ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

なぜ僕が新聞記者になれたのか

2009年03月31日 18時03分30秒 | 雑記
 もう一カ月ほど前になるだろうか。
 新聞記者時代の後輩の結婚式に呼ばれたので(正確には呼ばれなかったが、なんで呼ばないんだと文句を言ったら呼んでくれた)出席すると、知らない記者に声をかけれた。

 「○×部のSといいます。カクハタ君だよね?」
 「……はい」
 「いや、実は僕、採用の時、君の面接をしたんだ。覚えてない?」
 「あ、そうですか。すいません、全然覚えてません」
 「聞いたよ、会社辞めたんだってね。いやー、君のことだけは覚えていてね。面接のとき、なんて底の浅い奴だって思ったよ」
 「え、そうですか?」
 「一緒に面接した経済部の人は採用には断固反対したけど、僕は君のこと推したんだよね。それをOさん(採用担当の統括者)に話したら、『じゃあ、アホ枠ってのがあるから、それで採ろう』って」

 ガーン!よく他社の記者に「角幡君、よく受かったよね」って言われて、「いや、『バカ枠』ってのが、あるらしいよ」って冗談を言っていたけど、本当だったとは!ただし、正式には「アホ枠」らしい。

 アホ枠って何枠あるんだろう?僕の同期の中では、もうひとりあやしいのがいるけど、あいつもアホ枠なのだろうか。

 新聞記者になりたいアホのみなさん、あきらめてはいけません。

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ツアンポー動画②

2009年03月29日 08時24分33秒 | 探検・冒険
1998年のナショナル・ジオグラフィック隊による遠征。ダグ・ゴードン隊員が遭難死した時のドキュメンタリー。ちなみにツアンポー峡谷では1993年にNHK隊の武井義隆さん(早大カヌークラブ)が、支流のポー・ツアンポー川で遭難して亡くなっている。

Expeditions to the Edge



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ツアンポー動画①

2009年03月29日 08時18分11秒 | 探検・冒険
ツアンポー峡谷の動画。2002年のスコット・リンドグレン隊によるカヌー遠征。OUTSIDE誌に寄せられたこの隊の詳しい報告はブックマークにあります。

Tsangpo Gorge



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ハザードマップ

2009年03月26日 18時00分54秒 | 雑記
 自宅の郵便受けに市役所から書類が届けられた。ハザードマップである。

 洪水や地震が起きた時、被害の及ぶ範囲や程度を示した地図のことだ。なにせ「安心安全」が最も大事な価値として、お題目のように唱えられる世の中である。ついに僕の家にもこんなものが届けられたか、そんな妙な感慨を抱きながら、ためしに中身を見てみた。

 とりあえず、「地域危険度マップ」を見て驚いた。マグニチュード7・3の「東京湾北部地震」を想定した建物全壊率を表わしたものだが、自分の部屋がある地域は、最も全壊率の高い「危険度5」と判定されている。他の地域はほどんど「危険度1」なのに……。10~20パーセントの建物が全壊するらしい。

 また、震度の分布を示した「揺れやすさマップ」によると、震度6強。僕の部屋は5階なので、いったいどれほど揺れるのだろう。液状化の危険度も「高い」らしい。4段階で最高ランクをつけられている。地震が起きたら、めちゃくちゃ揺れたうえ、地面から地下水があふれ出て、建物が地面に沈み込むようだ。危ないったらこの上ない。

 実は今の部屋に引っ越しをする時、都心のぼろアパートに住もうかとも迷ったのだが、そろそろ大きな地震が起きそうなのでこちらを選んだという経緯があった。それが全然、意味がなかった。山だけでなく、街にも危険がいっぱいじゃないか。

 それにしても、市役所の人は地震の震度を示す地図の名前に、なぜ「揺れやすさマップ」などというやさしい名前を付けたのだろう。命の危険を示すものなのにおかしいと思わないのだろうか。まるで、揺れて欲しいみたいである。役人の言語感覚というのはどうなっているのか、さっぱり理解できない。

 

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呪い・・・・・・

2009年03月25日 23時58分35秒 | 雑記
冷蔵庫がぶっ壊れた。

もともと部屋に備え付けだった、50センチ四方の小さな冷蔵庫だ。中の天井にくっついたフリーザーの氷を包丁でざくざく落としていたら、プシューといやな音がしてフロンガスが漏れてしまったのだ。まあ、壊れたわけではなく、自分でぶっ壊したのが正確な表現ではあるが……。

管理会社に聞いてみると、
「修理する方が高いので、買うしかありません」。
「費用はいくらしますか?」
「大変申し訳ないんですが、3万5千円ほどするんです……」
「えー!そりゃ高すぎる」
文句を言うと、自分で勝手に探して購入するということで話がついた。

それにしても、今年に入って家の中の電化製品が次々と壊れている。まず、プリンター、次に洗濯機、そして冷蔵庫。残りは電子レンジ、テレビ、DVD、パソコン……。何かの呪いだろうか。次は何が壊れるんだろうと戦々恐々の毎日だ。

ちなみに冷蔵庫はリサイクル料金込で1万6千円ほどで購入した。あの小さなタイプの冷蔵庫は、電気量販店関係者の間では、「キューブ」もしくは「サイコロ」と呼ぶらしい。どうでもいいが……。

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世界最速のインディアン

2009年03月22日 12時41分54秒 | 雑記
 前から観ようと思って忘れていた映画「世界最速のインディアン」を、DVDを借りて観た。タイトルからは安っぽいコメディ映画を連想するが、夢をあきらめない人の生き方を描いた事実を基にした物語である。

 アンソニー・ホプキンスが演じる主人公のバート・マンローはニュージーランドの片田舎に住むちょっと変わった老人である。骨董品のような自作オートバイ「インディアン号」で、いつか米国のスピードレースに出場し、世界最高時速を樹立しようと夢見ているのだ。少ない年金を貯金し、友人からもカンパを受け、バートはついにアメリカに向けて出発する。

 ユーモアがたっぷりでほのぼのとしたバートの人柄は、彼のまわりに集まるすべての人を引き付けてやまない。友人たちは夢が実現すればいいとバートの挑戦を口では応援してくれるが、本当に実現すると思っている者など誰ひとりとしていなかった。ただひとりの少年をのぞいては。

 いつもバートの家に遊びに来る隣の家の少年トムは、ある日、彼に質問する。
 「事故死が怖くない?」
 「いいや、怖くないね。こういうマシンでスピードに挑む時は、5分が一生に勝る。一生よりも、充実した5分間だ」
 そして、死亡した両親の写真を見せながら、トムにこう教える。
 「危険が人生に味をつける。リスクを恐れてはいかん。それが生きるってことだ」

 冒険者の思いをこれほどわかりやすく伝える言葉はなかなかない。自分にもし子供ができて、将来は公務員になりたいなどと言い出したら、ぜひ見せたい映画である。
コメント (1)
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続・ツアンポー話

2009年03月17日 23時26分19秒 | 探検・冒険
 久しぶりにツアンポー関係の話を書いたので、ネットで検索してみたところ、掲示板サイトで面白い話を見つけてしまった。以下はその引用。

≪ヤル・ツアンポー河はカイラスに源を発し、ラサの近くを通ってチベット高原を潤し、高低差3000m以上を一気に駆け降り、インドでブラマプトラ川と名を変え、ベンガル湾に注ぎます。河がヒマラヤを切り裂いて一気に下降するあたりを、ツアンポー峡谷といって、ものすんごい秘境で世界の探検家、神秘研究家のあこがれの場所です。(シャンバラへの入り口があるそうな)
ディスカバリーチャンネル好きにはオススメの、圧巻の探検記録
角幡唯介(早稲田大学探検部OB、朝日新聞の新聞記者) さんと言う方が、同様の探検を成し遂げ、それをネットで公開しておられましたが、現在はサイトが無く、キャッシュのみで閲覧できます。角幡さん、いろいろ意見や、貴重なお話もあると思うのに、なぜサイトを閉じて、チベットのことを語るのをやめてしまったのだろう……。≫

朝日の記者をやっていたので、中国に気兼ねしてサイトを閉じたのだと勘違いしているのだろうか……。笑ってしまった。こんなのもあった。

≪怖いのが、角幡唯介という朝日新聞の記者が、シャンバラやチベットの秘密が隠されてると言うヤル・ツアンポー大峡谷の探検記のサイトを作っていたんだけど、
サイトごと削除されてる。この地域は、1999年から中国政府により立ち入り禁止にされて、峡谷の入り口で公安や解放軍が目を光らせている。 ウラン鉱山があるのかな~と思うけど、何か古代の秘密が隠されている場所なのかな?≫

 削除されたのではなく、自分で削除したんですが……。全然、怖くない。

 シャンバラ、中国の立ち入り禁止地域、朝日新聞といった単語から、なぜかあやしげな謀略を連想する人は結構いるらしい。削除したのは、当時、付き合っていた彼女から「あたしの名前を公開するのはやめてほしい」と言われたからで、中国当局の圧力は関係ありません。ビザもちゃんと下りました。

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ようやく読み終わった!ツアンポー本

2009年03月17日 18時42分12秒 | 探検・冒険
カトマンズに在住するチベット仏教研究者イアン・ベーカーの「The Heart of the World」(The Penguin Press)をついに読み終えた……。B5判で巻末のメモなどを含めると約500ページの大冊。英書である。読み終わるまで1年かかった。雪男を探しながら、雨の日にテントで読んだのがこの本だった。いつ購入したのかは、もうすっかり忘れてしまった。

 これ、なんの本かというと、ベーカーがチベットのヤル・ツアンポー峡谷を探検した時の顛末をまとめたものである。ベーカーは昔、チベットの山奥にはまだ誰も到達したことのないチベット仏教の伝説の地があることを知る。いわゆる、シャンバラとかシャングリラとか呼ばれる桃源郷伝説のひとつと考えていい。彼は「テルマ」と呼ばれるチベット仏教の秘密の文書を手がかりに、チベット最大の大河ヤル・ツアンポー川の大峡谷の最奥にその桃源郷があることを知り、何年もかけて探検を繰り返した。

 ヤル・ツアンポー大峡谷はヒマラヤの探検史に必ず出てくる地理的な秘境である。1800年代から英国印度測量局がパンディット(地元民を使った探検スパイ)を派遣して大峡谷内部を探検させるが成功しない。英国の探検家F・M・ベイリーやF・K・ウオードも、最奥にあるといわれる幻の滝を見つけようと目指すが、結局、地形が険しすぎて、1990年代まで誰もそこまで到達できなかった。

 本書の著書イアン・ベーカーが目指したのはこのように歴史的に謎とされてきた場所だった。そして1998年、ベーカーはついに幻の滝を発見。ナショナル・ジオグラフィックが「滝が見つかった」と大きく取り上げ、世界的に報道された。

 ベーカーが異色なのは、誰も足を踏み入れいない地理的な秘境を解明しようという昔ながらの探検家の発想で大峡谷を目指したのではなく、チベット仏教の秘密の文書やラマ(仏僧)の言葉を手がかりに滝まで到達する道があるはずだと信じて探検を続けたことである。あやしげな地図を手がかりに宝物を探す三流冒険活劇をほうふつとさせるような話であるが、本当に滝を見つけてしまったのだから「すごい!」の一言だ。

 滝が見つかったというニュースを聞いた時の衝撃を僕は忘れられない。当時、僕は大学4年生。なにせ、自分でこの幻の滝を見つけてやろうと意気込んでいた時だった。98年の夏に探検部の仲間と大峡谷の偵察に行き、翌年に本隊を組んで本格的な探検に取り組もうと計画していた矢先に、その滝が見つかったと聞いたものだから頭の中が真っ白になった。


↑ベーカーが98年に到達した滝(03年に角幡撮影)

 大峡谷は中国政府が98年以降に立ち入り禁止にしたため、90年代からアメリカ人を中心に一時期活発になっていたこの地域の探検は一気にしりすぼみになった。僕は2003年にベーカーたちも行けなかった大峡谷のさらに奥を単独無許可で探検したが、残念ながら新たな滝は見つからなかった。

 でも、僕はベーカーに対してひとつだけ自慢できることがある。それは、彼が見つけようとして見つけられなかったホクドルンの洞窟を見つけることができたことだ。03年の単独探検で僕は大峡谷の最奥に謎の巨大洞窟を発見し、これが桃源郷伝説のもとになったのではないかと考え、最後は洞窟の中まで足を踏み入れた。ベーカーの本を読むと、地元の村人はこの洞窟の存在を知っており、そこを信仰上の聖地であると考えていたようだ。しかし、この洞窟は川の断崖にあるので対岸からしか見えないうえ、洞窟の中に入るにはロープで懸垂下降しなければならないので、村人たちには洞窟まで行くことはできない。村人から話を聞いたベーカーもこの洞窟を探したらしいが、結局見つからなかった。そのくだりを読んだとき、僕は正直、「オレは洞窟の位置を知っているぜ。ふふふ……」と妙な自己満足を覚えてしまった。


↑↓ホクドルンの洞窟(03年撮影)

 

ツアンポー峡谷の探検はまだ終わっていない。19世紀からの課題とされてきた核心部分は完全には踏査されていないからだ。今年はやるぜー。すべての滝の写真を正面から撮影し、正確な位置を地図に落とす。なにせ、そのために会社を辞めたようなものだからな。その前に右ひざのけがを癒さなくては……。びっこを引いて歩いていると、腰まで痛くなってきてしまった。

 ヤル・ツアンポー峡谷に興味を覚えた人は、F・K・ウオード「ツアンポー峡谷の謎」という本が岩波文庫にありますので読んでください。金子民雄「東ヒマラヤ探検史」(連合出版)も参考になります。さらに興味ある人は僕の探検の記録が「岳人」2003年6月号(672号)に載ってますので探してください。あかね書房の「ヒマラヤ名著全集」にはF・M・ベイリーの「ヒマラヤの謎の河」があるので、神保町の悠久堂ででも見つけてください。

 
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雪崩で重傷@不帰Ⅰ峰

2009年03月16日 19時55分43秒 | クライミング
 不帰Ⅰ峰尾根支稜を登攀中に雪崩を起こしてしまった。350メートル下の谷底までたたき落とされたが、パートナーだった探検部後輩Sともども、とりあえず一命はとりとめた。

 今回の山行で目指していたのは不帰Ⅰ峰尾根の主稜。八方尾根スキー場から入山した3月14日は冬型の気圧配置がばっちり決まり、ひどい吹雪に見舞われた。そのため予定していた幕営地までたどり着けず、翌朝も吹雪が続いたので、一度は撤退を決めた。しかし、幕営地を撤収しているうちに天気が回復し、みるみる青空が広がり始めたので、時間的に厳しい主稜ではなく、主稜よりも登攀距離の短い支稜にルートを変更して登ることにした。

 唐松谷を横断し、支稜に取り付いたのが15日正午前。Sと所々の灌木にランナーをとりながらコンテニュアスで登る。雪崩が起きたのは2170メートル付近の傾斜の緩いナイフリッジにおいてだ。ここだけやたら雪が深い。先頭を行くSは腰までの雪をかき分けながら進み、僕はSの後ろをついて登った。すると「ドーン」という音がして、自分が乗っかっていた雪面が一気に滑り出した。

 「やばい、雪崩だ」と瞬間的にわかるが、自分の中で現実だと受け止めることができず、何かの間違いじゃないかと思う。Sとはロープで結びあっていたが、灌木がなくてランナーをとっていなかったので、そのまま止まらず、あれよあれよという間に雪にもみくちゃにされて流された。こうなるともう、どうしようもない。途中で垂直に近い傾斜の部分を落ちたらしく、宙に浮いた感覚が分かる。その後、頭が下になったのか視界は真っ暗になり、雪のすごい圧力を感じる。「このままだと死ぬ」とあせり、なんとか手だけは雪の外に出そうともがいていると、体は止まり右手だけ飛び出していた。

href="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/01/f89a04ce3848bc57f43d041d1959dd96.jpg">
写真のバツ印は雪崩発生地点で、矢印が流されたライン。

 この瞬間の喜びって、雪崩に遭ってうまい具合に手が飛び出した人しかわからないと思う。やった助かったとわかった瞬間、言葉にはできない歓喜が押し寄せる。急いで右手で顔の周りの雪をどかし、呼吸を確保。Sも無事だったようで、叫び声が聞こえてきた。「カクハター!大丈夫かあ!」。彼も興奮しているらしく、後輩のくせになぜか僕のことを呼び捨てだ。唐松谷を滑っていた山ボーダーたちも駆けつけてくれて、みんなで僕の体を掘り返してくれた。立ち上がると右ひざがちょっと痛い。

 今日、病院に行ってみると、右ひざの内側側副靭帯損傷で全治4週間という診断だった。3月、4月はバリバリ山に行くぞと思っていたのに……。でも、死ななくて良かったと心底思う。それにしても、これで雪崩に埋まったのは3回目だ。3回も雪の下に埋まって生き残っているやつって、他にあんまりいないだろうなあ。正直、こういう臨死体験はもうこりごりっす。

 
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ストリーム

2009年03月03日 15時43分33秒 | 雑記
 愛聴しているTBSラジオ「ストリーム」が今月で終わってしまうらしい。なんということだろう。人気番組だけにずっと続くもんだとばかり思っていた。現在は自宅が作業場なので、ラジオを聴くことが多いのだ。といっても以前、新聞記者をしていた時は車に乗っているときに聴いていたけど。

 4月からどんな番組が始まるのかな。でもなあ、やっぱ小西克哉のトークが売りみたいな番組だったから、パーソナリティが変わると困るんだよね。「愛とエロの伝道師」町山智浩の映画コラムも面白かったし……。

 今日の町山智浩の話だと、聴取率はいいんだけど広告がつかない番組だったのかな。よくわからんが、ナック5のツッチー、ミヨちゃんに乗り換えるか。

 山でもいくべ。

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