ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

吉田勝次さんとのトークイベント「『地球探検』大放談!」

2017年06月14日 21時31分02秒 | お知らせ
『洞窟ばか』の著者で、クレイジージャーニーの出演などでおなじみの探検家吉田勝次さんとのトークイベントが新潮社ラカグであります。

このブログでもすこし紹介しましたが、吉田さんとは旧知の仲。その昔、新聞記者時代に富山支局在任中、吉田さんが黒部峡谷の洞窟探査にやってきて、その同行取材をさせてもらったことがあります。これまでに私は人生で何人か、決して忘れることのできない強烈なキャラクターの人物にあってきました。たとえば大学卒業後に参加したニューギニア遠征隊の藤原さん、あるいはシオラパルクの大島さん。吉田さんもその一人で、たった一度の邂逅ではありましたが、そのときの映像がガンコな油汚れみたいに今も頭の端っこのほうにこびりついて離れません。

フィールドは異なりますが、同じ探検家同士、地球の未知の魅力を語り合いたいと思います。一応、吉田さんの本の刊行記念なので、私のほうが聞き役的な感じかな~と想像してます。

7月5日午後7時~8時半。2000円。サインもあります。

イベント詳細とチケット販売はこちら。https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01ra1xyxakbn.html

以下、上記サイトからコピペしたイベント詳細です。

---------------------------------------------------

2017/7/5(水) 19:00~2017/7/5(水) 20:30
イベント受付開始時間 2017/7/5(水) 18:30~
la kagu(ラカグ)2F レクチャースペースsoko


国内外で1000を越える洞窟に挑んできた洞窟探検家の吉田勝次さん。初めて洞窟に入ったのは28歳のとき。完全な暗闇と洞窟が持つ強烈なパワーに圧倒され、「自分がやりたかったのはこれだ!!」と、洞窟の魅力にとりつかれてしまったといいます。
 その後、未踏の洞窟を発見しては挑む「洞窟病」は重症化の一途をたどり、A4サイズの隙間があれば体を押し込み、ロープ1本で400メートルの縦穴を下る……。何度も死にそうな目に遭いながらも奮闘する姿は、TBSテレビ「クレイジージャーニー」などでも取り上げられ、観る者を驚かせています。

 そんな吉田さんと対するのは、探検家かつノンフィクション作家の角幡唯介さん。チベットのツァンポー峡谷の奥地で何度も死にかけ、雪男を探すためヒマラヤ山中に60日間潜み、あるいは凍傷にかかりながら北極圏を走破するといった壮絶な体験を綴った数々の作品で、大宅賞をはじめ、数々の文学賞を受賞されています。

 常人には理解できない境地へと向かっていく吉田さんと角幡さん。いったい何が、二人を駆り立てるのでしょうか。モチベーションから探検テーマの決め方、絶対絶命のピンチから生還できた理由、はたまた大きな声では明かせない話まで、大いに語っていただきます。



※トーク終了後に吉田勝次さんの『洞窟ばか』、角幡唯介さんの著書へのサイン会を開催いたします。書籍は会場でも販売いたします。なお時間の都合上、書籍は1著者につき1冊とさせていただきます。

※ご購入いただいたチケットは理由の如何を問わず、取替・変更・キャンセルはできません。ご了承ください。

※開場は開演の30分前です。



******************************

プロフィール
吉田勝次(よしだ・かつじ)
1966年、大阪府生まれ。洞窟探検家。(有)勝建代表取締役、(社)日本ケイビング連盟会長。洞窟のプロガイドとして、テレビ番組での洞窟撮影、学術調査、研究機関からのサンプリング依頼、洞窟ガイド育成など、洞窟に関わるすべてを請け負う。洞窟をガイドする事業「地球探検社」、洞窟探検チーム「JET」、洞窟探検プロガイドチーム「CiaO!」主宰。

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
1976年、北海道生まれ。ノンフィクション作家、探検家。早稲田大学探検部OB、元朝日新聞記者。著書に『空白の五マイル』『雪男は向こうからやって来た』『アグルーカの行方』『探検家、36歳の憂鬱』『探検家の日々本本』『旅人の表現術』など。近著『漂流』は自身の体験ではなく沖縄の猟師の人生を追い、新たな境地を開く。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

官房長官会見に期待すること

2017年06月12日 02時53分14秒 | 安倍批判
加計学園問題で文部科学省が文書の再調査をすることを発表した。最近のテレビ報道なんかでは、菅の官房長官会見で鋭い質問をする記者が現れて答弁に矛盾やほころび、動揺がみられる様子を何度かみた。「その指摘はあたらない」みたいな、いわゆる〈菅話法〉といわれる木で鼻を括ったような態度で議論をシャットアウトして、まったく質問にまともに答えてこようとしなかった官房長官菅だが、最近のこういう鋭い質問にたじろぐ姿をみていると、やはり官房長官会見という公の場での記者の質問は重要であり、公の場で権力者を追及してその欺瞞を明らかにすることが記者の責任なんだということを改めて実感する。

個人的に安倍政権の一番怖いところは、自分たちの都合のいいように言葉を勝手に解釈して、議論を封じ込めてしまう点だと思う。社会は言葉からなっている。法律だって言葉の羅列だし、政治家だって公の場で言葉を発して、その言葉を守ることではじめて、民衆との間に信頼関係を構築することができる。失言した政治家が追及をうけるのは、このような信頼できない言葉を発する政治家に国民の代表者たる資格があるのか、その正統性が疑われるためだ。

しかし安倍政権はこの言葉をことのほか軽視している。安保法制しかり、共謀罪法案しかり。「そもそも」という言葉に「基本的な」という意味があると国会の場で答弁して、そのような意味はないといろいろ追及されて、こまった挙句、「そもそも」の言葉の意味を閣議決定して、なかった言葉の意味を勝手にあることにしてしまうような態度を見ていると、お前らは神かと突っ込みたくなる。言葉は社会や人間関係を構築しているベースであるわけで、その言葉そのものを勝手に解釈できたり意味を変更できたりするなら、それまでわれわれの社会で普通に使われてきた言葉の意味が通用しなくなるということであり、逆にいえば、これまでの意味や慣習を無視して自分の都合のいい世界を構築できるということだ。安倍政権が独裁的なのは、このように言葉を軽々しく扱うからである。

政治家は信頼に値する言葉を発して国民と約束することで、はじめて職務を遂行できるわけだが、このようにひたする言葉を軽視する態度に出てしまうと、もう何を言っても信用できない。共謀罪で一般人は対象とならないと言われても、どうせ適当に解釈変更するんだろと思うし、今村復興大臣が失言で辞任したときに安倍が「任命責任は私にあります」と、いかにもカッコいい感じで言っておきながら、具体的に何の行動も起こさなかったときなんかのことを思い起こしても、お前の言葉には何の内実もないと思ってしまう。だからこういう人たちがどんな主張をしても全然信用することができないし、このように信頼できない人たちが政権を担っているのは国民の不幸以外の何物でもない。

で、話は加計問題にもどるわけだが、文部省が再調査したら文書は見つかるだろうとみられている。これまでの経緯をみていると、まあ出てくるんだろうなと誰もが思うし、そのうえで出てきた文書の中身は信頼に値しないみたいな結論を出すんだろうな、出来レースで行く気なんだなと思う。

それに対抗するには、やはり彼らの言葉の正統性を突っこむ以外、方法はないのではないか。菅はたぶんまた「菅語法」を炸裂させて、議論を封じ込めようとする。しかし、この人は最初、文書を「怪文書」「出所不明」とまで断言していた。今では戦略が失敗したと反省したのか、文部省の問題に矮小化しようとしているが、しかし彼が言った言葉は変えられない。もし彼が怪文書とまで断言していた文書が実際に見つかり、前川次官が正しかったことが証明されれば、当然、国民は菅の発言というのは信頼に値するものではないのではないかという印象をもつ。なぜ官房長官ともあろう立場の人が、怪文書とまで断言できたのか。それはあることをなかったことにしようとする、まさにそういうことではなかったか。そうした彼の言葉の正統性を官房長官会見という超公の場で汽車がガンガン突っこめば、菅だってたじろぎ、気色ばみ、言葉につまる場面も出てくるだろう。取材なんて警察の取り調べと似たようなもので、細かいところをついて矛盾点を明らかにするのが基本だから、彼の言葉の矛盾点をつけば、どこかで化けの皮がはがれてボロがでる。それがテレビで放映されて、彼らの正体が国民の前にさらされる。さすがに、お前らいい加減にしろよと皆思いはじめて支持率がさがって、支持率頼みだった安倍があのときみたいにまた顔面蒼白になって退陣する。

私も記者をやっていたのでよくわかるが、日本の記者は当局に食いこんで情報とることばかり考えているので、公の記者会見を軽視する傾向がある。公の場では大人しくしていて、会見が終わった後にこそこそっ裏から近づいて、自分が本当に聞きたい質問をする。しかし権力監視という点ではこんなことやっても全然意味がない。やはり国民が注視している公の会見の場で、厳しい質問をくりだし、追及して、彼らの言葉に矛盾点がないか監視するのが記者の重要な責務だ。「その指摘はあたらない」みたいなこと言われて、自分がバカにされていることにも気づかず、大人しく、それが大人の態度だ、みたいにシーンと静まり返る記者に存在価値などない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『探検家の日々本本』文庫本発売

2017年06月06日 21時12分53秒 | お知らせ
探検家の日々本本 (幻冬舎文庫)
角幡 唯介
幻冬舎



あの毎日出版文化賞書評賞受賞、一気読み必至の読書エッセイ『探検家の日々本本』の文庫本が6月9日より発売となります。カバーデザインが一新。2012年正月、集英社が朝日新聞の元旦紙面にうつ宣伝広告のために撮影した写真を、今回、幻冬舎の文庫本の表紙に使いました。現場は極夜のカナダ・ケンブリッジベイで、毎日、氷点下三十度前後の寒さだったため、セルフで二、三枚とるとすぐにバッテリーがあがってしまい、非常に苦労して撮った写真です。

私のほかの本は読んでいるけど、この本は読んでいないという方も多いでしょう。そういう方はおそらくこの本のことを、私が本を読み、その本について論評した本だと誤解されているのでしょう。しかしこの本はじつは書評本ではありません。私が読んだ本をネタに、自分のことや頭のなかのこと、あるいは冒険や探検の真髄等々を語った、要するにエッセイなのです。その意味では毎日出版文化賞書評賞の選考委員の方々は、なにか大きな勘違いをされたのかもしれません。

実際、毎日出版文化賞書評賞を受賞したと連絡を受けたときは、自分自身、え、なぜ? と思いました。自分としては結構いい出来だと思っていたので、もしかしたら賞をもらえるかもとは思っていましたが、想定していたのは講談社エッセイ賞でした。それが書評賞。でもラッキーとも思いました。

今回の極夜探検でシオラパルクまで同行したフリーのTVディレクター亀川氏は、私の本のなかで一番奥が深いのがこの本だとまで言ってました。私としては、自分の本のなかで一番深いのは『漂流』だと思っていたので、亀川氏の寸評を聞き「この人は本当にわかってないな」とちょっとムカッときましたが、しかし、まあ、それもアリでしょう。

いずれにしても面白いこと請け合いです。ちなみにごく一部の加筆修正をのぞき、単行本から中身はほぼ変わってません。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする