ナメクジ君も来訪


ちなみに今回のルートをざっと紹介すると、以下のようなものになる。

小戸沢西の沢~白戸川メルガ股沢~丸山岳~大幽東の沢下降~広河原沢~倉谷沢~塩の岐沢~小手沢源流~安越又沢西沢~ミチギノ沢~御神楽沢~会津駒ヶ岳

やや強引な感じではあるが、南会津を東西南北に漂泊的に渉猟した。歩きの沢が多く、岩魚はうようよしており、南会津は漂白するには最高のエリアだ。十五日間ほどの予定だったが、最後は台風10号から逃げるように駆け上ったので、結局12日間で終わってしまった。あと二、三日のんびりとできればより最高だったのだが。あと面積的にやっぱり少し狭いので、田野倉ダムがなければもっと最高である。

ところで沢登りとは人間と山との間で交わされるセックスのことである。そもそも山の裂け目から液体がダラダラと漏れ出てくるという地形的特徴だけ見ても、沢は容易に女性器を連想させる。そして、そのことを今回ほど強く感じた山行はなかった。というのも最後に登った御神楽沢がなんとも女性的で、どこか官能的な沢だったからだ。柔らかく包容力のある森のなかからあふれ出てくるような蜜のような水の流れは、幼少期にあたえられた母乳のような温かみがあった。台風10号接近のニュースをきいたときは、会津駒をやめて途中の山から集落に下りてしまおうかと考えたが、モチベーションを立て直してなんとか御神楽沢を登れて、本当によかったと思う。


往年のキム・ベイシンガーの瞳だってこれほど青く澄んではいなかった。


透明な水のあふれ出す裂け目をたどり、沢の襞の内奥に入りこんでいった先にある御神楽沢の観音様

この沢の官能性について、今度のビーパルの連載にでも書いてみようかなと思っている。

さて、漂泊は終わりましたが、『漂流』の発売ははじまったばかりです。昨日、今日と池袋、神保町方面に出向き本屋をチェックしてきたが、なかなかのいい扱いを受けていて、ちょっと満足した。本屋に行って自分の新刊本の扱いが悪いと、本当にその本屋のことが嫌いになるからなぁ。

漂流
角幡 唯介
新潮社

過去最高の傑作






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『漂流』25日発売!

2016年08月17日 21時37分51秒 | お知らせ
『漂流』の発売がいよいよ迫ってきた。発売は25日。見本は19日に出るということで、本の出来栄えが非常に楽しみだ。なにしろ私としては『アグルーカ』以来、四年ぶりの本格的ノンフィクション。この四年間というもの、冬や極夜の探検、夏はこの『漂流』取材にすべての時間を割いてきただけに、非常に力の入った作品なのだ。

……なのだが、しかし、残念ながら私は明日から南会津へ長期の漂泊登山へ出かけるので、見本をみることができない。版元の編集者も営業担当も非常に力を入れてくれているので、大変、申し訳ないし、カバーもかっこいい出来栄えなので、私自身、できれば見本の完成を見届けてから山へ……と思っていたのだが、こればっかりはもう、天気の状態とか今後の予定とかもあるので、明日出発しないと私のなかでは間に合わない状況となってしまっているのだ。

ということで山優先。無念であるが、行けるときに行っておかないと山は逃げるから、しょうがない。

下山予定は9月頭。その頃には本屋に並んでいるだろう。大きなスペースが確保されていることを期待して、下山したいと思います。

さて、先日も告知しましたが、その『漂流』の発売にあわせたイベントが新潮社のイベントスペースで開かれます。まだ席に余裕があるようなので、興味のある方はぜひ参加してください。以下、イベント情報を再掲します。


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角幡唯介「はじめての海洋ノンフィクションを、僕はこう書きました」

『漂流』刊行記念トーク(聞き手:藤原章生)

2016/9/9(金) 19:00~2016/9/9(金) 20:30
イベント受付開始時間 2016/9/9(金) 18:30~

la kagu(ラカグ)2F レクチャースペースsoko
東京都新宿区矢来町67

チケット2000円

チケット販売はこちら http://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/015hfpyatsqt.html#detail

『空白の五マイル チベット、世界最大のツァンポー峡谷に挑む』で、開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞の3冠を取り、一躍注目の書き手となった探検家の角幡唯介さん。その後も、『雪男は向こうからやってきた』(新田次郎文学賞)、『アグルーカの行方』(講談社ノンフィクション賞)と、自ら体験し取材するスタイルで、独自のノンフィクションを世に送り出してきました。

 最新作『漂流』で、角幡さんは新境地に挑みます。舞台は沖縄を中心とした南太平洋の漁場、しかも、今回は自身の体験ではなく、沖縄の漁師の人生を追った作品です。海、暖かい地域(南方)、他者の人生ーーー今までにない形の作品といえます。あらすじはこうです。

1994年冬、沖縄県伊良部島・佐良浜のマグロ漁師・本村実さんは、フィリピン人らと共に救命筏で37日間の漂流の後、「奇跡の生還」を遂げます。しかし8年後、本村さんは再び出航し二度と戻ることはありませんでした。九死に一生を得たにもかかわらず、彼を再び海に向かわせたものは何だったのか.....?

 沖縄、グアム、パラオ、フィリピンなどで家族や関係者の話を聞き、漁師の生き様を追った渾身の長編ノンフィクション『漂流』。この刊行を記念して、トークイベントを開催します。

 聞き手は毎日新聞編集委員の藤原章生さんです。

 ところで、藤原さんと角幡さんには、いくつかの共通項があります。新聞記者である(だった)こと、開高健賞受賞者であること、山好きなこと、山で命を落としかけた経験があること.....。ご自身もノンフィクション作家としていくつもの作品を上梓している藤原さんが、インタビュアーとして角幡さんの創作の舞台裏に迫ります。

・当日会場で書籍『漂流』をお買い求めくださった方を対象に、終演後、角幡唯介さんのサイン会を行います。また、藤原章生さんの著作も会場で販売いたします。


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プロフィール

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
探検家・ノンフィクション作家。1976年、北海道芦別市生まれ。早稲田大学政経学部卒、同大学探検部OB。2003年、朝日新聞社入社、08年退社。著書に『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』(開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞など)、『雪男は向こうからやって来た』(新田次郎文学賞)、『アグルーカの行方』(講談社ノンフィクション賞)、『探検家、36歳の憂鬱』、『探検家の日々本本』(毎日出版文化賞)など。近著に『旅人の表現術』。

藤原章生(ふじわら・あきお)
毎日新聞編集委員・ノンフィクション作家。1961年福島県常磐市(現いわき市)生まれ。北海道大学工学部卒業、住友金属鉱山に入社。1989年毎日新聞記者に転じる。ヨハネスブルク、メキシコ市、ローマ特派員、郡山支局長などを経て現職。著書に『絵はがきにされた少年』(開高健ノンフィクション賞)、『資本主義の「終わりの始まり」』、『世界はフラットにもの悲しくて』『湯川博士、原爆投下を知っていたのですか―“最後の弟子”森一久の被爆と原子力人生―』など。

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ご購入いただいたチケットの、取替・変更・キャンセルはできません。ご了承ください。
開場は開演の30分前です。

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惜別千代の富士

2016年08月02日 07時56分59秒 | 雑記
千代の富士が亡くなった。大鵬や北の湖がなくなったときはさほど思うところもなかったが、千代の富士はわたしが小さい頃に相撲をみはじめたときの大横綱だったから、ちょっとしんみりするものがある。

もともと一番力をもったもの、もっとも強いものに生来嫌悪感をかんじる傾向のあるわたしは、小さい頃から巨人と自民党と千代の富士が大嫌いだった。今となっては野球に関心がなくなったので巨人はどうでもいい。自民党にかんしては今でも、世界で一番嫌いな人間が安倍晋三で二番目が高村正彦で三番目が麻生太郎というぐらい大嫌いな組織で、自民党の独裁傾向、および自民党の独裁傾向にさして抵抗を示すことなく流されゆく人々の腰砕け的傾向にたいしては、私なりのやり方で(誰にも気づかれないやり方で)別の価値観を提示したいと思っている(冒険とはじつはきわめて政治的営為なのだ)。しかし千代の富士は個人でつよくなった人物だけに(昔から八百長疑惑を囁かれた力士ではあったが、それもふくめて)巨人と自民党とはまったく別の敬意をおぼえる。

わたしが相撲をみはじめたのはたしか小学校一、二年で、そのときは北の湖がすでに晩年にはいっておりほとんど優勝争いに絡むことがなくなっていた。二代目若乃花の記憶はない。千代の富士はちょうど横綱にかけあがりこれから全盛期という時期で、彼に真っ向勝負で勝てるのは横綱隆の里(稀勢の里の師匠)だけだった。ウルフとよばれた千代の富士とポパイとよばれた隆の里ががっぷりよつに組み、怪力でまさる隆の里がつりあげて土俵の外にはこびだす姿をみて、幼いながら権力をうちやぶるのにちかい爽快感にひたったものだった。

かんがえてみると北の湖もいないし、隆の里もすでに鬼籍にはいっている。あの頃、大関で私が応援していた北天佑もだいぶ前になくなったし、生き残っているのは琴風と若島津と朝潮だけか。そのあと、双羽黒(プロレスラーになった北尾)や北勝海(千代の富士の弟弟子で現理事長の八角親方)や大乃国(ガチンコとスイーツ好きで知られる力士)が横綱になり、小錦が大関になり、旭富士や霧島がつづくのだが、あの頃の相撲は今とちがって動きがはげしくて本当に面白かった。今の相撲はデブとデブがぶつかり合って転びあうスポーツにしかみえなくなった。

力士は寿命が短い。酒の飲みすぎだろうか。

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